三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「コンペティション」

2023年03月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「コンペティション」を観た。
映画『コンペティション』公式サイト3/17(金)ロードショー。

映画『コンペティション』公式サイト3/17(金)ロードショー。

3/17(金)公開!『コンペティション』公式サイト。ペネロペ・クルス×アントニオ・バンデラス競演!スペイン発、映画業界を皮肉る業界風刺コメディ

映画『コンペティション』公式サイト3/17(金)ロードショー

 上映中の映画「シン・仮面ライダー」に主演している池松壮亮が、2003年に12歳で映画「ラスト・サムライ」に出たとき、トム・クルーズからペネロペ・クルスを紹介してもらったエピソードを披露している。抱きしめられると、それまで嗅いだことのない香りがしたそうだ。20年前の話である。
 1974年生まれのペネロペ・クルスは、48歳のいまも美しいが、20年前の28歳くらいのころは、この世のものと思えないほどの美しさだったに違いない。トルストイやドストエフスキーやゲーテや夏目漱石など、歴史的な文豪に彼女を会わせたら、どんな文章で表現するのか考えると、言葉が無限に広がる気がする。
 その後、単なる美人女優から脱却したようで、2021年の映画「パラレル・マザーズ」では、娘を取り違えられ、実の娘を亡くし、間違った娘を本来の母親に返すことで、一度に2人の子供を失った母親の喪失感を繊細に演じきっている。見事な演技だった。

 本作品では才能ありげな映画監督ローラを演じていて、話がとても上手い。曲者の中年男2人の俳優を相手に奮闘するのだが、ひとりは観客を見下している芸術至上主義者イバンで、もうひとりは俗物根性丸出しの拝金主義者フェリックスだ。必然的に2人の俳優は互いにマウントの取り合いをする。しかしローラも負けていない。自分の才能に絶大な自信を持っている。2人の俳優の自信の象徴のようなものをぶっ壊すことで、俗物的な精神の殻を破って、虚心坦懐な演技をさせようとする。その思惑は上手くいくのか。2人の俳優のマウント合戦はどんな結末を迎えるのか。

 設定がアンバランスだから位置エネルギーが自動的に物語を進めていく。そういう仕掛けの作品だ。3人の力関係が微妙に変化していく様が面白いのだが、オーナーも含めれば、映画界の力関係そのものでもある。ローラの自宅のシーンでペネロペ・クルスが脇毛を披露したのも、ひとつの象徴だろう。その意味を考えれば、とても興味深いものがある。

映画「シン・仮面ライダー」

2023年03月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「シン・仮面ライダー」を観た。
『シン・仮面ライダー』公式サイト

『シン・仮面ライダー』公式サイト

『シン・仮面ライダー』絶賛公開中 原作:石ノ森章太郎 脚本・監督:庵野秀明

『シン・仮面ライダー』公式サイト

 実は仮面ライダーには詳しくない。菅田将暉や福士蒼汰といった若手俳優が登竜門みたいにその役を演じたことは知っているが、数多あるヒーローものや戦隊もののひとつだと思っていて、テレビも映画も観なかった。
 しかし「シン・ゴジラ」がとてもよかったのて、庵野秀明監督に期待して鑑賞した。一方で「シン・ウルトラマン」みたいな期待ハズレも、ある程度は覚悟していた。本作品は、浜辺美波のバーターと思われる長澤まさみの意味不明なシーンはあったものの、全体としてはそれなりに面白かった。

