神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

光秀謀反の本能寺 なーんちゃって⑬

2021年02月18日 19時40分36秒 | 光秀の本能寺
秀吉が播磨の仕置きを終えて京に凱旋したのは、姫路の戦いから1週間後のことであった
光秀は逃がしてしまったが、もはや明智家は滅んだに等しく死のうと生きようとさしたる問題ではなかった
道すがら秀吉は考えた(いったい光秀の本能寺での信長殺しは何だったのか?)
そしてこれからの世の移りと、自分の立場、信長様がいない織田家の行く末
だがこの開放感は何なのだろうか、考えて見ると自分には今恐ろしい者が無いことに気付いた
この世で唯一恐ろしかった人間は織田信長だった、信長の機嫌一つで命を取られる怖さはいつもあった
荒木村重、松永久秀はその圧力に耐えられず反旗を翻し滅びた、光秀もしかりそして三度目の正直で光秀は信長を討った
信長もうかつと言えばうかつだった、光秀を甘く見ていた、まさか裏切るなどとはゆめゆめ思いもしなかった
光秀が本当に殺したかったのは信長よりも森蘭丸とその弟たちだったのでは?とも思った、信長様は巻き添えになったのでは?
そして秀吉はそれに乗じて光秀を討つ決断をした、今思い返せば秀吉が光秀を憎む理由などないのだ
いつも上から目線で自分を見下ろしていた光秀だが、考えて見ればそれは自分の引け目で、光秀に辱めの言を言われたことはなかった
むしろ柴田勝家の方が秀吉を「猿!」だとか「百姓ずれが」などと露骨に人前で言ったものだ
光秀の清廉潔白で異常なほどに研ぎ澄まされた神経、そして品の良い所作振る舞い、秀吉が及ぶところでは無いことは認める
そのように考えれば考えるほど光秀に友情を覚えた、逆に柴田勝家こそこのチャンスに討ち果たすべきと言う思いが頭を持ち上げた
勝家こそ生かしておけば我が身の災いとなる男だ、許すことはできぬ
(明智光秀 いつか使えるかも知れぬ)

その5日後、岐阜城で織田信忠、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉の四人が集まって今後の織田家の組織と領地の再編成の会議を開いた
本来ここに来るべき滝川一益の行方は未だ知れず、死んだものとして処理された
議題その1は、これからの戦略である
目下の敵は西の毛利、四国の長宗我部、越後の上杉に絞られた
その先の九州島津、関東の北条の今後の動向には注意をすることとした
そして,それぞれの敵に対する方面軍を確認した、ほぼ今まで通りで上杉に対しては越前北之庄城の柴田勝家
与力として越中に佐々成政、能登に佐久間盛政 加賀に前田利家  近江長浜に柴田勝豊 

越後上杉家は、本能寺の変がなければ武田に次いで今頃は滅び去っていたはずである
しかし今は川中島口の森長可、三国口の滝川一益軍が壊滅して徳川、北条、上杉、真田の草刈り場と化している
ここに再び軍勢を送る必要があるので信濃方面軍の再編成が急務となった
織田信忠は信長生存中に家督を継いだので、誰もが織田家の総帥である事は認めている
その織田信忠が自ら信濃方面軍の総指揮官となり、直属与力として蒲生氏郷、美濃衆 氏家、稲葉等
織田信孝を軍団長に与力は信州木曽の木曽氏、伊那谷から諏訪を賜った森長可、そして駿、遠、三の太守徳川家康の協力を得る
本能寺の変の後始末の内に上杉勢は信州仁科郡から深志城、諏訪から善光寺平まで取り返した
真田も上杉と同盟して上田、真田の庄まで回復した

中国方面は毛利に向けて羽柴秀吉が変わらず担当した、毛利と秀吉がすでによしみを通じたことを信忠も柴田も知らない
与力は高山右近、亀山城を拝領した池田恒興の二男で中川清秀の娘婿池田輝政
宮部継潤、父の戦死で摂津の大部分を拝領した池田元助ら
最前線は姫路の羽柴秀長と備前の宇喜多、しかし毛利との戦闘は今後あるまい

領地の変更も話し合った
光秀の旧領の配分は丹羽長秀に福知山を若狭に加えて加増
亀山城は池田輝政に、近江坂本は堀秀政に

そして信長が死に安土城天守は焼けたが復興を急ぎ、近江の武将を率いて織田信忠が政務を執り全家臣団に号令を発する
旧領の尾張美濃は、美濃は信忠の直轄として残し稲葉と氏家が城代として常駐する、また織田長益に大垣城を与えた
尾張一国50万石を織田信孝に与えた、伊勢半国だった織田信雄には滝川の旧領を合わせて伊勢一国を与えた
日野の蒲生氏郷には安土留守居の地位を与え、甲賀、伊賀、大津など南近江を加増した
奈良脱出の案内をした功労者、島左近を筒井家から独立させて膳所で10万石を与えて信忠の家老とした

