三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

レース結果~秋華賞

2016年10月16日 | 競馬

秋華賞の結果
1着ヴィブロス  無印
2着パールコード 無印
3着カイザーバル 無印

私の印
◎ジュエラー       4着
〇ミエノサクシード    8着
▲エンジェルフェイス 16着
△レッドアヴァンセ    5着

馬券は1~3着が無印で見事にハズレ
思ったよりハイペースにならなかったので、後方から行ったジュエラービッシュには不利になった。ビッシュは直線半ばで止まってしまったが、ジュエラーは直線半ばで凄い脚を使ったので、前半の位置取りが惜しまれる。
1着馬と2着馬がいずれもこれまで好走実績のなかった紫苑S組で、今年からの重賞格上げが早速それなりの結果を出した形だ。同レースを16着と大敗したエンジェルフェイスは、やはり力及ばずだったということ。しかし春にこの馬が未勝利から重賞をぶっこ抜いたときは、抜群の力を発揮しただけに、いつか復活する時が来るだろう。
ミエノサクシードは52キロでの条件戦連勝は、やはり格下だった。レッドアヴァンセは春に未勝利から重賞を連勝した実績を買ったが、チューリップSから前走までの7着、8着の結果が実力を物語っていた。

さて、来週は菊花賞だ。サトノダイヤモンドディーマジェスティの優勝争いで、順当ならミッキーロケットエアスピネル以下の3着争いだろう。 


秋華賞~ジュエラー

2016年10月16日 | 競馬

◎ジュエラー
〇ミエノサクシード
▲エンジェルフェイス
△レッドアヴァンセ

今回の秋華賞のポイントはふたつだ。ひとつはローズSが重馬場だったこと。もうひとつはそのローズSを1番人気で制したシンハライトが離脱したことだ。
本命は桜花賞馬ジュエラー。ローズSは直線で伸びきれなかったが、500キロの大型馬で叩いてからだろう。いかにもステップレース向けの仕上げだった。
強敵は条件戦を連勝中のミエノサクシード。連勝中の52キロに対して今回の斤量55キロがどれだけ響くかが問題だが、前走は古馬相手に1番人気で楽勝しており、直線の切れ味もよかった。今回のメンバーなら優勝まで望める。
この時期の牝馬は輸送に弱く、関東馬は不利だ。中山の紫苑Sをステップにした馬が多いが、関西のコースでの実績がある馬を除いて苦しいと思う。人気のビッシュは小柄なだけに、輸送で消耗する恐れがある。紫苑S組では、16着だがステップレースらしく先行してバテてしまったエンジェルフェイス。重賞のフラワーカップ勝ちもあり、オークスでは3番人気に押されている。ジュエラーと同じく500キロの大型馬の叩き2戦目で、このレースで巻き返しがあっても不思議ではない。
ローズS組では、重馬場での展開が向いた上位着順の馬よりも、4番人気で8着に負けたが、京都コースが得意なレッドアヴァンセ

馬券は◎〇-◎〇▲△3連単(2、14-1、2、5、14)フォーメーション12点馬連(1、2、5、14)ボックス6点。 


映画「永い言い訳」

2016年10月15日 | 映画・舞台・コンサート

映画「永い言い訳」を観た。
http://nagai-iiwake.com/

クミコというシャンソン歌手が歌う「わが麗しき恋物語」という、覚和歌子さん作詞のシャンソンがある。恋をして、結婚して、数年たったら互いに浮気をして、相手に興味がなくなってしまった。しかしその後、夫が病気で亡くなり、葬式の時に、自分でも驚くくらい大声で泣きじゃくったという歌だ。

竹内まりやの「天使のため息」という歌がある。映画やドラマになった「秘密」という物語の主題歌でもある。この歌に次の一節がある。「人はなぜ皆 失って初めて気づくの 見えない糸で結ばれた愛の重さに」

どちらも女性の作詞の歌で、恋の行方についての歌詞だ。
この映画の監督も女性で、やはり愛のありようを手探りする物語だ。女性にとって「永遠の愛」は古来から変わることのないテーマのようである。

