三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「バビロン」

2023年02月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「バビロン」を観た。
映画『バビロン』公式サイト

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ブラッド・ピット主演×『ラ・ラ・ランド』デイミアン・チャゼル監督初タッグ!誰も体験したことのない夢と音楽に彩られた最高のショーが幕を開ける 映画『バビロン』大ヒッ...

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 アメリカ映画の草創期の中心地は、もちろんニューヨークだった。そこでは、映画で儲けることができると知った人々の間から、弱小の興行主たちが誕生した。しかし特許を独占するエジソン一派に迫害されていた。裁判だけではなく、マフィア顔負けの暴力沙汰も辞さなかったらしい。その不自由さは古代バビロニアの首都のようであった。
 そこで興行主たちは新天地を求めて、未開の荒野だったハリウッド(柊の林)に映画スタジオを林立させる。しかしそこもニューヨークと同じように、弱肉強食の城壁都市となる。第二のバビロンの誕生だ。
 
 本作品は、映画狂想曲そのものである。組織と人間の栄枯盛衰が交差する、ハリウッドという人間エネルギーの坩堝のような場所に集った人々の、凄まじいドラマが繰り広げられる。多少大げさすぎたり、極端過ぎる結末に至る部分もあったが、全体として、ずっしりくる見応えがあった。
 
 ブラッド・ピットが演じた中年俳優のジャック・コンラッドの心境の変化が、そのままハリウッドの変化の歴史となっている。自信満々でやたらに女性に惚れてしまうという愛すべきキャラクターだが、足元が崩れてしまい、人生を喪失してしまう。
 マーゴット・ロビーのネリー・ラロイも同じように、ハリウッドらしいシンデレラ・ストーリーに乗っかりながら、社交界のわざとらしい振舞いが鼻持ちならずに身上を持ち崩してしまう。
 
 彼らの物語は悲劇ではない。むしろ喜劇だと思う。才能とは厄介なもので、世に出たときは自分らしく存分に発揮できたのに、世間は寄ってたかって枠をはめて、才能の芽を抑え込んでしまう。自由に生きようとすれば潰され、利に聡く生きれば才能を見失う。
 本人たちにとっては人生を左右する重大な局面でも、傍から見る分には悲喜劇だ。有象無象が集合と離散を繰り返し、花が咲いたかと思えば、次の瞬間には踏みつけられる。称賛したり嘲笑したり、忙しいことこの上ない。まさに狂想曲である。
 
 パーティのシーンはカオスだが、よく見れば細部にたくさんの工夫が施されている。映画館の大画面で観るのがいい。過去と現在の映画人に対する尊敬があり、映画そのものへの愛情もある。映画に関わるすべての人々に対する感謝のようなものもあり、映画好きとしては悪い気はしない。

映画「La Civil」(邦題「母の聖戦」)

2023年02月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「La Civil」(邦題「母の聖戦」)を観た。
『母の聖戦』オフィシャルサイト

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 衣食足りて礼節を知るという諺からすると、本作品では警察よりも軍隊の方が恵まれているようだ。衣食の足りていない警官は、悪党と手を結んで裏の金を得る。それが分かっているから、市民は警官を信用しない。多分実際のメキシコでもそうなのだろう。
 以前中国人の知人に、日本では現金が落ちていたら、結構な割合で警察に届けられるという話をしたことがあるが、なかなか信じてもらえなかった。現金を拾ったら、拾った人の物になるか、警官の物になるかのどちらかだと言うのだ。
 いまでは中国もかなり裕福になっているから、警察に届けられる率が高くなったかもしれないし、警官が着服する率は減ったかもしれない。

 掛かってきた電話の相手を信用するかどうかは、我々は経験則で判断している。疑わないのは知っている番号からの電話で、電話帳に登録していたら画面に名前が出る。万が一、その番号から別人が掛けてきたとしても声の違いが分かる筈だ。知らない番号から知っている人が掛けてきたらどうか。電話番号が変わったと言われれば信じるかもしれない。登録していない番号からの電話を拒否設定している人には、そういう電話は掛かってこない。

