野田佳彦首相は今は亡き会田雄次を尊敬しているのだとか。京都大学の名誉教授であった会田は、会津藩士の子孫を自称していただけあって、口先だけの人間を徹底的に批判した。祖父は会津藩の地侍で、尊皇熱に浮かされて脱藩をして京都に出たというのだから、特異な経歴の持ち主であった。有栖宮熾仁親王の馬廻役として仕えながら、東征で江戸までは行ったものの、それから先は躊躇してしまい、そそくさと京都に戻った。その後は小吏として人生を終えたのだった。嘘を吐けなかったから会津藩を離れたのであり、かつて王城の護衛者であった仲間を討つのはしのびなかったから、戦列を離れたのだ。時勢に媚びるのではなく、信念を貫いたのである。その孫である会田は、団塊の世代の卑怯な振る舞いを「日本の遺言」のなかで糾弾している。全国で学園紛争が吹き荒れた時代に、全共闘の集団が京都大学医学部の教授をつるしあげたことがあった。彼らは「中国のはだしの医師にならって山間僻地へ医療充実のため大挙おもむくだろう。10年、20年後、諸君らは、人民と共に生きる医者で溢れている日本の僻地の姿を見るはずだ」と高らかに宣言した。1969年のことである。その言葉とは裏腹に金儲けに奔走している団塊の世代を、会田は痛烈に皮肉ったのだった。団塊の世代よりは下ではあっても、野田首相がやっていることはまるっきり同じではないか。できもしないことを口にして、責任を取らずに居直る。会田が生きていられたらば、会津っぽの常として、面と向かって野田首相を痛罵したはずだ。
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