草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

真の独立のためには憲法だけでなく日米安保条約の見直しも!

2014年02月15日 | 安全保障

 ようやく日米安保条約について議論すべき時機が到来した。昭和35年の改定にあたってそれを支持したのは、会津人の国際法学者大平善梧ただ一人であった。保守派を代表して、サヨクの言論人に論戦を挑んだのである。今になってみると、日本人の多くは日米安保条約を支持しているが、ここにきて問題点が浮き彫りになってきたのではないだろうか。あのときに大平は、会津人らしく筋を通すことを求めた。アメリカとは運命共同体にあるにせよ、日本の国益も踏まえることを主張したのだ。それでも米ソ冷戦の時代にあっては、日本はアメリカを信頼することができた。しかし、オバマ政権になってからのアメリカはどうだろう。中共と日本とを同等に考えているのではないか。これでは日本人が不信感を抱くのはあたりまえだ。日米安条約の第一条では、国連憲章にのっとって「純粋に防衛的性格のもの」であることが強調されている。そして、わざわざ「自由主義を護持し、日米両国が諸分野において協力することを定める」と書いてある。普通であれば「議会制民主主義とか言論の自由を尊重する」とか表現すればいいのに、あえて「自由主義」と表現したところに、アメリカの権謀術数が見てとれないだろうか。アメリカは日本を防衛する義務を負っていながらも、そこに前提条件を付けているのだ。問題になるのは「自由主義」の定義である。アメリカがよく口にする市場原理主義を指し、戦後レジームの維持を含むのであれば、それを認めるわけにはいかない。戦後日本の政治は、日本国憲法と日米安保が車の両輪であった。どちらも日本の主権を制限することに重きが置かれている。見直すべきは当然なのである。日本が真の独立を達成するためにも。

 

政治 ブログランキング

 

                             ←戦後レジームから脱却すべきだと思う方はクリックを

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

 

にほんブログ村       blogramで人気ブログを分析

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネット言論に勢いがあるのは「世界の多元性」に目を向けるからだ!

2014年02月15日 | マスコミ評

 東京都知事選挙で田母神俊雄さんが予想以上の得票をしたことで、俄然ネットへの関心が集まっている。日本のネット言論の中心は保守であり若者である。日本のマスコミはそれらの人々を「ネトウヨ」と決めるけることで、目の敵にしている。しかし、それははかない抵抗に過ぎない。日本のマスコミが加勢してきたのは共産主義体制であり、それは公文俊平が指摘していたように「ソ連圏や中国で現実に採用された共産主義体制なるものは、前近代の宗教文明に属くしている地域が、“近代化”をうたい文句にしながら、その実態としては、権威主義的な宗教文明帝国の復興をはかった試み、その意味で失敗することが運命づけられていた試み」(『アメリカの情報革命』)であった。世界を理解するにあたって、決まり切ったドグマしか持たないサヨク的思想では、もはや通用しないのである。ネットはそれを私たちに教えてくれたのだ。バツラフ・ハベルが1992年2月にスイスのダボスで開催された「世界経済フォーラム」の席上で述べた言葉を、もう一度思い起こすべきだろう。「私たちは、世界の多元性を見てとることが必要です。公分母を発見したり、あらゆるものを一本の共通な方程式に還元したりしようとして、世界を束縛してはならないのです。私たちは、説明することよりは理解することに、より多くの努力を傾注すべきです。前進は現実に対して外からあてはめるための、普遍的なシステム解を考え出すところにだけにあるのではありません。個人的な経験を通じて現実の核心に迫ろうとする努力の中にも、それはあるのです」。ネット言論が多元的な見方をする日本人のバランス感覚を回復させたのであり、ネットの普及にともなって、失われた日本を取り戻しつつあるのだ。

 

政治 ブログランキング

 

                             ←これからはネット言論の時代だと思う方はクリックを

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

 

にほんブログ村       blogramで人気ブログを分析

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする