映画「ティル」を観た。
以前、クレーム対応の仕事をしていたことがある。対応する際の基準としたのは、先方にどんな被害があったかということである。実害だけでなく、時間のロスなども含めて、被害であることが認められる場合は誠実に対応したが、単に感情を害したという場合は、平謝りするだけで済ませた。それでも納得しない相手も多かったが、最後には「どんな被害があったのか、ご説明いただけますか」と、最後通牒を伝えた。物別れに終わることもあったが、それでもよかった。理不尽な精神性の人間にいつまでも付き合うのは時間と労力の無駄である。
この経験から学んだことは、他人に対して怒りを覚えそうなときに、自分はどんな被害を受けたのかと自問することである。被害がないのに腹を立てるのは、理不尽な精神性が自分の中にも残っているのだと反省する。あるいは不寛容を反省する。この自問を日常的に使うようになってからは、滅多に怒りを覚えなくなった。
さて、本作品の白人女性は、どんな被害を受けたのか。黒人少年から美人だと言われた。口笛を吹かれた。それがどんな被害なのかは、女性本人にも説明できないだろう。理不尽な差別意識に由来することは明らかだが、おそらく本人は認めない。
不寛容と差別意識を白人社会が共有して、それを是としているところが恐ろしい。共同体を自分たちのものと勘違いしている訳だ。全体主義者の精神性である。差別主義者は同時に全体主義者でもあるのだ。
南北戦争のあと、黒人の参政権が認められたが、実際は白人の妨害で、100年近くの間、選挙権を行使することができなかった。ケネディが公民権法の成立を進めていて、暗殺されたあとに成立した。エメット少年が殺された9年後の1964年のことだ。
人類が参政権の差別を取り払ったのは、20世紀後半である。本作品で紹介された事件を元に、私刑(リンチ)を禁ずる法律「エメット・ティル反リンチ法」が成立したのは、なんと2022年のことだ。差別解消の歴史は、まだ始まったばかりと言っていい。
世界全体が右傾化しているというニュースをよく耳にする。人民がいちばん大切だという考え方が民主主義、国家がいちばん大切だという考え方が国家主義であるとすると、右傾化しているということは、人権が蔑ろにされようとしているということだ。
日本でも同様である。被害ということで言えば、健康保険証がなくなるとたくさんの国民が困る。つまり被害を受けるのだ。被害を与える政治家がいまだに当選し続けているのはおかしい。他にも人権侵害の発言を繰り返す国会議員もいる。
日本の有権者の多くは、本作品に登場するミシシッピ州の白人たちと同じ差別主義者であるということだ。本作品で紹介されたのは、他国の過去の出来事ではない。現代の世界の歪んだ精神性がさらけ出されたのだ。