 誘拐犯は、先ず自分が誘拐犯だと信じてもらうことからはじめる。誘拐したその日に電話をすると、信憑性が乏しい。数日間監禁したあとだと、不在を心配している家族は誘拐を信じるだろう。誘拐した人の携帯電話から電話をすれば一番確実だ。
 日本ではそういう状況だろうと推測するが、メキシコでは誘拐がビジネスとして日常的に行なわれているから、誘拐だと言われれば信じてしまう。少なくとも本作品の母シエロは娘ラウラの誘拐をすぐに信じた。別居中の夫グスタボの台詞「どうして一人で外出させたんだ」が、現在のメキシコの危険な状況を物語っている。

 警察は信用できないから、自分で解決を図る。しかし相手は悪党だ。身代金だけ受け取って約束は守らない。結局警察に行くのだが、やっぱり何もしてくれない。それどころか、シエロが警察に行ったことを悪党連中に知らせたフシもある。残る頼りは軍隊か。

 メキシコでの誘拐事件の件数には遠く及ばないが、日本でも毎年300件ほどの略取誘拐事件が発生している。誘拐事件の特殊性のために、大きく報じられることは殆どないから、一般には実感がないが、警察白書を見る限り、起きていることは間違いない。

 衣食足りて礼節を知るという諺には、人間の本質の洞察がある。衣食が足りていないから止むに止まれずに犯罪を犯すのが、犯罪者のスタートだ。それがだんだん仕事みたいになっていき、衣食が足りていても犯罪を犯すようになる。取締を強化したり、厳罰化したりしても、犯罪はなくならなかったが、戦後の衣食が足りなかった頃と比較すると、発生率は低くなっている。格差が減れば、刑法犯が少なくなるのだ。しかし格差が広がりはじめている現在、日本では若者が老人を騙すような犯罪が増えはじめている。日本を本作品のような社会にしたくはないと、誰もが思うところだ。

 現在の日本の若者は燃費がいいらしい。贅沢な食事や金のかかる女やスポーツカーやマイホームなどに興味があまりない。それらは昭和のパラノドライブの時代の遺物だ。低所得でもそれなりに生きていける。であれば、彼らが衣食住に困らない程度の生活を政治が保障すれば犯罪率は減ることになる。犯罪が減れば、それに対応する予算も減らせるし、若者たちも、犯罪以外のことをするようになるだろう。その活動は社会を豊かにする活動だ。税収が増える。困っている人たちへの保障も増やせる。そうした一連の方策こそが、本来の意味でのセーフティーネットだろう。

映画「仕掛人・藤枝梅安 第一作」

2023年02月05日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「仕掛人・藤枝梅安 第一作」を観た。
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池波正太郎生誕100年豊川悦司主演映画「仕掛人・藤枝梅安」二部作2023年2月3日・4月7日連続公開

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 テレビで何度も観たドラマのはずなのに、なんだか新しい。テレビドラマが水戸黄門や銭形平次みたいな勧善懲悪のステレオタイプなのに対して、本作品は主人公藤枝梅安を中心とした、等身大の人間ドラマになっているからだろう。
 仕掛人は人間であって、殺人マシンではない。喜怒哀楽の感情もあれば、欲望もある。諦観や無常観といった人生観もある。ただ、仕掛人が常人と違うのは、いつ殺されてもおかしくない生き方をしているということだ。
 
「これが人生最後の飯だとしたら?」
「今年も死ななかったね」
 
 トヨエツの梅安が愛之助の彦次郎に向かって言うのだが、ふたつとも、なんとも洒落た台詞である。この台詞に本作品の世界観が集約されていると言ってもいい。テレビドラマにはない世界観である。新しく感じた理由はそれもある。
 
 それにもうひとつ。梅安が菅野美穂のおもんに「鍼を打ってやろう」と言うのだが、トヨエツが寺島しのぶと主演した映画「あちらにいる鬼」で、寺島しのぶが演じたみはるに「髪を洗ってやるよ」と言ったのと同じ印象だった。ゾクッとするようなエロティスムがあるのだ。あれこそ男の色気なのだろう。
 
