白虎隊の自刃については色々な見方があるが、従容として死に就いたことについては、誰も批判することはできないはずだ。公のために身を捧げるのは武士道においては当然の行為であった。日新館での教育によって、幼いころから切腹の作法を身に付けていた者たちにとっては、死は厭うべきものではなかったのである。瀬野文教の『リヒャルト・ハイゼ物語』を手にとって、私は一瞬目が釘づけになってしまった。敗戦の日本の救ったのは、白虎隊であると書かれていたからだ。ハイゼは東京高等商業学校(現在の一橋大学)のドイツ語教師として明治35年に来日。学習院高等科でも教鞭をとっている。ハイゼは日本女性と結婚し、日本への思い入れは人一倍であった。とくに敗者になった会津を高く評価し、戊辰戦争から40年後に会津の地を踏んだのである。そのときの感想や日本の武士道を論じたのが『日本人の忠誠心について』であった。そこで白虎隊を論じたハイゼは「敵のくびきにつながれて、落魄の身を鎖に縛られたまま、不平不満だらけの長い不幸な人生を老いさらばえるよりは、故郷の子として思うがままに若く散った方がどれだけ美しいことか」といった滅びの美学に共感し、刃に伏したことで「少年たちのはかない命は、彼らは不滅のものにし、人々の胸に誉れ高い記憶を刻みつけた」と讃えたのである。そして、その本の訳者でもあった瀬野は『リヒャルト・ハイゼ物語』において「かりにもし彼(ハイゼ)が日本に来ていなければ、会津藩や白虎隊の話が欧米人に伝わることはなかったかもしれない。太平洋戦争後、日本を占領したGHQの将校の中にハイゼの遺著を読み、日本の武士道、とりわけ会津武士と白虎隊に感銘した高官がいて、日本の伝統を守ることに理解を示し、マッカーサーの政策に大きな影響を与えた」とまで書いたのだ。白虎隊は無駄死にではなかったのである。
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