草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「父親と息子との間における厳しい伝承」を重視した『葉隠』!

2013年01月13日 | 思想家

 道徳教育をするのは学校だとしても、家庭が大事なことはいうまでもない。三島由紀夫が好んだ『葉隠』においても、その点は力説されている。そこで問題にしたのは、母親が子供を溺愛することのマイナスだ。「又母親愚にして、父子仲悪しくなる事あり、母親は何のわけもなく子を愛し、父親意見すれば子の贔屓をし、子と一味するゆゑ、その子は父に不和になるなり。女の浅ましき心にて、行末を顧みて、子と一味すると見えたり」と書いてある。一人前の男になるためには、母親の庇護のもとにあってはならない。親離れ、子離れが必要なのである。叱り方も、一時的な感情に駆られるのではなく、道理を理解させなくてはならない。「物云ひ、礼儀など、そろそろと気を付けさせ、欲義など知らざる様に」するためにも、父親が頑張るしかないのだ。かつて村松剛が『女性的時代を排す』を世に出したが、平成の世になって、なおさらそれが酷くなっているのではないか。女性のなかにも、そうでない人たちはいる。しかし、三島さんが主張しているように、「父親と息子との間における武士的な厳しい伝承の教育」(『葉隠入門』)を重視したのが『葉隠』だった。最終的には男と男であり、「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」に帰結する。「われわれはきょう死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない」のは確かであり、それを日本人に伝えてきたのが武士道なのである。


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日本を取り戻すためにも道徳教育の徹底を!

2013年01月13日 | 思想家

 学校で道徳教育を行うことに対して、「右傾化」とかの批判があるが、それが軽視されてきたからこそ、日本人は駄目になってしまったのではないか。大東亜戦争の敗北までは、道徳教育が重んじられてきた。それが凛とした日本人をつくってきたのだ。高山岩男が『教育哲学』で指摘しているように、道徳教育が「道徳心(すなわち良心、道徳的心情、道徳的理性)を直接に喚起し、道徳心の覚醒屋自覚を目ざすことは、恐らくいつの時代にも変わりがないであろう」というのは、明らかに正しいし、誰も否定できなないはずだ。さらに、道徳教育にあたる教師が、それだけの人間であるか、という疑問についても、高山は「人間の不完全な未完成を謙虚に自省し、完成を目ざす精進努力を被教育者とともにする(すなわち徳を一にする)ことにあると考えた」のだった。かえって教師が完全でないことで、それが宗教的情操教育にも結びつくのである。「人間の道徳的な不完全は程度的なものではなく、人間存在につきまとう原理的なものであるという自覚が堅持されること、ここから単に道徳的の謙虚に止まらず、もう少し深く敬虔の念が道徳教育に存し、この敬虔の情操が若い被教育者の魂の中にも植えつけられることが必要だ」というのだ。道徳教育の大切さを説くとともに、それ以上の宗教的情操教育までも、射程のなかに含めているのだ。道徳を成り立たせしめている根拠は宗教であり、それを無視することはできないからだ。その謙虚な心を、戦後の日本人が見失ってしまったことが問題なのである。


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