草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

安岡章太郎が悄然とした会津若松市七日町の涙橋周辺!

2013年01月30日 | 思想家

 安岡章太郎が歩いているのを、私は目撃したことがある。それも会津若松市役所の目の前であった。そこにタバコ屋があったので、洋もくを購入していた。『流離譚』の取材のために、会津を訪れていたのだろう。どうしてタバコなのだろう。私は腑に落ちなかった。その安岡が去る26日に亡くなっていたことが、今日のニュースで伝えられた。『流離譚』をもう一度読み返してみたが、やっぱり気になったのは、慶応4年8月25日、父方である安岡覚之助が戦死した、会津若松市七日町涙橋周辺の情景描写だ。土佐勤王党の覚之助は天誅組に加わったために、長い間獄中にあったが、その後に板垣退助が率いる土佐軍の一員として、会津戊辰戦争に従軍した。「私は教えられた道を市街の西の七日町という方へ歩いて行った。と突然、街はずれたあたりで、荒涼とした景色が周囲にひろがっているのが見えた。もとは田んぼであったのだろうか。しかし、いま眼の前に見えるのは、ただ掃溜めのように汚れて疲れ切った湿地だった。覚之助は本当にこんなところで死んだのだろうか。私は文字通り絶句したまま、胸の中でむなしくそんな言葉をつぶやきかえした」。安岡ならずとも、あの場所に立てば、同じ感慨にひたるはずである。安岡は小説家らしく、自分の感性で確認したかったのではないか。だからこそ、タバコ屋に立ち寄ったのであり、涙橋周辺があまりにも殺風景なのに、悄然としてしまったのだろう。


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アベノミクスの財政出動はケインズ理論そのものだ!

2013年01月30日 | 思想家

 経済学の世界で何が今起きているのか。それを知る上で、間宮陽介の『市場社会の思想史』は大いに参考になった。間宮によると、ケインズ脚光を浴びたのは「市場経済を補完する形で政府が財政・金融政策を採り、それによって景気を安定させる必要性を説いた」からであった。ケインズ理論が1960年代までは、世界各国の経済政策の基礎になった。1970年代になると、二度のオイルショックなどで、経済成長が鈍化し、財政赤字が深刻になった。ケインズ理論の総需要管理政策が批判にさらされ、マネタリズムや合理的期待派が台頭し、「人間の合理性に全幅の信頼を置き、政府の諸規制を緩和して経済主体の自由度を最大限に高めようとする経済学」が主流となった。しかし、1990年代の終わり頃から様相が一転した。レーガノミックスやサッチャリズムがもたらした社会的不公平が、是正されなくてはならない局面を迎えたからだ。安倍晋三首相の経済政策であるアベノミクスも、目玉は金融の緩和、財政政策であり、まさしくケインズ理論そのものである。財政政策による「公共支出の増加は国民所得の数倍の増大をもたらす」という乗数効果を念頭に置いており、そこにプラス成長戦略なのである。「ケインズに帰れ」という単純なものではないだろうが、ケインズ理論が再認識されていることだけは、アベノミクスからも理解できる。過去の亡霊が復活することはないとしても、時代によって、ケインズ理論の評価も、大きく様変わりするのである。


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