映画「最悪な子どもたち」を観た。
オーディションで選ばれた子どもたちが、映画に出演して演技をする中で、日々の葛藤や悩みなどが噴出して、ひとつ成長するという物語だが、それを演じる子どもたちが、実際にオーディションで選ばれた子どもたちだという、二重構造になっている。とても面白い。
作中の映画の監督やスタッフはみんな俳優が演じている。それを踏まえて鑑賞すると、子どもたちの演技が驚くほど上手いことが分かる。
子どもたちは、自我が目覚める2歳頃から、周囲の人間との関係性を推し量りながら生きている。イエスもノーも、周囲の大人たちの反応を見ながら、どちらがリスクが少ないかで選んでいるのだ。つまり日常的に演技をしている訳だ。
大人でも、多かれ少なかれ、日頃の生活で演技はしている。台詞を考え、表情を作る。どうすれば利するだろうか、どうすれば笑われないで済むだろうか。本当のことを言うことは滅多にない。それは大抵の場合、損をするからだ。
しかしそれでは人生が楽しくない。たまには本音を吐露して、人生の傍観者から当事者になることが大事だ。傍観者で生きていると、自分の人生さえも傍観してしまう。喜怒哀楽から一歩引いた人生になる。
大人になってからはそれでもいい。しかし子どもの間は、感情を解き放つことをしないと、感情自体が乏しくなる。人生の味わいを失ってしまうのだ。
そこで子どもたちに演技をさせる。演じることで無意識の自己抑制を解き、感情を自由に表現させる。それが本作品のテーマであり、ロジックだと思う。情操教育のひとつのあり方を示したとも言える。意義のある作品だ。