草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本が危機に瀕した場合に最後の拠り所になるのは天皇陛下だ!

2013年01月02日 | 思想家

 今日は毎年恒例の一般参賀が皇居であり、宮殿・長和殿のベランダに立たれた天皇陛下は、東日本大震災に遭った人々を忘れないように、「これからもみなで被災地に心を寄せて過ごしていきたいと思います」とのお言葉を述べられた。民主党政権が誕生し、一時はどうなるか危ぶまれたが、かろうじて日本の統治機構が揺るがなかったのは、天皇陛下がおられたからだ。自衛隊や警察官が最終的に拠り所とするのは、選挙のことしか頭にない政党や政治家ではない。目に見えない権威として、日本という国家は、天皇陛下を離れては存在しないのである。三島由紀夫は『文化防衛論』において、日本文化と天皇陛下が一体であることを強調していた。「文化における生命の自覚は、生命の法則に従って、生命の連続性を守るための自己放棄という衝動へと人を促す」と書いている。天皇陛下をお守りするこためには、身を捨てる覚悟が必要なことを説いたのである。天皇陛下は、自分のことは後回しにされ、国民のことを第一に考えておられる。それこそが連綿と受け継がれてきた日本文化の型である。それを踏まえて、決死の行動に昇華させたのが、三島さんなのである。戦後レジームの脱却とは、天皇陛下の国民との絆を再確認することでもある。「日本の共同原理は戦後バラバラにされてしまった。血族共同体と国家との類縁関係は無残に絶たれた。しかしなお共同体原理は、そこかしこで、エモーショナルな政治反応をひきおこす最大の情動的要素になっている」として、三島さんは「新しい共同原理がこれを通して呼び求められていることは明らかであろう」とまで断言していた。日本が危機に瀕している今、日本国民の最後の拠り所は天皇陛下なのである。


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没落したサヨクの最後の砦がテレビ、新聞などのマスコミだ!

2013年01月02日 | 思想家

 昭和40年代半ばまでの論壇は、圧倒的にサヨクがリードしていた。岩波書店や朝日新聞が中心で、保守派などは片隅に追いやられていた。昭和44年になってようやく、日本文化会議が結成され、田中美知太郎や林健太郎らの保守派が結束したのだった。それ以前は、もっと悲惨な状況であったようだ。私の手元に日本文化研究会編の『神武天皇起源論』がある。昭和33年発行で、紀元節の復活に賛同する学者や知識人が執筆している。名前を出して世に問うというのは、大変な覚悟が必要だったようだ。「はしがき」の文章からは、悲壮感すら伝わってくる。「真実を明らかにするということは、つねに勇気のいる仕事である。しかし、学者は、その勇気をもたなければならない。殊に、いまの場合は、若しかすると、いや恐らく、進歩的と称する一派のひとびとから、反動とか逆コースとか、あるいは国家主義というレッテルをはられる恐れがある。それは、現在における学者の世俗的立場をはなはだ不利なものとする。しかし、われらは、それを問題としない。ただ、歴史の真実を、日本人の眼と心でもって、静かに、そして深く見つめようと思う」と書いている。執筆者は、平泉澄、肥後和男、高山岩男、葦津珍彦らのそうそうたるメンバーであっても、多数派ではなかったのである。執筆者の一人であった葦津は、紀元節をめぐる賛否は、占領政策をめぐる象徴的問題と位置付け、「反対論者は、日本の占領をもって民主主義の勝利であったと信じているが、この思想こそ徹底的に検討されなくてはならない」と批判した。「米国民主主義をもって、日本の土民を新しい統治に服させなければならない」と信じた者たちの戦後レジームに対して、その当時から批判の声は上がっていたのだ。今ではそれが逆転し、サヨクが少数派に転落した。環境保護派や外国の代弁者として、かろじてマスコミなどに巣食っているだけだ。私たち保守派がマスコミを問題視するのは、サヨクの最後の砦となっているからであり、そこを落とさなければ、日本が変わったことにはならないのである。


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