神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

空想歴史ドラマ 貧乏太閤記45 信長と南蛮人

2022年10月27日 18時04分16秒 | 貧乏太閤記
翌元亀2年(1571)春、浅井軍5000が秀吉の横山城と支城に攻めてきた
秀吉は支城の救援に向かい、竹中半兵衛は横山城を守った、10倍近い敵を秀吉たちは撃退した。
この奮戦を誰よりも喜んだのは信長であった、そして重大な決意を固めた

「叡山を焼き尽くす」重臣が居並ぶ前で信長は宣言した
「なんと?」居並ぶ諸将はみな一様に驚いた、未だかって聞いたことがない暴挙である、松永久秀が奈良の大仏殿を焼いて「天下の大悪人」の烙印を押されたが、それよりはるかに罪は重い、「仏敵」となるのだ。
織田の諸将でさえ恐れるものが多かった、秀吉さえその一人だ
「お屋形様、それは今一度お考え直し下され、坊主を殺せば7世祟るとか」
筆頭家老の佐久間信盛が声を上げた
「祟りだと!死んで来世があると思うか、それは坊主が金儲けのために考え出したたわごとよ、地獄も極楽もあるものか、この世こそ地獄と思え」
「しかし、それは」
「貧しさに苦しむ庶人をだまして、わずかな貯えさえ奪うくそ坊主こそ地獄がふさわしい、浅井朝倉と結託してなにが仏に仕えるだ、笑止なり
このこと儂の決意は変わらぬ、反対する者は頭を丸めて高野山に上がるがよい、叡山と本願寺と一揆は滅ぼすが、高野山は今は構わぬ」
もはや、だれも声を発する者はいなくなった、だが心の中では誰もが割り切れぬ気持ちだった。

そんな諸将の中では意外にも明智光秀は冷静であった
秀吉は聞いてみたくなった、城下がりのとき馬を並べて行きながら聞いてみた
「明智さまは此度の叡山焼き討ちに対し顔色一つ変えず、一言も発しなかったが、仏罰が怖くはありませぬか」
「面白い問答になりそうゆえ、どうですか拙者の屋敷にてゆっくり話しませぬか」
「おお、それはありがたいことで、よろしいか?」
秀吉が明智の屋敷を訪ねたのは初めてである、その逆もしたり