ふたつの歌が女性の観点から書かれた歌詞であるのに対して、この映画の主人公は男性だ。妻を亡くした夫。そこにこの映画の価値がある。
男性の場合は「永遠の愛」がテーマではない。熱が冷めないうちは失った女のことを嘆き悲しむが、熱が冷めてしまったら、女が死んでも何も感じない。妻を亡くしたふたりの夫の正反対の感情は、そのためだ。

本木雅弘の演技はさすがだ。夫の複雑な心理状態を複雑なまま表現している。小説家としてテレビに出たりしていて、有名人としての社会的な地位があり、虚栄心があり世間体がある。そういう心理を、妻への思いやりよりも優先した途端に、愛が終わる。あるいは愛が終わったから世間体や虚栄心を優先するようになったのかもしれない。
亡くなった妻のスマホに残された下書きメールの「もう愛していない」という言葉は、夫に対する自分の思いなのか、自分に対する夫の態度のことなのか、永遠に謎のままだ。しかし主人公は自分にあてた妻の言葉だと思い込んでいるようだ。男には身勝手なプライドがあり、自分は妻が死んでこれっぽっちも泣けなかったのに、妻からこれっぽっちも愛してないといわれると腹を立てるのだ。

物語としての起伏はほとんどない。事故で妻を亡くした夫が、一時的に生活が荒れてしまったがその後他人とのかかわりの中で生活を立て直していくだけで、ほぼ私小説といっていい。妻や愛人が魅力的に描かれていないのは、主人公にとって彼女たちが性欲の対象、或いは世間体のための舞台装置でしかなかったからだろうか。深津絵里や黒木華という演技派の女優にとって、気の毒な設定だ。
子役たちの芝居は見事だった。西川美和監督は子供を作ることも作らないことも否定していないが、子供とのかかわりが主人公の精神的な危機を救ったように描いている。その意味ではヒューマンな映画だと言えるだろう。
総じて音楽の使い方がとてもよく、特に手嶌葵の挿入歌が抜群に優れていた。


映画「グッドモーニングショー」

2016年10月14日 | 映画・舞台・コンサート

映画「グッドモーニングショー」を観た。
http://good-morning-show.com/

濱田岳は若くて達者な役者だが、バイオレンスとは縁がない。予告編を観たときは学芸会かと思ってしまった。しかし本編を観て、これは濱田岳が適役だと納得した。この役がプロレスラーみたいなビジュアルの戦闘能力の高そうな人間だと、それはもう悪人になってしまう。この役はあくまで善人でなければならないのだ。他人から高圧的に命令されても理不尽に非難されても言い返せず、悶々として不満をため込む弱い人間。しかしもともとが善人だから悪にはなれない。見た目からして弱そうな役者が相応しい。

長澤まさみはエロくていいのだが、中途半端だ。もともと色気たっぷりの女優なのだから、スカートから脚を出すとか、唇をゆっくり舐めるとか、エロ全開の演出でやってほしかった。監督が遠慮したのか、女優自身が踏み切れなかったのか、全力の演技ではなかったように思う。香水シュッシュは意味不明で、まったく笑えなかった。

テレビ局内の主導権争いはそれなりだったが、特に観ていて楽しいわけではない。ジョディ・フォスター監督の「マネー・モンスター」と比較しては気の毒だが、主要人物の行動は、動機が弱すぎて説得力に欠けるきらいがあった。コメディだからそれでいいのかもしれないが、リアリティを追及していないのに、笑いにも振り切れていないところが残念だ。

主役の中井貴一は情報が入るたびに表情が変わり、行動も変わる。そのタイミングも台詞回しも絶妙で、さすがの貫録を見せていたと思う。この人の演技だけで作品がまとまったと言って過言ではない。テレビ業界でこれといった哲学もなく生き延びてきたお人よしのおじさんの悲哀が感じられる。人物に深みがないので同情は出来ないが、お疲れさんと声をかけてあげたくなる。
中井貴一を観る映画だ。