 予備知識がないので世界観が不明だったが、本編を鑑賞した限りでは、それほど難しい思想ではない。当方が勝手に理解した本作品の世界観は、以下のようである。
 ショッカーの目的は人類の幸福の追及である。追求ではなく追及だ。しかしその基準は異常極まりない。人類のうちで一番コンプレックスが強いカテゴリーを基準とするのである。ショッカーのテーマは、最も恐怖と不安に苛まれつづけている人間たちが救われるにはどうすればいいかということだ。
 よりにもよって、ショッカーは最も短絡的な結論を出す。そういう人間たちに力を与えることだ。プラーナと呼ばれる、人間以外の生物のエネルギーの集合体みたいなものを注入することで、身体能力が飛躍的に向上する。出来なかったことが出来るようになるのだが、その度合いがあまりにも大きいので、喜びを通り越して人格崩壊に至る。他人を従わせるだけでなく、従わない者たちを当然のように排除するようになるのだ。

 コンプレックスの塊みたいな弱い人間が力を得たらどうなるか。ここで、2022年に射殺された暗愚の宰相を思い浮かべた人は、かなりの慧眼の持ち主である。本作品に登場するオーグたちは、あの男と同じく、人格破綻した指導者たちなのだ。ということはそれを作り出したショッカーという組織は、人類そのものということになる。
 池松壮亮が演じた本郷猛は、戦いに向かない優しさの持ち主である。それ故にショッカーをドロップアウトして、人格破綻者たちと闘う羽目になってしまった。そして、究極の強さとは闘わない優しさであることを示す。本作品の世界観には、そんな一面があると思った。

映画「ベネデッタ」

2023年03月18日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ベネデッタ」を観た。
映画『ベネデッタ』公式サイト|2023年2月17日公開

映画『ベネデッタ』公式サイト|2023年2月17日公開

映画『ベネデッタ』公式サイト|2023年2月17日公開

https://klockworx-v.com/benedetta/

 ベネデッタに起きた奇跡は本物なのか、それとも捏造なのか。湧いてくる疑問に揺れながらの鑑賞となる。当方は無信仰で、エホバもヤーベもアッラーもシバもヴィシュヌも信じていないので、当然ながらベネデッタの自作自演だと、頭では思っていた。しかし幻想のシーンが見事すぎて、どうしてもベネデッタを信じたい気持ちに傾く。理性と情緒のせめぎ合いである。
 自作自演でみずから聖痕をつけたにしては、傷の箇所が多すぎるし、度合いも激しすぎる。人間は極限状態になると、痛みさえ感じなくなるものなのかもしれないが、よく解らない。それとも自閉症スペクトラムの一種なのだろうか。
 観ている側の思考は揺れまくるが、ストーリーは割と一本道で、ベネデッタと彼女を取り巻く人々の信仰や権力欲や保身が描かれる。流石にフランス映画である。哲学的な側面から信仰心に深く切り込む。

 ラスト近く、ベネデッタが元院長に向けて放った言葉に、少し驚いた。
「あなたは一度も神を信じなかった」
 驚くほどの洞察力だ。自閉症の人間に他人に対する洞察力はない。ベネデッタに精神疾患は認められない。だとすれば、ベネデッタの聖痕はやはり信仰心の賜物なのだろうか。
 信仰や教会といったキリスト教の真実に迫ろうとする映画をいくつか鑑賞したが、本作品は群を抜いている。

 愛は精神なのか肉体なのか。精神と肉体は切り離すことができないとすれば、エロスとアガペーは愛の表と裏で、表現が違うだけなのかもしれない。
 こういったことは、中学や高校のときによく考えたものだが、社会人になってからはそういう思索とは無縁になっていた。本作品をきっかけに思索を続けてみると、日常の煩わしさから解放される感じがする。5W1Hの縛りを離れて、論理やイメージが自由に羽ばたくのだ。そういう意味でも、価値のある作品だと思う。

映画「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」

2023年03月14日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「劇場版 ナオト、いまもひとりっきり」を観た。