 第二作は2ヶ月後の4月7日の公開だ。とても楽しみである。それまでは生きていよう。

映画「Tout s'est bien passé」(邦題「すべてうまくいきますように」)

2023年02月05日 | 映画・舞台・コンサート
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2023年2月3日(金)公開 フランソワ・オゾン監督作品/ソフィー・マルソー/アンドレ・デュソリエ/ジェラルディーヌ・ペラス

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 安楽死や尊厳死を扱った映画ですぐに思い出すのは2012年の「終の信託」である。安楽死や尊厳死に否定的な日本社会の矛盾を、鋭くえぐってみせた周防正行監督の名作だ。役所広司の名演とともにいくつかのシーンが目に焼き付いている。2019年の「ブラックバード 家族が家族であるうちに」は、親の尊厳死に際して家族それぞれの人間模様を描いた。2019年の「山中静夫氏の尊厳死」では、患者の人格を重んじる誠実な医師の苦悩がクローズアップされた。そして2022年の「PLAN75」では、貧乏老人切り捨てを目的とした安楽死政策が施行された近未来を描いた。

 2022年末の「Dr.コトー診療所」では、人間は人生を全うすべきだという信念で真摯に患者と向き合う医師の姿が感動的であったが、医師はともすれば尊厳死よりも延命治療を選択しがちだ。医療関係者の知己によれば、医学で解っていることは、厳密に言えば1%もないらしい。それは医師も認識していて、植物状態でも延命していれば、いつか回復するかもしれないと思うらしい。しかし不治の病気が人格を阻害するのであれば、それ以上生きていたくないというのは自然な心理だ。延命のための延命ではなく、尊厳死を考える医師も増えていると仄聞する。

 安楽死や尊厳死については、医療、政策、法律が絡む難しい問題がある。本作品はそれらに正面から取り組んでいて、高齢で脳卒中を発症した父親と、その娘の心境を描く。安楽死が許されないフランスの法律と、訴えられたり逮捕されたりすることを恐れつつも、最善の医療を施そうと努力する医師、スイスの安楽死支援団体、そして父から「終わらせたい」と頼まれた娘。
 悪い人は登場しないし、それぞれの登場人物が自分なりに努力する。ただ、考え方が異なるから、スムーズに進まないこともある。しかし互いに相手の人格を軽んじることはないし、アンドレの意思は固い。物語は進むべく方向に進んでいく。俳優陣の演技はとても見事だったし、哲学の国らしいフラットな精神性がとても心地よかった。

 ただ、ひとつだけ気になったことがある。アンドレの台詞「貧乏な人たちはどうするんだろう」である。ベルンでの安楽死というか、自殺幇助には1万ユーロかかるらしい。日本円で140万円ほどだ。たしかに高額で、死ぬにあたって借金したい人はいないだろうから、預貯金がない人には出金が難しいかもしれない。アンドレは裕福だから、その程度の出費はなんでもない。アンドレは貧乏人を見下したのではなく、軽い気持ちで案じただけだ。しかしこちらはなんだかショックだった。貧乏人は死ぬこともままならないのか。

 安楽死や尊厳死の問題は、単に人生観や倫理の問題だけではなく、経済の問題でもあったのか。そういえば「PLAN75」では国家予算で年金が払えなくなって、公務員が公園で炊き出しをしながら老人に安楽死をすすめていた。これから先、岸田政権が戦争をはじめたら、若い人がいなくなって、残された老人たちが死を待つだけの国になるかもしれない。問題はますます複雑になっている。人は必ず老いるし、必ず死ぬ。これからも安楽死や尊厳死は、誰もが考えざるを得ないテーマであり続けるだろう。

映画「スクロール」

2023年02月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「スクロール」を観た。
映画『スクロール』オフィシャルサイト

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生きること。愛すること。 北村匠海 中川大志 監督・脚本・編集:清水康彦 原作:橋爪駿輝「スクロール」 配給:ショウゲート

