草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

マスコミ不信が高まる一方で安倍首相のフェイスブック購読者が爆発的に増加!

2013年01月01日 | マスコミ評

 安倍晋三首相のフェイスブックの購読者の数は、今日の時点で17万人に迫る勢いである。マスコミへの不信感が高まっていることが、かなり影響しているはずだ。そうでなければ、そんな数になるわけがない。そのなかには、安倍首相への不満を書き込む人もおり、安倍支持者と決めつけるわけにはいかない。しかし、マスコミが安倍バッシングを続けていることで、かえって同情する国民が増えているのではないか。マスコミ嫌いといえば、母方の祖父である岸信介の弟が佐藤栄作である。同じように首相を務めたが、私が鮮明に覚えているのは、昭和47年6月の退陣表明をしたときの記者会見だ。勝手なことを書く新聞の記事に腹を立てていた佐藤が、新聞社抜きで行おうとしたために、それに猛反発した新聞記者ともめたのである。その当時までは、新聞の影響ははかり知れないものがあった。テレビは情報を流すだけの媒体であった。直接国民に向かって話をしたいというので、テレビを指名したのである。今ではテレビも、偏向報道をするようになった。能力のない芸能人やサヨク崩れのコメンテーターが出演し、恥ずかしげもなく、偏った考えを口にしている。民放ばかりか、NHKまでもが目に余るようになった。新聞ばかりか、テレビまでもが、真実を伝えないのである。そうであれば、ネットを通じて直接語りかけた方がいいに決まっている。テレビは自分で自分の首を絞めてしまったのだ。競争相手がいないと高をくくって、番組作りに力を入れてこなかったのが、結果的に致命傷となったのである。芸能ブロダクションや製作会社に丸投げしている疑惑も持たれている。マスコミの弊害は、画一的な情報をたれ流すことだと言われてきた。ようやく、ネットの登場によって、それが問題視される時代になったのである。それにしても、フェイスブックに目を付けた安倍首相はたいしたものである。マスコミがあまりにも酷かったので、自前での情報発信というのは、ある意味怪我の功名ではあったとしても。


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国家として身構えるためにも日本人が日本人であることが大事だ!

2013年01月01日 | 思想家

 まだ外は暗いが、この文章を書いているうちに日が昇ってくるはずだ。平成25年が日本の夜明けになることを願ってやまない。それにはまず、日本人が日本人であることの再確認が必要だろう。佐藤俊夫は『倫理学』のなかで、フロイドを分かりやすく解説している。フロイドは人格の構造を「超自我」「自我」「エス」の三つ巴の相関のうちに、とらえようとした。「超自我」は良心であり、「エス」は本能である。いずれも無意識の心理過程である。そして、両者はそれぞれ、抑圧するもの、抑圧されるものという正反対の方向をとるのである。これに対して、自我は無意識的にこの両極の調停役をつとめるとともに、一方では外界の現実に意識的に働きかける。フロイドは意識上の自己と、意識下の自己を区別し、とくに意識下の領域に注目したのだった。日本という国家を自己にたとえてみると、日本人は、一度は忘れかけた「超自我」に目覚めつつあるのではないか。過去から引き継いだ良心が大きな意味を持ち始めているのだと思う。本能としての「エス」だけでは、国はまとまらず、外敵にも対処できない。「エス」にばかり引きずられてしまったのが戦後レジームであった。それから脱却し国家として身構えるにあたっては、「超自我」が重要なのである。日本人であれば、それぞれが意識下に投錨すれば、日本人の良心が確認できるのではないだろうか。個人が日常生活の全ての場面では、「超自我」を発揮するのが困難なように、国家においても、平時には問題にはならないだろう。しかし、危機に直面するなど、一旦緩急の場合は、自己において「超自我」が偉大な力を発揮するように、日本人を日本人たらしめるレーゾンデートルが大きな役割を果たすのである。

 
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