「ふふふ、仏罰などありませぬ、木下殿は若き頃には仏門修行なされたとかお聞きしたが、まことに心から仏を信じておられましたか?
「・・・うむ・・あの頃の儂は、その日の飯に困って寺でも社でも山賊でも何にでもすがりたかっただけでしたなあ、別に仏や仏陀を信じていたわけではなかったかもしれませぬ、ただ仏様のおかげで飯にありつけた、ありがたやとは思いましたが」
「はたして仏様のおかげだったのか?、ありつけたのは木下殿の自らの働きがあったからでしょう、寝ていても仏様が口元まで飯を運んできてくれたなら、それは仏のおかげとなりましょうが」
「うむ・・そうとも言えるが、お屋形様が叡山や本願寺を敵視して憎む理由はわかりますが、全山焼いて皆殺しにせよとは少しやりすぎと思いませぬか」
「木下殿、われら庶人とお屋形様では発想の原点が違うのでござるよ」
「なんと!」
「われらは憎しみや親しみなどの自分を起点にした感情でそんなことを考える、だがお屋形様には既に目指すところがあって、そこにいかようにしてたどり着くか、それを基準に物事を考えるのでござる、ほとんど感情で考えることはありませぬ、ゆえに感情に訴えるときはたった一発、とんでもない爆裂をする、それであとは無かったようにもとにもどるでしょう」
「いかにも、そうでありますが、では何を目指しておられるのですか」
「わかりませぬか」「はあ、わかりませぬ」
「お屋形様が京を支配するようになり、われらも奉行として在京しましたが、なにか変わったことに気づきませんでしたか」
「伴天連(ばてれん)のことでございますか」
「いかにも伴天連でござる、今までのわが国にはいなかった人種が京の都を闊歩しております、しかも奴らはお屋形様に近づき教会と言う伴天連寺を建てて布教まで許された、これはなぜだかわかりますか」
「日本の寺に見せつけたかったからでは」
「ははは、」さすがは木下殿じゃ、そのとおりです。 お屋形様はもともと仏教には関心も興味もなかった、ただの迷信と思っていた節があります
父君の弾正忠様(織田信秀)の葬儀でも家臣居並ぶ前で、香炉の粉香を位牌に向けて投げて撒いたとか、柴田権六殿にお聞きしたことがあります、あきらかに仏教に対して不信感があるのでしょう、それなのに本願寺から出た一揆が各地で蜂起する、叡山は浅井朝倉を応援して匿い、反抗する、これでは庶人より遥かに癪癖が強いお屋形様が爆発して当然でござる」
「ならば伴天連のゼウス教とやらも同じでは、まして異国人でござるよ」
「いえいえ、お屋形様にとって伴天連は宗教などと思っておりませぬでしょう、伴天連もまた宗教以上の何かを求めて我が国にやってきたのでしょう、われらにはその目的はわかりませぬが、すでにお屋形様は見通しているご様子、伴天連と話すときはまことに愉快そうであると聞いたことがあります」
「ふうむ・・愉快とは」
「好奇心が強いお屋形様にユーロペ(欧州)の珍しいギヤマン、とか眼鏡、世界を描いた球体などを贈って関心を得た」
「なるほど」
「それよりも、もっと強烈な魅力が伴天連にあります、最近気づかれたことはありませぬか」
「わかりません、なんでありましょう」
「尾張半国を得るにも数十年かかっていたのが、この数年で近江半国、山城、摂津、伊勢、美濃、これだけの広大な領地を得たのはなぜでありましょう、なぜ急に織田家は強くなったのか」
「ふうむ? 将軍を得たからでありましょうか?」
「それもあるが、お屋形様は最初から将軍をあてにはしておりませぬ、権威を利用しただけで、それによって領地を得たわけではありませぬぞ」
「武力でござるか」
「いかにも、だがまともに戦えば、言って悪いが尾張、美濃の兵は決して強いとは言えませぬ、それはお屋形様もとっくにご存じのこと」
「ふむ、それを補うには鉄砲か!」
「まさに、それでござる」
「だが、敵も鉄砲はもっておりますなあ、本願寺や雑賀などは数でもわれらに負けぬほどあるとか」
「木下殿は鉄砲足軽を率いたことがありましょう、また拙者と金ケ崎の退き戦でも鉄砲800挺撃ちまくって撤退に成功しました」
「いかにも」「お気づきないか」
「うむ!そういえば威力も性能も命中率も射程も最初よりよくなった気がします」
「気ではなく、その通りなのです。われらは最初は弾も火薬も国内のものを使っていたが、これは南蛮人が外国から持ち込む物に比べると、まったくクズのような代物でした、今、織田家が使っているのはすべて南蛮人が持ち込んだものです、敵は未だに国産の弾を使っているが、これは鉄など重いので飛ばないし命中率もよくない。 お屋形様は南蛮人に布教を許した代わりに火薬や弾の独占をしている、堺の権益までも抑えたのは、そのためでござる」
「お屋形様はそこまで」
「いかにも、並みのお方ではございませぬ、ゆえに拙者もお屋形様のなされることに全面的な信頼をしておるのでござるよ」
「なるほど、明智様が微動だにもしないわけを、ようやく納得しました、勉強になりました」








1年ぶりの温泉旅行

2022年10月27日 06時41分54秒 | 旅行 北陸
石川県の和倉温泉に泊り、観光を楽しんだ
1日目は富山県砺波市の酒蔵「若鶴酒造」、日本酒だけではない、ここは日本で3番目にできたウィスキーメーカーでもある、その銘は「三郎丸蒸留所」
火事で焼けた後もクラウドファンディングで再建した。
三郎丸蒸留所
高岡大仏、梵鐘などで有名な銅器の製造所が作った世界初鋳造性ポットスチル
「ゼモン」

稀な55年物を記念55万円で発売、数百本限定は、瞬く間に終わったとか

ここを見学して、ウィスキーと純米酒1本買った
そのあと昼食をとり、能登島で水族館へ行った


高岡I.Cー七尾I.C間が工事交通止めのハプニング発生、そのためガラス美術館の見学はできなかった。
和倉温泉到着、一年ぶりに温泉に入る、相変わらずマッサージはやっていない
仲間10人と飲み語り合った一日。

2日目は金沢市内の見学
「忍者寺」と名高い、加賀百万石前田家の隠し出城ともいわれる妙立寺
前田家3代目前田利常が、徳川からの取り潰しの危機に備えて、市街戦を想定して作ったという、金沢城に続くという深さ24mの井戸
この平凡に見える寺の様々な仕掛けが面白い、幕命で3階建て以上が禁止されたが、この寺は外観二階建て、内部は四階建て七層になっており、比較的小さな建物なのに、部屋が23(茶室、切腹の間、礼拝所、武者隠しなど)階段が29(襖の裏、廊下の下などに隠したものも多い、落とし穴兼用もある)もある
この複雑な設計図を考え書いた人間に凄さを思う。


昼食は卯辰山の六角堂でステーキ昼食、


金沢21世紀美術館、東茶屋街でスィーツ、近い場所の旅でゆっくりと時間が取れた。