今日は毎年恒例の一般参賀が皇居であり、宮殿・長和殿のベランダに立たれた天皇陛下は、東日本大震災に遭った人々を忘れないように、「これからもみなで被災地に心を寄せて過ごしていきたいと思います」とのお言葉を述べられた。民主党政権が誕生し、一時はどうなるか危ぶまれたが、かろうじて日本の統治機構が揺るがなかったのは、天皇陛下がおられたからだ。自衛隊や警察官が最終的に拠り所とするのは、選挙のことしか頭にない政党や政治家ではない。目に見えない権威として、日本という国家は、天皇陛下を離れては存在しないのである。三島由紀夫は『文化防衛論』において、日本文化と天皇陛下が一体であることを強調していた。「文化における生命の自覚は、生命の法則に従って、生命の連続性を守るための自己放棄という衝動へと人を促す」と書いている。天皇陛下をお守りするこためには、身を捨てる覚悟が必要なことを説いたのである。天皇陛下は、自分のことは後回しにされ、国民のことを第一に考えておられる。それこそが連綿と受け継がれてきた日本文化の型である。それを踏まえて、決死の行動に昇華させたのが、三島さんなのである。戦後レジームの脱却とは、天皇陛下の国民との絆を再確認することでもある。「日本の共同原理は戦後バラバラにされてしまった。血族共同体と国家との類縁関係は無残に絶たれた。しかしなお共同体原理は、そこかしこで、エモーショナルな政治反応をひきおこす最大の情動的要素になっている」として、三島さんは「新しい共同原理がこれを通して呼び求められていることは明らかであろう」とまで断言していた。日本が危機に瀕している今、日本国民の最後の拠り所は天皇陛下なのである。
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