秀吉も、この20人ほどの重臣の一人に加えられるほどまでに出世した、実質3万石の領地も得た、また木下家中も弟の木下小一郎、蜂須賀家政、前野将監、竹中半兵衛の4人の司令官を得た
更に堀尾吉晴も秀吉の馬廻り衆として司令官の勉強中である、信長が拡大するたびに秀吉も大きくなっていく
横山城は小城だが、早く丹羽長秀や柴田勝家のような家老になりたいと願うのだった。
自分を虫けらのように殺そうとした明智光秀には負けたくないと思うが、もともと美濃の斎藤の一族で重臣だった光秀には家柄で負けているし、丹羽長秀と共に老臣の地位にあり、それは秀吉より2歩も3歩も先行しているのだ。
それだけなら頑張って追い抜く自信はあるが、光秀の才能は秀でたものがある、将軍の側近、朝廷にも顔が利く文化人で外交官、さらに戦術家でもある
(まだまだ力が足りぬ)そう思わせるだけの力が光秀にはあるのだ。
光秀の立場はほかの家臣と違ってよくわからない
美濃で戦に敗れて逃げた先の越前(福井)朝倉家の食客になっていた時、都から逃げて来た足利義昭と出会った
義昭の幕臣(将軍の家来)細川藤孝と意気投合して、はっきりしない朝倉義景に愛想を尽かした義昭を、織田信長に引き合わせたことで義昭の重臣になった。
しかし信長も正妻だった濃(のう)の従兄である光秀の才覚に注目して家臣にした、しかも義昭の家臣であることを認めながらであった。
この時点で光秀は、義昭と信長の両人から禄(給料=土地と家来)を受け取っている、いわば2つの会社で取締役をしているようなものである。
短気で独占欲が強い信長にしては異例の扱いである、それでも光秀を家臣にしたかったのだから光秀には凡人にはわからぬ才覚があり、それを天才信長が認めたのだ、それが今日まで続いている、だが光秀の気持ちは次第に義昭を離れ、信長に近づいていることもわかる。
秀吉が信長に忠実で何度も命がけの戦をしてきたが、それでも光秀のなんだかわからない魅力(能力)には遠く及ばない。
秀吉は、それを感じるたびに自分の生まれ育ちと、光秀のそれを比べてしまい、いつもどうにもならない劣等感と寂しさを感じる
そして胸の奥から「育ち」という、どうにもならない壁に怒りを感じて、それは光秀への対抗心になって行く、それなのに光秀と会うと、思わず身をかがめて卑屈なほど自分を光秀の前では小さくしてしまう。
どうしても(自分はなんにつけても光秀の下なのだ)思ってしまう。
さらに、信長が光秀と話している時の態度を見ていると対等で、大人同士の対話に見える、信長が自分に対するときは大人が可愛いい子供に対するようで、子ども扱いされている気がする、そこにまた秀吉は光秀に劣等感を思ってしまう、そして嫉妬してしまうのだ。
(儂はこれほどまでにお屋形様に身を粉にして働いた、その働きは光秀よりも上だと思う、なのにお屋形様は儂を子ども扱いしている、いったいどうすればお屋形様は儂を光秀と同じように扱ってくれるのか)
光秀の前に出れば自ら貶めてしまう自分にも情けなくて腹が立つ、その底にあるのは「育ち」であり、「家柄」になると考えるのもおぞましい、比べようがないのだから、百姓の中でも下の下であった自分の家、美濃の斎藤家の縁者で大名の家に生まれた光秀、スタートがそもそも天と地ほど違うのだから
だが秀吉には、それがわかっていても呑み込めないどうしようもないジレンマで気が狂いそうになる。「光秀には勝てない」
もう一人、秀吉には気になるライバルがいる、それは滝川一益である、得体のしれぬ男だ、歳は40をかなり超えていそうだ、話では信長よりも年上らしい
信長の一益起用法も謎めいている、重臣の列に加えられながら行動は常に他の武将と異なった動きをする
かって北伊勢に侵攻した時も、早くから調略活動をしていたようだが目だった動きは見えなかった、ところが北畠、神戸らが降伏したのは一益の働きだと、信長から勲一等を与えられている。
伊勢の数か所の城を受け持っているが、どこの城主と言うでもなく、常にその働きは信長から直接与えられているらしい
「まことに謎めいたおかしな男よのう」と秀吉が半兵衛に言うと
半兵衛は大声を上げて笑い出した「殿と同じではござらぬか、他の家臣どもはみな殿のことを、殿が申された滝川評と同じことを申されておりますぞ」
「ふ~む そういわれてみれば・・・うむ」と言葉に詰まり苦笑いした。
ある日、秀吉は弟小一郎と久しぶりに兄弟で茶飲み話をしていた
小一郎も兄に付いて学び、戦場経験も付いてきた、今では立派に一軍を指揮できる武将に育った。
子供の頃は毎日の食事もろくにあたらず、ひもじいと言っては泣いていた痩せこけた「つき」だったが
「兄様」家臣の前では「殿様」と呼ぶ小一郎だが、二人きりの時はこう呼ぶ
「兄様も水飲み百姓よりまだ貧しい家の出身から、ようもここまで出世なされた、おそらく八百余州倭(やまと)の国で始まって以来の快挙であろう
いったい兄様はどのような考えで生きておられるのかのう?
