草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

建国記念の日が制定されたのは日本の心を失わなかったからだ!

2014年02月11日 | 思想家

 日本の独立はいつから失われたのだろうか。大東亜戦争は昭和20年の8月15日をもって終結したが、日本解体の目論見はその日から始まった。アメリカの新聞記者マーク・ゲインは「我々は広汎な社会的破壊という意識的な目的をもって日本の来た」と語ったのである。しかし、日本国民はそれに応じなかった。そこでアメリカは日本共産党やサヨクに好意的な態度を取ったのだ。日本国民の一部を味方に引き入れることで、圧制からの解放者として自らを演出した。チャーチルもまた日本を徹底的に破壊しようとした。チャーチルは日米開戦の報に接したときに「ヒトラー、ムッソリーニの運命は了る。日本人に関しては大地に叩きつけられて粉砕されるであろう」(『第二次大戦回想録』)と書いたのである。ここで注目すべきは、日本人全体を敵視していることだ。このいずれも私は、森田康之助の「失はれた日本独立の精神」を読んで知った。その影響から抜け出せないままでいいのだろうか。「もしかりに民族が民族として結集し、国家が真の意味に於ける国家になろうという積極的な内面的な意志の力を欠如するときは、人間の集団はそこに存在してもこれをなお民族といい国家とよぶことに人は躊躇せざるを得ないであろう」。日本人は戦いには敗れたとしても、心までは譲り渡さなかった。昭和22年の段階ですでに、建国の記念日を支持する声が、調査総数の81・3%に達していたのだ。それを受けて昭和41年にの建国記念の日に関する法案が承認され、翌年から祝祭日となった。日本民族の内面的な力があったればこそであり、それをもっと前に進めるべきなのである。

 

 

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我等の先祖の国家創業の精神を思い起こすのが建国記念の日だ!

2014年02月11日 | 歴史

 今日は建国記年の日である。日本が大東亜戦争で敗北するまでは、紀元節と呼ばれて、国家建設の記念の祝日として、全国民によって祝賀されてきたのだった。平泉澄は「日本の建国について」(『日本文化研究会編神武天皇紀元論』収録)のなかで、建国記念の日の意義を明確に述べている。「凡そ国家の建設といふ事は、敢為剛邁の勇気、一致協力の徳望、人人を帰服せしめる慈愛、即ち春の如くあたゝかい情と、秋霜烈日の気象なくして出来る事ではなく、更に雄大なる構想、高遠の理想を必要とするものであります。我等の先祖がさやうな人情と勇気と、そして雄大なる構想と高遠な理想とを以て、国家を建設したといふ事は、まことに感謝と光栄とに充ちて回想せられるべき事でありまして、それを喜び、それに感謝して、記念の祝典をあげるといふ事は、当然の事でありませう」。国家創業の時代を重要視するのは、どの民族であっても共通しており、なぜ今日が選ばれたかといえば、日本書紀の「辛酉の年、春正月庚辰の朔、天皇、橿原の宮に帝位しろしめしたまふ」と記述にもとづいたのだった。わざわざ旧暦の元旦の日にしたことは、建国の日と一年の始まりを合体させることで、祖型としての建国の精神を後世に伝えようとしたのだ。神武天皇への景仰の念は、幕末には維新回天を目指す尊皇の運動に結びついた。佐久良東雄は「いつはりのかざり払ひて橿原の宮のむかしになるよしもがな」との歌まで詠んでいる。日本の歴史を回顧すれば、建国の理想に立ち返ることで、祖国の危機を乗り切ってきたのだった。今の日本もかつてない困難に直面している。日本人が一つにまとまって外敵に抗するためにも、建国の理想を思い起こすべきなのである。

 

 

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