 原発の地域に生きる人々の本音が垣間見える作品である。

 原発に関する我々の一般的な認識は、原発は効率よく発電できるシステムだが、天災地変などの原因でひとたび事故が起きてしまうと、放射能を放ちながら暴走し、制御のしようがなくなる。暗愚の宰相が言った「アンダーコントロール」は嘘っぱちで、今でも汚染水は溢れている。セシウム137の半減期は30年だが、物理的に1/10になるのは約100年、環境的な半減期は約200年と言われている。たれ流しの放射能が今後の地球にどのような悪影響を及ぼすことになるのか、想像もつかない。だいたいそんなところだ。

 原発は多くの電力を供給するが、一方で大きな危険を孕んでいる訳だ。制御できない危険を犯すべきではないという考え方が世界の主流となって、ヨーロッパではドイツを筆頭に、再生可能エネルギーの開発に舵を切る国が多い。しかし日本では、原発を再稼働する方向だ。
 原子力発電所は建物で原子炉は構造物だから、それぞれに耐用年数がある。原発の耐用年数が40年とされているのは、それ以上の期間の使用は原子炉の劣化に繋がり、原子炉が劣化すると熱に耐えきれなくなって、大きな危険が生じるからだ。
 ところが岸田政権は、適切なメンテナンスをすれば40年を超えても使えるとして、原発の再開に向けて動き出している。危険を未来に先送りするやり方に疑問を呈する人もいるが、岸田文雄はお得意の「聞く力」を発揮して、アベシンゾーの言霊を聞いているようだ。この男の耳には批判の声は届かない。

 本作品を観て驚いたことがある。原発の被害に遭った人は、戦争で被災した人々が戦争に反対するのと同じように、原発反対だと思いこんでいた。しかし一部の人々の本音は、そうでもないことがわかったのだ。
 原発の建設は地域に雇用や土地の買収といった経済効果をもたらす。そこで地域の人はこう考える。原発はたしかに危険だ。しかし事故はめったに起きない。それよりも地域が潤う方がいい。若い人は戻ってくるし、子供が出来れば学校も出来る。未来につながる活性化だ。
 こういった幻想を抱くのは、ある意味仕方のないことである。誰でも人類の未来よりも自分の未来が大事だ。いまの生活が苦しいのに未来の地球のことを考えろといっても無理がある。それに、原子力発電所というのは、そういった幻想を抱かせるほど巨大なプロジェクトなのである。政官財学、それにマスコミが一緒になって、原子力ムラを構成し、地域住民に金と夢をばらまいた。それがどれほど罪深い所業であったか、死んでいく動物たちが無言で語っていた。

映画「Winny」

2023年03月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Winny」を観た。
映画『Winny』|公式サイト

映画『Winny』|公式サイト

大ヒット上映中!東出昌大×三浦貴大 W主演、松本優作監督。ネット史上最大の事件、禁断の映画化!日本の天才はなぜ警察に潰されてしまったのか。

 権力者の一番の目的は、権力の維持だ。もっと具体的に言えば、権力者である自分の立場を守ることだ。歴代自民党政権はずっとそうだった。権力者の立場を維持するためにアメリカの言うことを聞かねばならないのなら、喜んで尻尾を振る。まだ大統領に就任する前のトランプにいち早く会いに行ったアベシンゾーの浅ましい姿がその象徴だ。
 彼らは哲学もなく、論理もなく、科学も重んじない。培ってきたのは流暢な舌先三寸と権謀術数だけである。脅しと透かし、アメとムチ、何でも使って官僚をてなづけ、マスコミに忖度を強制し、財界に同調させる。時として労働組合の姉御とも手を組む。政官財報労のペンタゴンだ。そんな連中がヒエラルキーの上位に居座っていては、国民は自由を奪われ、活気を失って疲弊し、当然の結果として経済は縮小する。

