60年安保騒動を揶揄した江藤淳にならって、私も現在のサヨクインテリを俎上に乗せたい。あれほどまで安倍晋三首相を攻撃しても、日本国民は彼らの言論に耳を貸さなかった。彼らにとってはショックであったはずだ。江藤淳が、丸山真男などの進歩的文化人を揶揄した文章が、そっくりそのままあてはまるのではないか。「インテリはあの異常時に参加して『指導』し、敗北した。人間は閉ざされた頭のなかで生きているわけでなく、そのほかに、胃というものがあって、頭が自殺を空想していても胃は着実に咀嚼しているものだという冷厳な事実に、そろそろめざめてもよいであろう」(『表現としての政治』)と書いたのである。それでも私が、丸山真男を評価するのは、ある種の思想があったからだ。丸山は朱子学の言葉である「復性復初」というのを主張した。ものの本質に立ちかえることだそうで、敗戦の8月15日にこだわったのである。現在のサヨクインテリは、それ以下である。嫌がらせのための嫌がらせをしているだけだ。安保騒動の敗北を真摯に受け止めた一人に、清水幾太郎がいた。自分の言説が、まったくの仮構でしかなく、日本国民の心をつかまなかったことを反省し、日本国家の再生を願うようになった。しかし、清水はあくまでも例外であった。江藤は「インテリゲンツィアが政治に加わろうとした瞬間に、ほかならぬあの仮構が彼の足をすくう」とも論評していた。何度も過ちを繰り返し、いつまでも懲りないのがサヨクインテリなのである。
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