映画「PERFECT DAYS」を観た。
都会の片隅にある公衆トイレの清掃員は、見えているのに見えない存在である。制服を着る仕事の多くは、スキルを求められても、個性を求められることはない。しかし主人公平山にとってはそのほうが居心地がいい。
諸行無常と一期一会。それが本作品の世界観だと思う。人生は出逢いと別れの繰り返しだ。しかし決して不幸なことではない。仏教の世界観に似ているが、平山に説教臭さは皆無だ。そのあたりがとてもいい。
タカシは、朝イチのトイレは最悪だと言うが、昨日の朝イチのトイレと今日の朝イチのトイレは、決して同じではない。僅かな違いがある。
24時間が経てば、人も、木も、トイレも、何もかも、昨日とは違うのだ。東へ向かう車に差し込む朝日も、昨日の朝日と同じではない。我々の毎日は、常に一期一会なのだ。
どうせまた汚れるんですよとタカシは言う。そんなことは分かっている。人が使えば、トイレは汚れる。しかし汚れたら、また清掃すればいい。使うのは同じ人かもしれないし、別の人かもしれない。使う人たちは気づいていないが、常に違うトイレと遭遇しているのだ。
人は人生の舞台を演じる役者だ。芝居は毎日変わるが、舞台装置は、常に完璧でなければならない。平山は今日もトイレを磨く。
朝には朝の邂逅があり、夕には夕の邂逅がある。とても楽しくて、ワクワクするし、ウキウキもする。しかしあくまでも個人的な楽しみだ。他人(ひと)と共有することは出来ないし、しようとも思わない。他人は他人、自分は自分だ。語ることは何もない。
役所広司は見事だった。表情や仕種に、平山の抱えている無常観が滲み出る。それに寛容と優しさも。平山は大きな人だ。寡黙で、誰からも愛される。この役を演じられる役者は希少だ。
希少と言えば、ホームレスのダンサーを演じた田中泯が凄かった。あの役を演じられる俳優は、舞踊家でもある田中泯の他にいない。唯一無二の存在であり、樹齢数百年の大樹のような存在感があった。
余談だが、平山の軽バンのメーカーはダイハツだった。映画の公開の直前に、ダイハツによる大規模な試験不正が大きなニュースになった。なんとも皮肉な話だが、平山はそんなことは少しも気にしないだろう。日日是好日である。