 そんな社会構造の中でWinnyが開発された訳で、その可能性に気づく人々がいる一方、既得権益の保守に余念がない連中は、国民に知らせたくない情報が流出してしまうことを恐れ、開発者も利用者もすべて取り締まる暴挙に出る。
 三浦貴大が演じた壇弁護士は、Winnyの可能性に気づいた少数派のひとりで、なんとしても無罪を勝ち取らなければ、日本のソフト開発に未来がないと判断する。しかし日本の司法はあまりにも行政寄りだ。行政を正面から否定する判決は滅多に出さない。
 Winnyの裁判が長引いた結果、日本のソフト開発は遅れに遅れ、その間にアメリカのGAFAに先を越されて、世界のインターネットビジネスから弾き出されてしまった。サラリーマンはGoogleで検索やファイル共有を行ない、エクセルで計算してアクセスやファイルメーカーでデータを管理する。SNSはGoogleのyoutubeやメタのFacebook、InstagramやTwitter社のTwitterなどに席巻されている。かろうじて生き延びている日本製のソフトは日本の税法や証券取引法に合わせた会計ソフトや労務管理ソフトくらいなものだが、残念ながら海外では使えないガラパゴスプログラムだ。

 本作品を鑑賞して思い起こした方も多いと思うが、近頃話題になっている、高市早苗が総務大臣時代に発言したとされるメディアに対する言論弾圧の構図とよく似ている。もしこのまま高市が議員辞職をせず、放送法の解釈が勝手に変更されたままになってしまうと、日本のメディアは言論の自由を奪われることになる。Winnyの取締りによって日本のソフト開発が駄目にされたのと同じだ。

 そう考えると、本作品がこの時期に公開されたことは、奇跡の時宜だったと言える。壇弁護士役の三浦貴大の演技はとても上手だった。東出昌大の演技はややエキセントリックに過ぎた。実際の金子勇さんはずっとまともでナイーブな人だったと思う。

映画「オマージュ」

2023年03月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「オマージュ」を観た。
映画『オマージュ』公式サイト

映画『オマージュ』公式サイト

映画を愛するすべての人へ。そして、かつて輝きながら消えていったすべての者たちへ――。3月10日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!

映画『オマージュ』公式サイト

 更年期を迎えようとしている売れない映画監督が、同じような境遇だった女性が監督した60年ほど前の映画の、失われた断片を探す物語である。地味なシーンの連続だが、少ない手がかりを頼りに切れそうな糸を辿るところは、刑事ものや探偵ものみたいな面白さがある。主演女優も地味だが、なかなかいい。

 韓国は儒教の国である。大抵の宗教と同じように、韓国でも儒教の教義は強い者に都合のいいように捻じ曲げられている。上司や親や国家権力などの上位者には逆らってはならず、命令には従わなければならない。つまり強い者が得をして、弱い者が割を食う構図だ。女性や貧しい人は、2023年の現代にあっても、損な立場にいるが、60年前は現代の比ではない。
 本作品の主人公ジワンも、夫や義母、息子からさえも、妻として嫁として母としての立場と義務を求められる。多くの韓国映画で儒教の悪しき解釈が具現化されているのを目の当たりにするが、本作品もそのひとつだ。

 韓国社会は格差を解決する方向よりも、なんとかしてヒエラルキーの上位に行こうと努力する傾向にある。学歴の極端な偏重は、上位に行くための基準が一般化されてしまった結果だ。学歴偏重とセットになっているのが個性軽視である。個性軽視は即ち人格軽視だ。人間をカテゴリに分けて女はこうしなければならない、子供はこうだ、学生はこうだ、会社員はこうだと決めつける。その結果、社会は硬直し、格差が固定化する。

 しかし韓国の映画人は、世界の映画人と同じく、個性や人格を重視する。当方が鑑賞した映画では「パラサイト半地下の家族」「はちどり」「82年生まれ、キム・ジヨン」などが、韓国社会の封建制をあぶり出した作品だ。いずれも優れた映画である。
 本作品はそれらと一味違って、韓国社会の封建的な本質を描いてはいるが、それよりも、ひとりの女性の生き方を深く掘り下げる。過去と現在の二人の映画監督に共通する憂いに、人間社会の不条理が浮かび上がる。ジワンが抱いている閉塞感や鬱屈がよく伝わってきた。

