映画「動物界」を観た。
設定も、世界観も面白い。演出や脚本も見事である。
中島敦の小説「山月記」を思い出した。性格の狷介な男が、人間社会と相容れないでいるうちに、虎になってしまうというファンタジーである。虎になって、体中に力が漲っているのを感じながら、地面を蹴って走るときの描写が、とても印象的な作品で、映画「ザ・フライ」でも、同じように体に力が漲るシーンがあった。そのときも「山月記」を思い出した。
本作品の動物は、徐々に遺伝子が変化していくようで、とてもリアルである。それと並行するように、人間としての記憶や能力は、少しずつ失われていく。「山月記」にも同じような記述があり、最初は、どうして虎になってしまったのかと考えていたのに、最近は気がつくと、どうして以前は人間だったのだろうと考えている、恐ろしいことだと、主人公に言わせている。
本作品は、人間のアイデンティティの問題に留まらないようだ。動物になってしまったものたちとの共生を図るノルウェーの政策がさり気なく紹介されるが、本作品には、地球の環境が人間だけが住みやすいようになってしまっていることを、動物の視点から鋭く指摘しているようなシーンがある。
虚栄心の充足や快適さを求めるあまり、地球環境を都合よく作り変える。人間は自ら作り変えた環境に縛られて、精神的に不自由になってしまった。一見、良識があるように見えるフランソワも、家族という束縛や独善に縛り付けられて、息子エミールの変化に対して場当たり的で保守的な対応をしてしまう。
自分が動物になってしまったら、どう感じるだろうかと、ずっと考えながらの鑑賞となった。人間の能力が失われていくということは、余計な想像や被害妄想がなくなり、不安や恐怖から解放されることかもしれない。明日死ぬかもしれないと考えることなしに、今日の食料を求めて生きるのは、少なくとも不幸ではない。人間と関わらなければ、動物に個性はない。アイデンティティの危機もなく、自尊心が傷つくこともない。野生として力強く生きていくことは、それだけで生の充実がある。「生きろ、エミール」と呼びかけたフランソワの声は、幸せの予感に満ちていた。
息子エミールの変化する様子が、非常にダイナミックだ。論理的な思考に優れた頭のいい少年が、自分に起きた変化や、同じ状態の他人に対して、どのように対応し、関わっていくのか。最初の戸惑いや困惑が、受容と肯定に少しずつ変化していく有り様が手に取るように分かる。ポール・キルシェは、とても上手い。2022年製作の映画「Winter Boy」での、繊細な弟リュカの名演を思い出した。
警察の曹長ジュリアを演じたのは2013年製作の映画「アデル、ブルーは熱い色」でアデルを演じたアデル・エグザルコプロスである。思春期の揺れ動く少女を儚げに演じていたのが印象に残っている。あれから10年。30歳になって、落ち着きとニュートラルな精神性を具えた女性を演じられるようになったのかと、個人的にちょっとした感慨があった。