来年のNHKの大河ドラマの主人公である新島八重について、忘れられた人物であるかのように書いている本が多いが、それはまったく違う。会津側は敗者であったがゆえに、その思い出を忘れないために、抹殺されないために、色々な歴史書を世に出したからだ。名前は山本八重子であったとしても、戊辰戦争をくぐり抜けた世代だけではなく、その孫、曾孫までもが、その名前を頭にたたきこまれている。小林秀雄は『ドストエフスキーの生活』のなかで「歴史は人類強大な恨みに似ている」との名言を吐いた。人生は1回限りであるから、取り返しがつかない。だからこそ、思い出を大事にするのだ。子供を失った母親を例に挙げながら、小林は「子供が死んだという歴史上の一事件の掛け替えの無さというものに就いては、為すところを知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る。恐らく生きていた時よりも明らかに」と書いている。会津人にとっても、戊辰戦争で亡くなった者たちのことは、過去の出来事ではなかった。薩長を始めとする政府軍によって加えられた暴虐への恨みは、簡単には消え去ることはなかったし、そこでの悲劇のヒロインの一人が八重であったのだ。いかに兄の山本覚馬が京都で地位を得たしても、生まれ育った地を後にせざるを得なかった哀れさは想像に絶する。それを理解しないから「ジャンヌダルク」「ハンサムウーマン」「ナイチンゲール」とかの言葉が躍るのだろう。落城のときに八重が「明日の夜は何国の誰かながむらん/なれし御城に残す月影」と詠んだ歌こそ噛みしめるべきだろう。
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