映画「A man called Otto」(邦題「オットーという男」)

2023年03月11日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「A man called Otto」(邦題「オットーという男」)を観た。
映画『オットーという男』 オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

映画『オットーという男』 オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

町内イチの嫌われ者。だけど… 好きにならずにいられない。映画『オットーという男』3月10日(金)全国の映画館で公開

映画『オットーという男』 オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ

 たまにこういう映画が作られる。嫌な感じの人間が実はいい人だったという話だ。ちょっと感動的な身の上話もある。どうぞ泣いてくださいという作りだが、いざ鑑賞してみると、大した感動はなかった。

 脳神経学者によると、セロトニンという神経伝達物質が脳に不足すると、人間は精神の安定を失ってキレやすくなるらしい。セロトニンの量が最大なのが25歳のときで、それ以降は減少の一途だ。つまり歳を取ると精神的に不安定になるから、怒りを抑えきれなくなるとのことだ。
 主人公のオット(日本語字幕はオットーだが、OTTOのスペルに伸ばす音はない)は、話の流れからすると60歳くらいと推定される。歳を取ってキレやすくなった老人のひとりだという印象を与えたいという製作者の意図が見える。

 オットの住む住宅は賃貸と分譲の両方の契約があって、分譲の住人は日本で言うマンションの管理組合のようなものを組織して、住宅のルールを決めている。オットはそのルールを忠実に守り、守っていない人に注意する。他人に積極的に関与するのだ。
 人間嫌いの人間は、他人との関係に消極的だ。つまりオットはそれほど人間嫌いではない。むしろ他人との関わりに喜びを見出そうとする、承認欲求の強いタイプである。序盤と中盤以降でオットの性格が変わってしまったように感じたのは、物語を進める上での必要性からだろうが、人間の性格が変わるためには、それまで生きてきた⅓の年数がかかるという。引っ越してきたメキシコ人の隣人とちょっと交流したくらいで変わるものではないのだ。違和感を覚えたことは否めない。

 オットの世界観は共和党支持者のように伝統を重んじる一方で、リベラル派のように他人の尊厳を尊重するという、矛盾を孕んだものだ。自分自身でとことん考えた訳ではないから、人生観に深みがない。大抵の人の世界観や人生観は、多かれ少なかれ矛盾があるし大して深みもないから、オットの世界観も人生観も強ち否定されることはない。
 しかし映画としてはオットの世界観が作品の世界観になるという側面がある。だから鑑賞後の印象は、世界観や人生観の浅い、とっちらかった作品というものになってしまった。トム・ハンクスの演技がとてもよかっただけに、少し残念である。

映画「Eiffel」(邦題「エッフェル塔~創造者の愛~」)

2023年03月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Eiffel」(邦題「エッフェル塔~創造者の愛~」)を観た。
映画『エッフェル塔~創造者の愛~』公式サイト

映画『エッフェル塔~創造者の愛~』公式サイト

3月3日(金)新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開

映画『エッフェル塔~創造者の愛~』公式サイト

 人々の役に立つものを安全第一で作り上げる。それが建設技師であるギュスターヴ・エッフェル社長の揺るぎない信念だ。実用的であったり、象徴的であったりする建設物は、おのずから人々を集める。様々な経済効果をもたらし、周辺地域は栄える。街道沿いや城の周囲には必ず町ができるのだ。エッフェル塔もまた、人々に愛され、多くの来場者が押し寄せるだろう。

