検察までも腐ってしまっていては、この国はザ・エンドではなかろうか。そこで問題になるのは、忠誠対象のあるなしだ。政府に忠誠を誓うのでは、あまりにもばからしいし、国民ということになると、漠然としており、世論なるものも信用ができない。そうなると、天皇陛下しかおられないのではなかろうか。自分のことを考えずに、無私の心をもっておられ、日本の文化や伝統に立脚されているからだ。しかも、時の政治権力から離れていられることで、国民との信頼関係は、時代を超えて結びついているからだ。日本の天皇について、松永材は「天皇はただ生命道の本質(一系)を顕現して、これを世界人類に標示しつつ万世に亘って歴史の荒波に屹立しここに人類救済の最高意義を発現しておる」(『尊皇維新の論理』)と書いていた。どんな人間であろうとも、過去からの連続性によって存在しているのだ。それをシンボリックに語っているのが天皇制である。だからこそ、天皇陛下におかれては、今は亡き先人の声に耳を傾けるために、無私を貫いておられるのである。日本の司法までもが危機に見舞われているなかにあっては、忠誠対象を明確にすべきだろう。守るべきは万世一系の大義であり、それを具現化してきた天皇制であることを知れば、おのずから司法関係者も、身が引き締まる思いがするはずだ。死守すべきものが何であるかを、今こそ真摯に考えるときなのである。
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青空はまぶし過ぎたり会津には影も結ばぬ人は亡霊
戊辰から落魄の地よ会津とは報われぬことあまたありたり
孤独なる魂抱え老い果てし小室直樹のメガネはいずこ
リルケ色グレイの空よ褐色の大地に巣立つ会津人なり
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日本の政治は漂流を続けているが、もう少しすれば難破し、あげくの果てに沈没するのは目に見えている。その一番の原因は、世界の趨勢を理解できないことだ。オバマ政権が米国に誕生すれば、それだけで平和がくると勘違いしたのだから、どっかずっこけている。さらに、中共や北朝鮮の脅威についても、鈍感そのもので、沖縄に米軍が必要ないかのような主張をしていた政党が、国民の支持を得て権力を手にしたのだから、混乱してあたりまえである。世界中の国々は平和を望んでいるのだから、かつて悪いことをした日本が、二度と過ちを繰り返さなければ、戦争にはならないと思い込んでいたのである。単純といえば単純な国民ではなかろうか。しかし、ここにきて、現実を理解するようになると、パニックになってしまうのである。どうしてよいか分からないからだ。今一番菅直人首相がすべきことは、安全保障と治安の面でサヨクを排除することだ、米国との協調を確実なものにするには、信頼関係の再構築が急務であるからだ。重大な機密が中共や北朝鮮に流れてしまうのでは、日本を相手にする国はなくなる。菅政権は脱小沢だけでなく、脱サヨクの救国政府を樹立すべきだ。でなければ、日本は世界中から爪弾きにされて、一巻の終わりなわけだから。
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中共の領土拡張の動きは、帝国主義そのものではないか。日本人にとって中国は、学ぶべき師であり、憧れの的であった。だからこそ、昭和維新の歌に登場するのは、屈原であり、「汨羅の淵に波騒ぎ」で始まるのである。日本人は中国の故事から多くのことを学んだのである。しかし、共産中国の誕生によって、孔子や孟子を生んだ精神的な土壌が否定されてしまったのだった。魯迅は「もちろん、われわれも現在に不満だ。だが振り返る必要はない。前方にも道路があるからだ。そして、この中国歴史上かつてなかった第三の時代を創造することこそ、現代の青年の使命である」(「燈火漫筆」)と書いているが、新しい道がどんなものであったかが、まさしく今問われているのではなかろうか。竹内好の著書を通じて魯迅を知っただけに、どれだけ理解しているかは心もとない。しかし、言論の自由が奪われている体制下において、「前方にも道路がある」というのを、どうして人々に知らせることができるのだろうか。竹内もまた、日本浪漫派の一員であったのだと思う。中共を一つのイデーとして思い描いたのではなかったか。領土問題で軍事力をチラつかせるなどというのは、そうした淡い期待を裏切ることである。もし竹内が存命であれば、どのようなコメントをしただろう。落胆のあまり、中共について、共産主義とは無縁な「帝国主義国家」と定義したのではないか。
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滝沢峠から見た会津盆地である。真夏に撮ったものだが、うっそうとした木立が繁っていても、昔ながらの見晴らしのよいロケーションが、目の前に広がっている。舗装になる前は、土埃をあげて車が行き交った峠である。会津若松市河東町を通る国道49号線が整備されたことで、さらには、磐越自動車道が開通したことで、もはや主要な幹線道路ではなくなった。しかし、峠のこの場所に立つと、なぜか懐かしさがこみ上げてならない。すでにこの世にはいない肉親が、あの盆地のどこかで待っていてくれているようで、胸がいっぱいになるからだ。満員の会津乗合のボンネットバスに揺られながら、この峠を越えた幼き日のことが思い出されてならない。会津人の原風景として、何世代にもわたって語り継がれてきたのが、この場所からの見晴らしなのである。
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喚声の余韻が残る山河にもさみしき秋の風吹き渡る
国のため散るを厭わぬ少年の益荒男ぶりに涙しこぼる
松蔭の訪れし地よ若松は尊皇の意地今も曇らず
これまでの遺恨を忘れ救国の手を組みたるは会津と萩なり
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