あてもなく信州の地に息をひそめ無用となりし人を思わん
かくまでも山里なれば会津より巨人が住みし脊梁たりし
山峡のホテルにありてカラオケは春日八郎調子はずれし
佐久なれば草笛今も耳にせん坂道遠く牛にひかれん
藤村と牧水なりし青春はのびやかな声佐久の乙女は
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あてもなく信州の地に息をひそめ無用となりし人を思わん
かくまでも山里なれば会津より巨人が住みし脊梁たりし
山峡のホテルにありてカラオケは春日八郎調子はずれし
佐久なれば草笛今も耳にせん坂道遠く牛にひかれん
藤村と牧水なりし青春はのびやかな声佐久の乙女は
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潔く敗れるのも政治家の美学であるのに、サヨクは一度手にした権力は手放したくないようだ。野田佳彦首相は「近いうちに解散」と言っておきながら、内閣改造までやって、選挙目当ての新米大臣を世に送り出す。どうしてそこまでするのだろう。後藤田正晴が『日本への遺言』のなかで、官房副長官時代のエピソードとして、首相在任中の田中角栄のことを取り上げていた。ある時雑談をしていたら、角栄から自由民主党の当選順番の名簿を見せられたという。そこには簡単な経歴や選挙区とかが書いてあり、その名簿の上に、鉛筆で丸が付いていた。後藤田が「丸印はなんですか」と聞いたらば、角栄は「これはなあ、これから先の閣僚になあ、なりうる候補者、それから党の役員なんかのね、候補者という意味で丸付けてあるんだ」と返答したのだった。角栄は常日頃から、人をよく見て、抜かりなく準備をしていたのである。それと比べると、野田首相はあまりにも、いい加減過ぎではないだろうか。保守派から唯一期待されていた、松原仁国家公安委員長の首も挿げ替えてしまった。人を見る目など持ち合わせていないのだろう。そして、田中真紀子を文部科学大臣に据えたのも、目が節穴だからだろう。角栄であったならば、いくら実の娘であっても、それは絶対になかったはずだ。政治家の能力には人材の登用もあるといわれるが、その点においても野田首相は落第だ。
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