コンサート「新宿 フォークソングが流れる街」

2016年10月11日 | 映画・舞台・コンサート
新宿文化センターで催されたコンサート「新宿 フォークソングが流れる街」に行ってきた。
六文銭の歌が聞けて、とても懐かしい気分だ。リーダーの小室等はかなり昔に吉田拓郎とラジオで喋っていて、そのときに紹介していた曲を今でも覚えている。
泉谷しげるが作った「国旗はためく下に」を小室等がマイナーコードに変えて歌うのだ。元の曲は泉谷らしい反体制、反時代のやけくそな歌なのだが、マイナーコードに変えた途端にとてつもなくもの悲しい歌になる。
残念ながらこの日は「国旗はためく下に」は歌ってくれなかったが、現在よりももっと封建的な精神性が色濃く残っていた昭和の時代に、自由に考えを述べたり歌を歌ったりする勇気のある人々がいた時代を思い出した。中島みゆきは次のように歌っていた。
「シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を流れに求めて 時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たちと戦うため」

あの頃は体制と反体制、或いは保守反動と革新革命というわかりやすい背反構造だったが、いまは格差構造になり、弱い人々が互いに足を引っ張り合う時代だ。そんな時代に自由に考えを述べたり歌ったりすると、袋叩きに合うだろうし、職を失って路頭に迷うか、暴力装置である警察に逮捕されてしまうだろう。しかしどんな時代でも、勇気を出して言いたいことを言い続けないと、自由は簡単に蹂躙されてしまうのだ。場合によっては平和も失われる。

新宿にフォークソングが流れていたことは一度もない。司会のなぎら健壱もそう言っていた。新宿は自由と欲望とカタギとヤクザと過激派とノンポリが入り混じっていたカオスの街だった。アングラの雰囲気に満ちていたが、どこか自由な精神の風が吹いていた。みんな新宿を愛していたし、自由を認めない社会と戦っていた。そして酔っぱらって大声で歌ったり、立ちんぼのババアをからかったりしたのだ。
長い間、そんな自由の風を忘れていたが、このコンサートで少し取り戻したような気がする。

レース回顧~京都大賞典

2016年10月10日 | 競馬

京都大賞典の結果。
1着キタサンブラック 〇
2着アドマイヤデウス 無印
3着ラブリーデイ   △

私の印。
◎ヤマカツライデン  8着
〇キタサンブラック  1着
▲サウンズオブアース 4着
△ラブリーデイ    3着
△ラストインパクト  7着
△タマモベストプレイ 10着  

馬券は◎ヤマカツライデン⇔〇キタサンブラックの1、2着の固定の3連単だったのでハズレ。
キタサンブラックは先行してそのまま押し切った形。逃げたヤマカツライデンが8着に沈む展開だったから、底力を示した格好だ。2着のアドマイヤデウスは同じコースの去年1月の日経新春杯を勝っており、ここでも2着に来て不思議ではなかったが、鞍上の岩田騎手が絶不調なので消してしまった。岩田騎手は今年はひとつも重賞を勝っていない。まだ後藤騎手の自殺の件が尾を引いているのだろう。アンフェアな騎乗が原因なので、自業自得と言えなくはないが、なんだか気の毒だ。

さて来週はG1秋華賞だが、シンハライトの屈腱炎での回避は残念。ジュエラーがローズSで11着に惨敗したこともあって、混戦ムードになった。春の実績馬だけで決まるとは思えない。
それでも中心はローズS組だ。桜花賞馬のジュエラーは重馬場が堪えたとみれば叩き2戦目で買えるかもしれない。他のステップからで目立つのは条件戦を連勝しているステイゴールド産駒のミエノサクシード。ただ、連勝はいずれも52kgの斤量だった。本番の55kgがどれだけ響くかが問題。
それにしても今年は買いたいと思う馬が少ない秋華賞だ。


京都大賞典~ヤマカツライデン

2016年10月10日 | 競馬

◎ヤマカツライデン
〇キタサンブラック
▲サウンズオブアース
△ラブリーデイ
△ラストインパクト
△タマモベストプレイ

本命は絶好調の4歳馬ヤマカツライデン。 トライアルレースということで他の馬が余裕残しの仕上げなら、逃げ切りまでありそう。長距離はそこを見せていないし、展開も有利と見る。
毎日王冠が4歳馬同士の1、2着だったので、相手は同じ4歳馬のキタサンブラック1頭に絞る。
有馬記念でキタサンブラックに先着したサウンズオブアースラブリーデイラストインパクトのG1馬2頭、前走でヤマカツライデンの2着に粘ったタマモベストプレイが3着候補。

