藤吉郎は刈谷ー安祥ー岡崎ー浜松ー掛川ー駿府と今川の主な城下を探りながら歩いた
駿府に着くと真っ先に松下嘉兵衛の屋敷を訪ねた、嘉兵衛にも会いたかったしし、それよりも初女に会いたかった。
家臣たちはいたが、嘉兵衛も初女も浜松の頭陀寺城へ行っているとのことであった、藤吉郎はがっくりした。
それでも目的の御役目を果たすべく歩き回った、地形、城の守り、家臣の士気、人々の暮らし、食糧事情、実り、町の豊かさ、湊など
商人となって町家や武家屋敷の中間、足軽などからも情報を集めた
宿には様々な土地の人間や、旅の僧、藤吉郎同様の行商人が出入りしている
それらと親しくなって話すと今川領だけではなく、
関東や甲斐、信濃の情報までも得ることができた。
およそ三か月、たっぷりと情報を書き記して藤吉郎は清州に戻って信長に面会した。
藤吉郎は知らなかったが、彼が留守にしている間に事件があった
前田利家が信長が寵愛する稚児小姓と争って切り捨てたのである
信長は当然怒った「手打ちにする」と言った、柴田勝家が必死で信長を止めた
冷静さを取り戻した信長は、利家の今までの忠義と武功を考えて、閉門蟄居に減刑した。
「さあ、調べたことを申してみよ」信長とただ二人だけの対座である、さすがに緊張したが
「まずは今川領の周辺から申し上げます、三河は大高から刈谷、安祥、岡崎まで今川が土地の豪族を支配していますが、
今川は、岡崎の本来の城主松平元康様を駿府に縛り付けて、今川家臣が城に入り、松平家臣は城から出されて半農の暮らしをしています。
そして今川の代官や家来たちの三河武士を見下した態度に所々で反抗が起きて、それは今も不穏な雰囲気です。
松平家の家臣は腹の中では今川には従属していませぬ。今川は戦のたびに先鋒に三河兵を配置します、ゆえにわれらが戦う相手はほとんど三河の松平武士なのです。
三河の武士は今川の過酷な要求と空腹に耐えて、主の松平元康様が岡崎に戻ることを夢見ています、今川への忠誠心はないとみてよろしいでしょう。」
「うむ、続けよ」
「今川は甲斐の武田、相州の北条と三国同盟を結び、互いの子息と娘をやり取りして親戚関係になり、いまやもっとも強い同盟になっています
三国はいずれも大国で強国です、相州の北条氏康は関東から古河公方、関東管領を追い払って関東の武士を掌握しました
甲斐の武田信玄は信濃に兵を進めて諏訪、高遠、小笠原などを滅ぼし信濃中央から北信濃を支配しました
しかし関東管領や北信濃の豪族が越後の長尾景虎を頼って行きましたので、神がかりと言われる景虎は信濃川中島にて武田と三度にわたり大戦をしましたが未だ決着はついておりません
ただ、甲斐も相模も今年は大雨で大飢饉になっております、武田晴信は神仏に祈るため入道して武田信玄と改めました
今川領も田舎は水害や疫病でみじめなことになっています、井伊谷や岡崎はもともと貧しいので一揆の噂も出ています
「ふ~む」
「越後の長尾景虎の話はあるか」