何も考えずに突っ走るだけでは、こうはなるまい」
「そうよのお、お前にだけは教えるが儂の思いは簡単なのさ、ただただ『受けた恩に報いたい』それだけを生きがいにしておる、あてなく彷徨っていた時に救ってくれた清州の住職、命の危機を救ってくれた今川家の松下様、身分差を気にせず対等に付き合い、何度も助けてくれた前田利家様、出世の糸口を与えてくれた小六殿、三蔵、そして生まれも育ちも気にせず雇ってくれたお屋形様
これらの人々に恩返ししようと、ただそれだけを考えて生きてきたのだ」
「うむ・」
「その人たちに喜んでもらうにはどうする、何を彼らは欲しているのか、それを徹底的に調べればなすべきことが見えてくる。
出世したいとか、金持ちになりたいとか誰もが考える漠然とした思いは目標とは言わぬ、それらは結果なのだよ
もっと小さくて簡単に実行できることを目標にするのが良い、そうすれば小さな成功の積み重ねでやがては出世につながったり、金持ちになれる
何事もこつこつと積み上げるのが大事だ、2のことができない者にいきなり10のことをできるわけがない、
行商をしたころは儂は貧しい者でも買えるような小さな商いから始めて、銭がたまるようになってから商う品を少しずつ高価なものに変えていった、そして町人、僧侶、武家、と客層を上げていき、最後に得た大金で鉄砲一丁をようやく堺で手に入れた、それを土産にどこぞの家臣にしてもらおうと小六殿に相談した結果、前田さまに出会い、その伝手でお屋形様に目通りできて織田家に鉄砲足軽頭として雇ってもらったのじゃ
今目の前にある事柄に集中して、それをうまく乗り越える方法を実行すれば必ず神仏も応援してくれる
金ケ崎で殿軍(しんがり)を願い出て自ら死地に入った、あの時は明智様も一緒に死地に入ったのだ、普段から明智様は好きではなかったが、あの時は心を合わせてお屋形様や徳川様、多くの織田の兵士を無事に逃がすことだけを考えて戦った、己の生など思ってもみなかった、まして死も考えはせぬ
ただただ目の前の敵を倒すことに集中したのだ
その結果、少ない兵と鉄砲を有効的に使って逃れ、いよいよダメかと思ったとき、徳川様の鉄砲隊が儂らを救ってくれた
徳川様を助けたいと思った気持ちが徳川様と神仏に通じて、窮地のわれらも救われたのだ、最初から命惜しんで逃げ腰でいたら今ここに生きてはいないだろう、死の中に死を求めた故、生を得たのだ
出世など望んでできるものではない、一日一日の勤勉な働きの結果としていつの日か、向こうからやってくるのだ、出世は夢や希望ではない、結果なのだと思って励むことだな、そうすればいつの日か、お前にも小城の一つも天から降って来るやもしれぬぞ、ははは」
「兄者、良い話を聞かせてもろうた、小一郎、今の話を人生訓として心に深く刻み置きます」
「ははは、そう硬く考えるな、お前は生真面目すぎていかんが、酒も飲め、女も・・・おっと、愛妻家のお前には無理な話よのう・・ははは、忘れてくれ」
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