馬券は◎⇔〇-▲△△△3連単(1⇔6-4、5、8、10)8点勝負


レース回顧~毎日王冠

2016年10月10日 | 競馬

毎日王冠の結果。

1着ルージュバック ◎
2着アンビシャス  〇
3着ヒストリカル  無印

私の印。
◎ルージュバック   1着
〇アンビシャス    2着
▲ウインフルブルーム 7着
△ディサイファ    6着 

馬券は3着のヒストリカルがヌケでハズレ。エプソムカップでルージュバックから離された6着だったので、今回は用なしだと思った。次に出てきても買いづらい馬だ。

毎日王冠にしては1000m通過が60秒3のスローペース。このペースを後方から差し切ったのだから、ルージュバックは天皇賞でも本命になるだろう。先に抜け出したアンビシャスも見せ場十分で、この馬も天皇賞で勝ち負け。やはり4歳馬が強い。


毎日王冠~ルージュバック

2016年10月09日 | 競馬

毎日王冠G2。

◎ルージュバック
〇アンビシャス
▲ウインフルブルーム
△ディサイファ

雨は止んだが、重馬場か稍重の馬場になる。斤量の重いロゴタイプには厳しい。本命は前走のエプソムカップの勝ちっぷりが鮮やかだったルージュバック。東京コースも1800mも向いている。
相手はルメールに手が戻るアンビシャス。素質はあるのに連続して使えないところがあり、宝塚記念は大敗したが、中山記念ではドゥラメンテにクビ差の2着があり、実績ではここでも通用する。
侮れないのはウインフルブルーム。開幕週の馬場なので、先行したこの馬が止まらない場合も考えられる。
押さえにディサイファ。日経賞から安田記念と変な使われ方をしたが、もともと1800mが得意距離だし、東京コースも得意だ。
ステファノスも気になるが、もともと叩いて上昇する馬で、休み明けはよくない。 

馬券はを頭の3連単(10-5、7、11)6点勝負


映画「ジェイソン・ボーン」

2016年10月08日 | 映画・舞台・コンサート

映画「ジェイソン・ボーン」を観た。
http://bourne.jp/

原作者ロバート・ラドラムの「Bourne Identity」を読んだときは、あまりの面白さに三部作を一気に通し読みした記憶がある。CIAの本部がラングレーというところにあり、ラングレーがバージニア州にあるといったことを知ったのもその時だった。CIAは職員が数万人もいる巨大な組織で、Agency(エージェンシー)という名がつくだけに、現場工作員はAgent(エージェント)と呼ばれている。本部にいて重要な役割を果たすのはAnalystで、分析官と訳される。トム・クランシーの小説で有名なJack RyanはCIAアナリストだ。
エージェントの主な役割は情報収集だが、電波や電話は常に傍受され、動きも監視されていることを前提として行動する。作戦はオペレーションと呼ばれ、多額の現金が必要になる場合があり、エージェントはそれぞれの才覚で現地通貨を獲得し、秘密の場所に保管する。現地の協力者と現金のことをAsset(資産)と呼び、エージェントが人を殺すときはCompromise(妥協させる)という言葉を使う。

さて、海に投げ出されて記憶を失った第一作が2003年公開だから、13年も経っている。マット・デイモンも随分歳を取った。この間に「Hearafter」の思慮深い静かな男、「We bought a zoo」(幸せへのキセキ)の平凡で控えめだが良識がある意志の強い男、「エリジウム」のマッチョ、「The martian」の不屈の男などを好演しており、ハリウッドを代表する名優のひとりになっている。「The monuments men」(ミケランジェロ・プロジェクト)ではケイト・ブランシェットと大人のからみをしていた。

本作は前作までと同様にCIAに追われる元エージェントの役で、アクション映画ではあるが、よくある熱血の主人公ではなく、ピンチになればなるほど冷静に展開を予測するプロフェッショナルの顔になる。激しいカーチェイスの場面でも驚くほど無表情だ。かと思えば第一作で見せた、子供の前でその父親を殺すことができなかった未熟さを未だに残している。長い間逃げ続けた疲労感を滲ませる、孤独な男の表情がとてもいい。