映画「法廷遊戯」を観た。
永瀬廉が演じる主人公は、清義と書いてキヨヨシという名前だが、北村匠海のカオルはセイギと呼ぶ。セイギは正義に通じる。カオル一流の皮肉だろう。
はじめに無辜という言葉の概念について説明があるように、概念を問い直す作品である。冤罪と無罪の違いは何か。正義とは、国家権力とは何か。
そういった問いかけに並行して、カオルの遠大な計画が進んでいく。無辜ゲームにはじまる、他人の誘導計画だ。カオルをロースクール在学中に司法試験に合格した秀才に設定したのは、緻密な計画を立案し実行するには、それだけの明晰な頭脳が必要だからである。
ストーリーは人間関係が複雑に絡む中で、万引きみたいなレベルの悪意によって展開する。そして、悪意に法律の鎧を着せる。自分を守るのだ。そのために必死で勉強する。もはや無辜ではない。
無実を勝ち取るのか、それとも無辜を目指すのか、岐路に立たされる主人公の、日常に根ざした決断が静かなシーンで過ぎていくところは、とてもリアルだ。97分という長さもいい。ともすればクドくなりがちなシーンをあっさりと演出しているのも潔い。
杉咲花のミレイを含めて、ほぼ3人の心模様が中心で、クライマックスに向けてカオルの真意が明らかになっていく。そこにミレイの覚悟と、セイギの迷いが加わり、物語が立体的になっている。
プロモーションでは、頭でっかちの青年たちが模擬裁判でエスカレートする物語みたいな印象だが、実際は質のいいヒューマンドラマだ。我々の誰ひとりとして、厳密に言えば無辜とは言えないのではないかと自問させる、奥深い作品となっている。面白かった。