 歴史的な建造物の建設と恋愛物語が同時進行する。時は19世紀。18世紀終盤からの革命、共和制や王政、帝政などの目まぐるしい政変を経て、普仏戦争でプロイセンと和議が成立して第三共和政が成立すると、パリは少し落ち着いた。
 風俗的には、フランス革命以降のキリスト教の影響が強い。革命の主体となったのは、貴族でも農民でもない市民である。商業や工業で財を成し、キリスト教の教義を規範としていた。王政時代の社交界の奔放な恋愛事情は否定され、妻が夫の所有物と看做されるなど、女性の地位が貶められている。当然だが、離婚も不倫もタブーである。
 皮肉な話だが、19世紀のフランス文学の多くが不倫を扱っている。もともと恋愛は婚姻とは無関係だった。禁じられるとなおさら燃えるというのが世の習いである。本作品はアドリエンヌが人妻だったからこその物語だ。
 現代のフランスは女性の地位が再び向上し、恋愛至上主義が蘇りつつある。少なくとも日本と違って他人の恋愛に寛容だ。不倫が実はかつての純愛の再燃だったという話は、いまの時代なら、もしかしたら美談になるかもしれない。

 19世紀のヨーロッパ人は精力的で、橋梁や駅舎、記念碑など新しい建設物を次々に建立した。その一翼を担ったのが優れた技師であるエッフェルである。フランスからアメリカに贈られたニューヨークの自由の女神の骨組みを担当したことは作品中に紹介されている通りだ。
 しかし政情が安定したとは言え、アルザス、ロレーヌ地方をプロイセンに譲渡して、フランスの財政はそれほど豊かではない。国もパリ市も同じだ。エッフェル塔建設にあたっても、補助金を出すだけで、建設費用の多くはエッフェル社が負担した。そして作品で紹介されている通り、エッフェル塔の建設は決して順風満帆ではなかった。

 本作品は歴史上の人物をモデルにしたフィクションである。とてもよく出来ている。特にアドリエンヌを登場させたことが秀逸だ。ギュスターヴの誠実な人柄と情熱を愛したアドリエンヌ。難航するエッフェル塔建設に直面する彼を、何が精神的に支えたのか、上手に考察してみせている。
 ストライキに反対運動に金策の難航、それに恋愛のすれ違いと、苦しい日々の連続だが、それでも労働者を励まして、26ヶ月という驚異的な早さで竣工を迎える。エッフェル社長の精神的なタフネスぶりに感心したが、考えてみれば、アドリエンヌの存在がエッフェル塔建設のモチベーションとなっていた可能性は大いにある。塔の建設が恋愛を励まし、恋愛が塔の建設を励ますという両輪が、エッフェル社長を支えていたのではないか。
好色な人間は信用できるという下世話な話を思い出した。エッフェル社長は好色ではないが、恋愛に前向きだ。それだけ人間としてのエネルギーに満ちているということなのだろう。不倫を非難する後ろ向きの精神性は、文字通り建設的ではない。ゴシップ記者にお似合いだ。

映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」

2023年03月03日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を観た。
映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』公式サイト

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』公式サイト

マルチバースとカンフーで世界を救え?!スタジオA24(「ミッドサマー」)が贈る空前絶後のアクション・エンターテイメント、降臨。2023年3月3日(金)公開

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』公式サイト

 Nothing matter.
 普通は「何でもない」と訳す言葉だ。本作品では同じこの言葉が娘と母親の台詞で使われるが、その意味は異なる。
 中盤の娘の Nothing matter.は「(この世界に)意味のあることなんて何もない」という意味だったのに対し、終盤の母親の Nothing matter.は「何も問題ない」という意味だ。この意味の違いが本作品の世界観を分かりやすく物語っている。日本語字幕の担当者の洞察力が凄い。
 
 序盤は相対性理論や量子力学による宇宙観があって、少しワクワクする。ミシェル・ヨーはアクション女優でもあるから、久しぶりに彼女のカンフーアクションが見られたのもいい。
 新約聖書では税収吏は悪人とされていて、本作品に登場する女性の職員も、嫌味で高慢なクズに描かれている。そんな彼女がコテンパンにやられたり、物語の重要な役どころを担ったりするのは面白かった。「ウィリアム・テル序曲」や「月の光」といったクラシック曲が効果的に使われているのもいい。
 
