草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

スペンサー銃を手に外敵に立ち向かったのが新島八重だ!

2013年01月05日 | マスコミ評

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」が明日から放送されるが、NHKがどんな番組にするのか、今から興味津津である。「平清盛」の視聴率がさんざであったので、少しはよくなると思う。しかし、気になるのは、どこまで真実に迫れるかである。主人公の新島八重は、会津戊辰戦争では籠城戦に加わったが、恐いとか可哀想とかの、感傷に浸る暇はなかったのである。「随分戦ト云フモノハ面白イモノデゴザイマシテ、犬死シテハツマリマセン。ケレドモ、戦ウトコロヲ見マスト女デモ強イ心ニナルモノデ、モウ殺サレルトカ思ヒナガラモ、丁度一町程先ノ所デ戦ツテイルノナド見マシテゴザイマスガ、ナカナカ面白イモノデゴザイマス。私ハ弾ガ二ツ中リマシタケレドモ、幸ニシテ死ニマセンデシタ」(『新島八重子刀自懐古談』)。八重は昭和7年6月14日に死去しており、その直前の5月24日、京都付近配属将校の研究会のメンバーに、八重自身が語ったのだった。会津藩士やその婦女子は、死を恐れることを卑怯だと思っていた。それでも、意味のある死を選ぼうとしたのだ。そして、目の前で繰り広げられている出来事について、「ナカナカ面白イモノデゴザイマス」との印象を抱いたのである。その場に居合わせた者しか体験できない、ある種の真実を言い当てている。死が日常的な光景となり、そこから逃げるすべがなければ、悲惨な状況を受け入れてしまうのが、人間なのである。NHKのポスターを見ると、八重がスペンサー銃を手にしている。いつでも応戦できる態勢なのである。平和惚けしたNHKの意図とは裏腹に、日本人が外敵に身構えるのと、それはまったく同じではないか。已むに已まれぬという点では、会津戊辰戦争を語ることは、大東亜戦争を語ることでもあるわけだから。


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富豪の天国を批判しつつ民族国家競争を直視した北一輝!

2013年01月05日 | 思想家

 竹内好は高橋和己との対談で、「あなたには戦後文学プラス日本浪漫派がある」(「文学反抗革命」)と語ったことがあった。昭和46年に死去した高橋は、私にとっても過去の人である。しかし、自分の考えを整理しようとするときに、決まって私は高橋の言葉に耳を傾ける。竹内は保田與重郎らと同列に論じたわけではない。日本の農村共同体が崩壊してからは、日本浪漫派の運動は成立しない。そこまで竹内は断言していたのである。それでも、高橋のなかにあった、ある種の問題提起を、正当に評価したからではないか。高橋は北一輝を論じた「順逆不二の論理」なかで、ユニークな見方をした。『国体論及び純正社会主義』を執筆した22歳の北は、「生きるとより死に至るまで脱する能わざる永続的飢餓の地獄は富豪の天国の隣りにて存す」と憤っていた。それが36歳になって世に問うた『日本改造案原理大綱』では、「階級闘争ニヨル社会進化ハ敢テ之ヲ否マズ。而モ人類歴史アリテ以来ノ民族競争国家競争ニ眼ヲ蔽イテ何ノ所謂科学ゾ」と書いた。その点を高橋は取り上げ、階級矛盾と国益の二つに引き裂かれたことで、北について「もっとも痛ましい精神の悲劇が演じられたのである」と論評したのだった。これ以上の、北に対する褒め言葉はあるだろうか。歴史は繰り返すというが、高橋も想像できなかったような事態が今の日本に起きている。国内では既得権益に胡坐をかいた者たちを攻撃する者たちが、憂国の士として、中共の侵略の前に立ちはだかろうとしているからだ。敗北の美学に与する高橋をけなすつもりはないが、北一輝の思想は、簡単には色褪せないのである。


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