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 北村匠海と中川大志が主演するということで鑑賞したが、清水康彦監督がちょっと心配だった。というのも、前作の「CUBE 一度入ったら、最後」が底の浅い作品で、菅田将暉や斎藤工、岡田将生、杏、吉田鋼太郎といった芸達者の役者たちの演技をすっかり駄目にしていたからだ。

 出だしはなかなかいい。不協和音のBGMが響く中を、幻想的かつエキセントリックなシーンが続く。極めて個人的なシーンだが、掘り下げていけば人類との共生感に至る可能性もある。国際映画祭も夢ではない気がした。

 「僕」のSNSのつぶやきも、ユウスケの自問自答も悪くなかったのだが、松岡茉優が登場したあたりから、前作の「CUBE 一度入ったら、最後」と同じように、登場人物同士の関係性に重心が移ってしまった。そうなると作品としての底が一気に浅くなる。

 登場人物がそれぞれに自分の問題を掘り下げることで、世界観を共有するような深みのある物語を期待したが、叶わなかった。北村匠海も中川大志もとてもいい演技をしていたので、なんとも残念である。

「そんなんで、生きる意味あんのか?」
「コダマ、マジで死んでほしい」

 ふたつの台詞には共通点がある。こういう言葉を吐くのは、いずれも世の中のパラダイムに毒されてしまった人間である。パワハラをする方もされる方も、寛容や優しさから程遠い精神性だ。思春期の中学生のレベルから一歩も成長していない。
 これでは共感を得られないし、登場人物の誰にも感情移入ができない。人間としての度量が狭すぎるのだ。だからどれだけ掘り下げても人類との共生感に至ることはない。国際映画祭など夢のまた夢だ。やれやれ。

映画「FALL フォール」

2023年02月03日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「FALL フォール」を観た。
映画『FALL/フォール』公式サイト|2023年2月3日(金)公開

映画『FALL/フォール』公式サイト|2023年2月3日(金)公開

映画『FALL/フォール』公式サイト|2023年2月3日(金)公開

https://klockworx-v.com/fall/

 簡単に言えば、フリークライミングの事故で夫を亡くしたベッキーの、立ち直りの物語である。そして事故のときに一緒にいた、女性クライマーのハンターがもうひとりの主人公だ。ベッキーがファーストネームで呼ばれるのに、何故ハンターはファミリーネームなのかは、特に説明されない。

 起承転結がしっかりしていて、展開は非常に分かりやすい。キーワードは「適者生存」だ。ハゲワシが登場したときに、ハンターが口にする台詞である。何故キーワードなのかは、終盤になると分かる。
 そんなことよりも、本作品の最大の特徴は、お尻のあたりがゾワゾワするくらい怖いことだ。ホラー映画みたいな未知のものに対する怖さではなく、眼の前にある物理的な恐怖だ。当方は、東京タワーの展望台のアクリルの床に立つのも怖いくらいだから、地上600メートルの高さは想像もつかない。足場は狭いし、高所の強風が吹く。フリークライマーだからこそ平気でいられるのだろう。習うより慣れろである。しかし登ってきた梯子は壊れて落ちてしまった。

 どうすれば助かるか。極限状況に置かれたふたりは、失敗が許されない決断を実行するが、運命の女神はどこまでも冷たい。
 最終盤はネタバレになるので書けないが、まあまあ納得のラストだった。ホラー映画には鑑賞後に安堵感があるが、本作品には爽快感がある。緊張と弛緩。ストレス解消にはピッタリの作品である。

映画「ピンク・クラウド」

2023年02月03日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ピンク・クラウド」を観た。
映画『ピンク・クラウド』オフィシャルサイト

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2023年1月27日(金)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

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 映画の冒頭で、2017年に考えられたシチュエーションドラマで2019年の映画化だから、コロナ禍とは無関係に創出された作品だというテロップが流れる。コロナ禍と重ね合わさないで、独自の極限状況の中での人間の心理を想像して欲しいという訳だ。