 量子力学の壮大な宇宙観が家族愛の話に収斂されてしまうのは、ハリウッド映画らしい尻すぼみで、もう慣れた。おかけで終盤が冗長になってしまったのはマイナスだが、全体としては、CGIを駆使し、カオスとスラップスティックのドラマを演出しているところはとても楽しめた。
 
 中国語と英語が使われるが、字幕に出てこない言葉がある。ミシェル・ヨーの台詞「神経病(センジンビン)」だ。頭悪いとか、頭おかしいみたいな意味で使われる。字幕を出せないほどひどい言葉ではないので、過剰な忖度が働いたのかもしれない。
 
 新聞の論評で、一度観ただけでは理解し難く、リピートを促す作品だという文章を読んだが、ハリウッド映画らしい世界観の薄い映画だから、一度観れば十分である。LGBTや格差の問題、政治による弱い者いじめなどを盛り込んではいるものの、切込みは浅い。この作品がアカデミー賞にたくさんの部門でノミネートされていることには、違和感を覚えざるを得ない。Nothing matter.

映画「Paper City 東京大空襲の記憶」

2023年03月02日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Paper City 東京大空襲の記憶」を観た。
 
 1945年3月は、日本各地を大空襲が襲った。東京大空襲、名古屋大空襲、大阪大空襲。東京大空襲の死者は10万人だ。長崎原爆の7万人を超え、広島原爆の14万人に迫る。
 
 軍人や軍に勤務していた人たちの遺族には、遺族年金や遺族弔慰金が支給される。いまだに支給されている。支給しているのは自民党政権であり、戦没者遺族会は政党の根強い支持母体となっている。戦没者というのは軍人や軍勤務の人たちであり、一般の民間人は含まれない。つまり大空襲で亡くなった人々の遺族には1円たりとも公費の支給はなかった。
 
 大空襲の被害者たちが集まる街頭集会の横を、右翼の街宣車が通る。拡声器で「東京大空襲。悪いのはアメリカであって、日本ではない。国に補償金を要求するなんて、そんな乞食みたいなことはやめなさい」と叫ぶ。それを虚ろに見つめる老人たち。しかし集会の目的はカネではない。街宣車の右翼は老人たちの目的を歪めて解釈し、非難しているのだ。街宣車の費用や右翼たちの日当は何処から出ているのだろうか。
 
 大空襲の被害に遭った民間人が求めているのは、補償金でも年金でも弔慰金でもない。国が民間人に大きな被害をもたらした責任を認めることを求めているのだ。カネよりも責任の所在である。その先には、国として二度と戦争をしない覚悟を約束してもらう目的がある。
 
 アベシンゾーからカス、キシダメと続く暗愚の宰相たちと自民党政権は、このところ急激に軍拡を進めている。戦争法案を通し、軍事予算を倍増する。そして国民の監視を強化する。マイナンバーカードのゴリ押しや電子帳簿保存法はその一環だ。街宣車の右翼もおそらくそうだ。日本を再び戦争国家にしようとしているのだ。
 
 国の威信という言葉を口にする者たちがいる。国の威信と国民の命を天秤にかけて、国の威信が大事だと言い張る。東條英機の精神性と同じだ。あまりにも愚かである。彼らは戦争被害の悲惨さを知らない。国民の命に比べれば、国の威信など無用の長物である。そんなものは投げ捨てて、他国に平身低頭しても、戦争だけは回避しなければならない。その覚悟がある政治家が日本にいるだろうか。
 しかしいま、国民の多くが、あまりにも愚かなその精神性に陥りつつある。国民の命よりも国家の威信。それは戦争に向かう精神性である。かつて大空襲で被害に遭った民間人のように、国家の威信のために国民は再び受忍を強いられることになる。老人たちの危惧は計り知れない。