道徳教育をするのは学校だとしても、家庭が大事なことはいうまでもない。三島由紀夫が好んだ『葉隠』においても、その点は力説されている。そこで問題にしたのは、母親が子供を溺愛することのマイナスだ。「又母親愚にして、父子仲悪しくなる事あり、母親は何のわけもなく子を愛し、父親意見すれば子の贔屓をし、子と一味するゆゑ、その子は父に不和になるなり。女の浅ましき心にて、行末を顧みて、子と一味すると見えたり」と書いてある。一人前の男になるためには、母親の庇護のもとにあってはならない。親離れ、子離れが必要なのである。叱り方も、一時的な感情に駆られるのではなく、道理を理解させなくてはならない。「物云ひ、礼儀など、そろそろと気を付けさせ、欲義など知らざる様に」するためにも、父親が頑張るしかないのだ。かつて村松剛が『女性的時代を排す』を世に出したが、平成の世になって、なおさらそれが酷くなっているのではないか。女性のなかにも、そうでない人たちはいる。しかし、三島さんが主張しているように、「父親と息子との間における武士的な厳しい伝承の教育」(『葉隠入門』)を重視したのが『葉隠』だった。最終的には男と男であり、「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」に帰結する。「われわれはきょう死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない」のは確かであり、それを日本人に伝えてきたのが武士道なのである。
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