今日本で起きていることは、政治学の教科書にも書いてないことである。ネットの力が試されているからだ。マスコミによる大衆操作を問題にする場合には、すぐに権力者との結びつきが問題になる。しかし、日本においては、マスコミのポジションは常に反政府である。とくに戦後においてそれが顕著であった。敗戦でそれまでの価値観が否定され、占領軍の意向にそった報道しかできなくなった。占領軍による検閲も行なわれたが、それが表沙汰になることはなかった。戦後の日本の言論空間を支配してきたのは、まさしくその流れであり、今日においても無視できない力を持っている。かえって日本を悪者にする自虐史観がまかり通っている始末だ。大塚桂は『政治学原論序説』で「マス・コミュニケーションは、大衆社会にあって孤立化したひとびとに一体感をあたえるために発明された」と書いているが、マスコミの暴走が劇場型の政治を招来することとなり、平成に入ってからの政治改革や構造改革で日本は大混乱した。そうしたマスコミを痛烈に批判しているのがネットだ。情報を受け取るだけではなく、逆に情報を発信したり、それを検証するツールを手にしたからだ。東京都知事選挙にしても、ネットで盛り上がっているから、田母神としお候補が台風の目になっているのだ。マスコミしかなかったならば、大半の東京都民は名前すらも知らなかったはずだ。ネットの位置づけについては、政治学でもそれほど論じられていない。まずは今回の選挙で結果を出せるかどうかなのである。
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