ものおもう気配なかりし凍土なり已むに已まれぬ大和魂
酔えばすぐ渥美清の軍歌なり朗読するは佐藤慶なり
八重という会津女は猛々し平成の世のスターなりせば
雪雫少年の死に涙せし飯盛山に雲は垂れ込め
初春のキーボードこそ有難し指先にまで神宿りたまう
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ものおもう気配なかりし凍土なり已むに已まれぬ大和魂
酔えばすぐ渥美清の軍歌なり朗読するは佐藤慶なり
八重という会津女は猛々し平成の世のスターなりせば
雪雫少年の死に涙せし飯盛山に雲は垂れ込め
初春のキーボードこそ有難し指先にまで神宿りたまう
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第二次安倍内閣の船出は上々であるが、試練はこれからだ。保守派の私たちは必死に支えなくては。それは安倍首相に全権を委任することではない、誤った方向に舵を切ろうとすれは、当然苦言を呈さなくてはならない。しかし、それ以前に、悪らつなマスコミのネガティブキャンペーンに対しては、ネットを通じて反撃をしなくてはならない。安倍首相の祖父である岸信介元首相は、勝田吉太郎に向かって、自分の過去を振り返って、しみじみ語ったことがあったという。勝田の『文明の曲がり角』に収録されている。「私は三回本気で死を覚悟したものですよ。一回目は閣内不一致の状態を惹起させることで東条内閣の倒閣に一役かったとき。あの折、我が家に殺意をみなぎらせた憲兵将校たちがしばしば訪れましたよ。第二回目は占領軍司令部にA級戦犯として巣鴨に収監されたとき、これはいつ落雷で命をおとすかも知れない状態でした。三番目は安保改定時、無数の学生や労働者たちの殺気立った大群衆に連日首相官邸が囲まれた折だった」。妖怪政治家とまで呼ばれた人間であったも、絶対絶命の境地に立たされたのだ。それを乗り切るにあたっては、想像に絶する孤独を体験したに違いない。とくに、昭和45年の安保改定は、それまでアメリカによる日本の防衛の義務が明記されていなかったのを、国益上からも改める必要性に迫られていたのだった。マスコミが「アンポハンタイ」を煽ったために、一部の国民が暴徒化し、自衛隊が出動する一歩手前だったのである。安倍首相も逆境を恐れてはならない。岸元首相ほどではないが、一度は地獄を見たはずだから、今は前進あるのみなのである。
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