 全編を通じて流れる不協和音のBGMが、不快で不穏な状況を際立たせる。主人公は知り合ってセックスをしたばかりの30歳くらいの男女で、翌朝に怪現象が起きて高層アパートの上層階に閉じ込められる。
 時間が瞬く間に過ぎる。その間には、協力があり、対立があり、融和があり、妥協がある。情報のやり取りはインターネットで、テレビのニュースもある。情報はあるが、実感がない。外に出ない、他人と触れ合わないのは、思っている以上にストレスになるのだと、本作品は伝えている。
 逆に言えば、社会は多かれ少なかれ、共依存の集合だということだ。そこから脱しようとすれば自殺するしかない。インターネットには視覚と聴覚による結び付きがあるが、それはある意味で幻想である。ふたりのうちのどちらかが自殺すると言い出すのではないかと思いながら鑑賞した。

 決して楽しいドラマではないが、リアリティがあって、スクリーンから目が離せない。役者陣が総じて好演で、カメラワークもいい。ブラジル映画のレベルの高さがうかがえる。思考をかきたてられるという点では、かなりの傑作だと思う。

映画「あつい胸さわぎ」

2023年02月01日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「あつい胸さわぎ」を観た。
 
 意外に、と言っては失礼だが、ちゃんと中身のある映画だった。髙橋泉さんの脚本は、台詞が自然で無理がない。ここ数年で観た映画では「ひとよ」「朝が来る」「記憶の技法」を鑑賞した。いずれも演技によって浅くも深くもなる台詞が多くて、監督や役者のポテンシャルが発揮されやすい脚本だと思う。本作品は役者陣が概ね好演で、難しいテーマを日常生活の場面に昇華している。
 常盤貴子がいい。娘に対する真っ直ぐな愛情は、昭子の真っ直ぐな性格そのままだ。自分が人を好きになる性格だから、人も自分を好きになるものだと考えるお調子者でもある。不器用でも、いい人が好きだ。
 大学生になりたての娘千夏を演じた吉田美月喜も悪くなかった。思春期から二十歳すぎまでの時期は、他人が自分のことを理解してくれて当然だと思っている。だから大人が分かってくれないと、いじけたりひねくれたりする。その時期を過ぎると、人と人とは解り合えなくて当然だということに気づく。少しでも理解するためには、話し合って、歩み寄らなければならない。
 
 おっぱいがなくなっても恋愛はできるのか。若い女性にとっては切実なテーマである。乳房の大きさや乳首、乳輪の色や形に悩んでいる女性もいるだろうが、乳房そのものがないこととは前提が異なる。授乳をはじめとした育児にも深く関わる問題だ。千夏は選択肢が複雑すぎて泣けてくる。
 結婚、出産、育児は、現代の女性にとっては義務ではない。してもしなくても人生は送れる。女性には選ぶ権利がある。人間は共同体のために生きているのではない。少子化は全体としての現象であって、個人の責任に帰すべきではないのだ。勘違いしている政治家が多いのは実に残念である。
 
 人格障害または発達障害と思われる幼馴染みのタカシのことは、千夏はこれまで自分とは異質の人間だと思っていた。これまでタカシのことを分かろうとしなかった。大人たちの態度と同じだ。千夏は、おっぱいがなくなったときの自分のことを想像すると、タカシの立場に似ていることに気づく。タカシがコミュニケーション能力が不足していることで差別されているように、自分もおっぱいがなくなったら差別されるかもしれない。しかしそれでも生きていかなければならない。
 
 ラストシーンではタカシが予想外の成果を見せる。そして「なめんなよ」と嬉しそうに言う。そうか、タカシはタカシなりに努力しているんだ。ならば自分も頑張る。千夏は自分に言い聞かせるように、タケシに向かってガンバレと叫ぶ。差別されても強く生きていくんだ。ガンバレ、タケシ。そして頑張れ、わたし。乳癌が出来ても、お母さんは変わらず愛してくれる。世の中にはお母さんのような男性もいるに違いない。千夏は少し大人になった。