ネット言論の勢いに恐れをなしたマスコミが、反撃に出てきている。いずれもお粗末な議論を蒸し返しているだけで、問題にするにも値しない。大新聞の看板をバックにしていたり、さもなければ、売文業者として、それで飯の種にあり付いてきた連中が、危機感を抱いて「ネトウヨ」を連呼しているのだ。私も政治ブログのブログランキングに参加しているが、上位のブロガーはいずれも名前を明らかにしており、正々堂々としている。コソコソと隠れて、誹謗中傷しているわけではなく、自らの主張を公にしているのだから、立派なものである。さらに、ネット言論の多くは匿名であっても不思議とバランス感覚がとれている。ポストモダンとか言われて、ミッシェル・フーコーとかジャックデリダがもてはやされた時期があったが、その日本人の翻訳者のほとんどはサヨクかぶれで、戦後民主主義の衣鉢にすがろうとする醜態をさらしている。それと比べると、ネット言論の方がはるかに想像力にあふれている。公文俊平の『情報文明論』では「大企業や官庁の幹部に匹敵する」ような情報収集能力を持った人間の登場を予言している。そうした個人が集まったグループが形成され、そこからの情報の発信が大きなインパクトを与えるようになるのだ。それはこれまでのエリートとは違って、上から目線の押し付けではなく、熱狂的な空気に水を差すような言論活動によって、個々人の内面の自由の最後の砦となるのである。
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