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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

差別・被差別の壁を解体した中上健次の文学思想!

2012年10月23日 | 思想家

 差別とかいうことが世間の話題になっている。橋下徹大阪市長の出自を取り上げた週刊朝日によって、とか在日とかが人々の口の端にかかるようになったからだ。同年代の作家として私が畏怖するのは、今は亡き中上健次である。少しも作家と感じさせないような雰囲気がありながらも、その作品は何度読んでも読み飽きない。中上の小説を論じる力量がない私は、吉本隆明の「中上健次」の追悼文を引用するしかできないが、「差別・被差別の壁を解体して、地域の自然の景観の問題にかえした」との論評は的外れではない。吉本は「わたしたちの思想的な常識では被差別の問題は、外部からするひいきのひきたおしの同情か、内部からする力みかえった逆差別の脅迫によって、差別の壁を高くすることにしかなっていない」と現状を認めつつも、それを突破解体するのに、中上が果たした役割を高く評価した。中上の作品に登場する人物たちが、日雇い人夫であったり、こそ泥やかっぱらいをやってそれを使い果たす若い衆であっても「みんな高貴な魂や聖なる山霊や地霊をこころにも体にも吹き入れられた神聖な存在なのだ」と書くとともに、女たちについても「酒場のあばずれのような存在で、けもののような性交にふけるのに優しい献身的な愛をもっている」と絶賛したのである。中上文学の立ち姿にこそ目を向けるべきではなかろうか。吉本の言うように「被差別と差別の問題は中上健次の文学によって理念としては終わってしまった。あとは現実がかれの文学のあとを追うだけ」なのだから。


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民主党政権誕生のお先棒を担いだ屋山太郎の変節を嗤う!

2012年10月23日 | マスコミ評

 屋山太郎が今日の産経新聞の「正論」で吼えているが、今さら民主党を批判しても遅いのである。前回の総選挙のときに、自分がどのようなコメントをしたか、胸に手を当てて考えてみればいいのだ。官僚政治を打破するために、民主党政権の誕生にあたって、お先棒を担いだのは誰だったのだろう。素人ばかりの集まりで、理念なき選挙互助団体に過ぎない政党を持ち上げ、国民をミスリードした責任は、屋山にはないのだろうか。「政権獲得時の民主党にはあらず」と言うのは、自己弁護したいからだろう。政権獲得前からネットでは民主党批判の大合唱が起きていただけに、政治評論家として面目丸つぶれではないか。自民党や公明党と一緒になって消費税増税を決めたことに腹を立てているようだが、財務省の言いなりになった野田佳彦首相だけが悪いのではなく、屋山自身が語っているように、鳩山由紀夫元首相や菅直人前首相も、とんでもない失策をやらかしたではないか。民主党政権そのものが疫病神であったのだ。マスコミのミスリードを鵜呑みにした国民は、それを信じたばかりに大変な迷惑をこうむったのである。それに対しての反省の弁もなく、風向きを見てコロコロと態度を変える。それが許されるのが評論家なのだろう。商売としてマスコミで飯を食っているジャーナリストよりも、ネットでつぶやいている名も無き者たちの方がまともだというのが、今の日本の現状なのである。


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