草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

侵略の危機が迫っているのにひたすら我慢を説く読売を嗤う!

2013年01月24日 | マスコミ評

 日本のマスコミはあまりにもお粗末だ。読売新聞の勝股秀道が「『尖閣危機』中共の危機に乗せられるな」という一文を書いている。日本が勇み足をすることの危険性を説き、「先に手を出してはならない」の一点張りである。勝股なる人物は、経歴上は防衛大学校安全保障研究科の修士課程を修了しているようだが、第一線の自衛隊員の気持など、どこ吹く風だ。何をされても手を出すなというのであれば、まず海上保安官や自衛官の命をどう考えているかだ。今回のアルジェリアの人質事件でも、日本人が殺されたが、武力行使を中共が行えば、その非ではないのである。防空識別圏で、自衛隊の戦闘機が攻撃をかけるわけもないのに、わざわざその可能性に言及するのも、何か意図があるような気がしてならない。軍事の専門家を装いながら、あくまでも政治的な発言であり、防衛上の技術的な議論が欠落している。中共の脅威が切迫しているのに、「じっと我慢する時だ。マスコミはもとより責任ある政治家は、そのことをきちんと認識しなければならない」と自分たちの弱腰を正当化しているだけだ。これでは、法整備が整っていない間に「尖閣諸島を攻めてください」と言っているようなものだ。肩書だけは読売新聞調査研究部の主任研究員だそうだが、能天気なお花畑で、本来であれば、批判するにも値しない。読売新聞に掲載されたから、問題にせざるを得ないのである。


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新聞が世をあやまるのは正義を主張するからだ!

2013年01月24日 | 思想家

 新聞記者は、明治、大正までは、羽織ゴロといわれていた。それを書いて揶揄したのが山本夏彦だ。「一見紳士みたいな紋付羽織袴姿で大会社に乗りこんで、天下国家を論じて結局いくらか貰って帰るー新聞記者の意名である」(「羽織ごろは死なず」)と書いたのだった。このために、新聞記者は世間からはよく思われず、大正5年に夏目漱石が死んだときには、一番弟子の小宮豊隆は、羽織ゴロの類は近づけなかった。時事新聞の一記者であった菊池寛は、芥川龍之介の友人として、棺に近づいたのだった。ところが、昭和になると羽織ゴロは死語になった。山本は「新聞は増長して、自分を正義で潔白で無謬だと思うようになった」のを問題にして、「新聞が世をあやまるのは繰り返すが自分を無謬だと思うことにある」と痛烈に皮肉ったのである。今回のアルジェリアの人質事件では、日揮は死亡した駐在員の氏名公表には「一切応じない」としているが、朝日新聞などは嘘をついてまで、遺族に接近したというのだから、金をもらわないだけで、羽織ゴロそのものではないか。自分たちが絶対正しいと勘違いしている新聞は、日揮や遺族が望んだわけでもないのに、センセーショナルな報道をすることで、安倍政権への批判を強めたいのだろう。これでは、明治、大正の羽織ゴロの方が、まだましではないだろうか。謙虚さのない新聞が国をあやまらせるのである。


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