映画「ポッド・ジェネレーション」を観た。
ヒトの妊娠期間は、昔は十月十日(とつきとおか)などと言われたが、最近では受精日から38週と言われている。266日だから約30日で割ると9ヶ月弱となる。10ヶ月+10日は約310日だから、昔は随分とテキトーだった訳だ。それとも、晩産が多かったのだろうか。
早晩の差はあるが、大体38週前後の妊娠期間に、女性は体調不良になったり情緒不安定になったりする。辛い期間を過ごした最後に、激痛を伴う出産という行為が待っている。その苦痛から女性を解放するのが、ペガサス社の提供する、人工子宮のポッドだ。
受精卵は子宮内壁に着床して、そこから臍の緒が伸びて母体から栄養を吸収するが、ポッドは羊水そのものが栄養補給の役割を果たしている。アラームが鳴ったら、栄養剤をセットすればいい。自動的に適切な量を補給してくれる。ハイテクの極みみたいなデバイスで、さぞかし高額に違いないが、手で持ち運びができるくらいの重さだ。アラーム音はブラームスの子守唄である。
ポッドを使って胎児を育てると、産休を取る必要がない。生まれて以降の育児はポッドを使わない場合と同じだが、ペガサス社は、育児システムも用意している。子供を預ければ、育児の手間も省けて、仕事が続けられる。
ただし、いずれも高額だ。ポッドは申込金だけで130万円。その先の金額は明らかにされなかったが、かなりの金額であることは間違いない。育児システムはもっと高いだろう。高収入の人間しか利用できないシステムである。だから反対運動も起きる。
途中まで観て、いくつか疑問が浮かんだ。
AIがカウンセリングを行なうほどハイテクの近未来である。女性が自分の子宮で妊娠しないために、夫にあてがうセックスロボットも作られているのではないだろうか。現在でも、AI搭載のセックスロボットが販売されていて、会話もできるし、TPE素材の皮膚は、本物の皮膚にかなり近い。女性用も作られているらしい。超ハイテク社会の本作品に、セックスロボットが登場しないのは不自然だ。
二つ目の疑問は、主人公夫婦が当然のように子供を欲しがっていて、子宮ポッドを使うかどうかの議論がメインになっているが、その前に、子供が欲しいかどうかの議論がある筈だ。その議論が省略されているのが片手落ちに感じる。
その他、オキシトシンの問題や妊娠していないから母乳が出ない問題も浮かんだ。新生児の免疫の問題などは科学技術でなんとかなるのだろうか。
とはいえ、設定がとてもユニークだから、興味は最後まで尽きない。主人公夫婦が極めて普通の人だから、ある意味で進みすぎたテクノロジーに精神的なギャップを感じるのは当然だ。お金をつぎ込んで得た楽な子作りは、苦痛を取り去って自由な時間を与えてくれたが、代わりに何か失った気がする。そう感じるのは、主人公夫婦だけではないはずだ。強ち実現しない話でもないから、なんだか怖い気がする。