草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

哀れにも流浪の民となって会津を去ったのが新島八重だ!

2012年10月24日 | 歴史

 来年のNHKの大河ドラマの主人公である新島八重について、忘れられた人物であるかのように書いている本が多いが、それはまったく違う。会津側は敗者であったがゆえに、その思い出を忘れないために、抹殺されないために、色々な歴史書を世に出したからだ。名前は山本八重子であったとしても、戊辰戦争をくぐり抜けた世代だけではなく、その孫、曾孫までもが、その名前を頭にたたきこまれている。小林秀雄は『ドストエフスキーの生活』のなかで「歴史は人類強大な恨みに似ている」との名言を吐いた。人生は1回限りであるから、取り返しがつかない。だからこそ、思い出を大事にするのだ。子供を失った母親を例に挙げながら、小林は「子供が死んだという歴史上の一事件の掛け替えの無さというものに就いては、為すところを知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る。恐らく生きていた時よりも明らかに」と書いている。会津人にとっても、戊辰戦争で亡くなった者たちのことは、過去の出来事ではなかった。薩長を始めとする政府軍によって加えられた暴虐への恨みは、簡単には消え去ることはなかったし、そこでの悲劇のヒロインの一人が八重であったのだ。いかに兄の山本覚馬が京都で地位を得たしても、生まれ育った地を後にせざるを得なかった哀れさは想像に絶する。それを理解しないから「ジャンヌダルク」「ハンサムウーマン」「ナイチンゲール」とかの言葉が躍るのだろう。落城のときに八重が「明日の夜は何国の誰かながむらん/なれし御城に残す月影」と詠んだ歌こそ噛みしめるべきだろう。


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上から目線で日本政治の停滞を嘆く「天声人語」を嗤う!

2012年10月24日 | マスコミ評

 いくら中共や北朝鮮を持ち上げても、やはり拠り所にするのはアメリカのようだ。今日の朝日新聞の「天声人語」は、アメリカと日本の政治を比較をしている。そして、やっぱりアメリカだ上だというのを、天下のエリートらしく、土民である日本国民に高説を垂れているのである。あれほどまでに民主党を応援していたのを忘れたかのように、上から目線で、民主党と自民党を揶揄するのである。しかし、その本心は自民党が対決姿勢を取らないことを望んでおり、解散・総選挙の先送りを容認しているのだ。やっぱりと思うのは最後の締めである。アメリカの大統領選でのオバマとロムニー両候補の討論会を引き合いに出しながら、日本とアメリカの「論戦力における雲泥の隔たりを」嘆いて見せるのだから、芸があまりにも細かい。アメリカ様が上ということを論じたがるのは、日本のエリートの習性である。土民の身としては、国会での論戦は、結構生々しいものがある。ガッカリするのは、民主党政権の閣僚が不勉強な点である。公平な見方をすれば、それは一目瞭然である。それを認めなくないので、ことさら十把一絡げにしたいのだろう。日本のエリートというのは、どこかの国のエージェントが大半だ。それが今ではアメリカなのである。日本が国家として復活するのを、アメリカも望んでいないのを知っているから、その代弁者である朝日新聞にとっては、憲法改正論者の安倍晋三自民党総裁が目の上のたんこぶなのだろう。


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