草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

いくら自民党であろうとも在日からの献金は大問題だ!

2012年10月18日 | 政局

 自民党の石波茂幹事長まで外国人から献金を受けていた。それを聞いても私は驚かない。日本国籍がなくても、西日本では平気で政治家を応援するような土壌があるからだ。石波の場合は、最初からその疑いがあったからこそ、自民党総裁選で私は安倍晋三を応援したのである。新進党に在籍したこともあり、自民党一本ではなかったので、付け込まれる隙があったのだろう。小沢一郎から可愛がられたこともあって、在日との関係がない方が不思議なのである。理由はどうあれ、国益を優先させるべき自民党が、民主党の二の舞を演じるようでは、日本の政党政治は幕を下ろすしかない。石波には幹事長を辞めてもらうのが筋ではないかと思う。日本のための保守党に脱皮するのであれば、そこまで厳しさが求められるのである。そうでなければ、在日に支えられた民主党をどうして批判できよう。「泣いて馬謖を切る」勇気があるかどうかなのである。しかも、政権の座に長くあった政党の方が、外国勢力からは狙われやすいのである。政権を目の前にしている今こそ、自民党は膿を出し切るべきだろう。自民党内にだってチャイナスクール出身の政治家もいれば、橋本龍太郎元首相が中共の女性スパイと付き合っていた、との疑惑がもたれたこともあった。自民党だから許すとか許さないとかではなく、国益を損なうような政治家は断じて許してはいけないのである。そうでなければ、真面目に頑張っている政治家が、馬鹿らしくなってしまうからだ。


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三島由紀夫のよき理解者であった若松孝二監督の死を悼む!

2012年10月18日 | 思想家

 情念においては右翼も左翼もなかった。70年安保騒動で問われたのは、命を賭けることができるかどうかだった。京大パルチザンを率いていた滝田修が三島さんの死を評価したのは、その一点においてである。日本赤軍の同伴者であった若松孝二監督が「11・25自決の死三島由紀夫と若者たち」のメガホンをとったのは、私からすればまったく違和感はない。さらに、三島さんの文学に触れるよりも、クーデターを決行しようとした政治的な死に重きを置いた点についても、私は敬意を表したい。三島さんの死は文学者としての死ではなく、あくまでの政治的な意味合いが強かった。最後の最後まで、三島さんは自衛隊の決起を信じたのだと思う。共に立ち上がってくれることを切望していたのだ。それがかなわぬ夢であったために、刃を腹に突き立てたのである。去る12日に若松監督が交通事故に遭い、昨日になって病状が急変して死去した。結果的にこの映画が置き土産になってしまった。日本のラジカリズムに共鳴していた若松監督が、最終的に行き着いた先は、三島さんや森田必勝であったのだ。平成の世にあってもっともラジカルであるのは、シーラカンスと化した共産主義でもなく、市場原理主義のアメリカニズムでもない。日本を再生させることなのである。それが実現される日が来ることを予想して、三島さんは死んで見せたのではないか。あっぱれな死であり、それを映画化した若松監督も立派である。


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