そして秀吉の領地が話し合われた
丹羽長秀が「羽柴殿の此度の働きは見事でした、我らは途方に暮れておりましたところいち早く戻って光秀追討に動かれた、天晴れでござる」
「だが逃がしてしまったではないか、功罪半々じゃ」勝家があざ笑うように言った
「いずれにせよ功労一等であることはたしかじゃ」
「五郎左(丹羽長秀)おぬし秀吉に利用されたのじゃ、お人好しもたいがいにさっしゃれ」勝家はあくまでも秀吉の功績を認めない態度だ
秀吉は意に介せず「それがしの近江の領地は柴田様に差し上げました、何もいただけなければ功を挙げて損をする
それでは家臣も納得いたしませぬでな、せめて河内一国は近江の代わりにいただきたい」
「河内一国だと! わしは近江に15万石増えただけじゃ、せいぜい河内の一郡二郡で我慢しやっさい!、光秀を逃がして功労とは片腹痛いわ」
「ほほー そうでござるか それでは逃げた敵を匿うのはいかがなものかな?」
「何のことじゃ!」
「京極の小僧は我が長浜を襲い、あろう事か信長様の安土城も攻めたのでござる
その小僧を柴田様は匿うておられましょう」
「うん?....それは そのとおりじゃが」嘘をつけないのが柴田勝家の欠点であり、男らしさでもある
「まことか?勝家?」信忠が驚いて聞いた
「まことでございます、実はお市様や茶々様から高次を助けて欲しいと以前より頼まれておりました」
「なんと! ゆゆしきことじゃ」信忠が困った、勝家だけならなんとか軽い処罰で済まそうと考えたが、叔母の市や従妹たちが絡むと面倒だ
きまずい空気が漂った時、秀吉が口を開いた
「上様(信忠)高次は罪人ではありますが昔、浅井様の小谷城でお市様が可愛がり、茶々様と兄妹のように過ごしたとか
そもそも小身の身で光秀の配下とされたのが身の不幸でありました、小者ゆえ柴田様の元で厳重に捕らえておけば改心するでしょう」
「なるほど、そうであったか、それで良い、勝家!高次には灸をすえて改心させて使うがよい、世が世であれば名家の若君じゃ」
「ははー」
「上様、事のついでにもう一言、お許しいただけますか?」いつものとぼけた表情に戻った秀吉は
「巷の噂でございますが、以前より柴田様がお市様に想いを寄せておられたとか
此度のことも、お市様のためとか
余計な事ですが、柴田様の御本意を確かめてはいかが?」
なぜか柴田勝家、言われるがままで、いつものような「猿め!出過ぎるな!」とは言わない
「勝家まことか?」
「いや! その あの」百戦錬磨の勝家がしどろもどろになった
「まことであるのだな、父上も叔母の再縁の先を気遣われていて勝家の名も出たような気がする、叔母上に問うて異存なくばどうじゃ?」
勝家は平伏して「もったいない」
 
これか゛功を奏したのか勝家はあっさり前言を翻して秀吉の河内一国を認め、さらに信忠の弟で秀吉の養子となっている羽柴秀勝に和泉の国を認めた
秀吉は商人の町、堺の権益も手に入れた
そして柴田勝家は市を手に入れた
「勝家のじじいめ、信忠様に問われて年がいもなく顔を真っ赤にしておった、どちらが猿かわからぬわ、狂い咲きじゃ」










冬に逆戻り

2021年02月17日 23時24分42秒 | ライフスタイル
朝10cm、どんどん降ってきた
午前で予約仕事終わらせて、昼からは高速道路も国道もローカル線も
止まったので仕事にならないから閉店
13時に帰宅したら家の駐車場は40cmで四駆でも入れない
また除雪か! 嫌になる 湿つていて重い 良い運動?
ようやく入れて家に入った
バレンタインでいただいた様々なチョコは食い尽くしたし
最後のバレンタインプレゼントのスコッチウイスキーの封を開けた
The MACALLAN 初めて飲んだ フルーティーでクセのない良い酒
水割りで一杯目 もったいないから二杯目からストレートで
四分の一飲んで、また明日だな

明日も仕事にならないな、この雪では
でもデリバリー予約がある それだけやってまた家で飲もう
おつまみだけは忘れないようにしよう
あぶりエイヒレ ヤリイカのさしみ 銀マトウダイの昆布締め
アンコウの皮のポン酢味付け チーカマ あん肝
こりゃ一人宴会かな

光秀謀反の本能寺なーんちゃって⑫

2021年02月17日 16時53分33秒 | 光秀の本能寺
朝から始まった戦闘は一進一退のまま膠着状態であった
ここに秀吉の本隊が近づいたという知らせがくると秀長軍は活気づき、反対に光秀には焦りが生じた
互いに引き鐘を鳴らして軍の立て直しを図った
秀長軍は本陣の山の山麓の小さな川を防御帯としていたが、そこより50間ほど前に前線を築いた
藤堂高虎の2000が先鋒として最前線にいるその後ろを宇多、桑山ら旗本が左右に500ずつ展開して、川の向こうの小山に秀長本隊4000がひかえている
そこから北の御着から西に向かって池田隊5500、宮部隊1500、高山隊4000、更に光秀本陣に続く小山の北端の丘を高山別働隊1000が押さえている
明智勢の西の姫路城には宇喜多隊3000が籠っている、羽柴秀長軍の総勢22000
そこに兄、羽柴秀吉の軍1万がやってくる

明智軍は全鉄砲足軽500のうち200を阿閉貞征に与えて姫路城から市川を渡る浅瀬に備えさせた
そして後ろ備えの溝尾隊を本陣に呼び寄せて溝尾庄兵衛に1500を与えて、光秀本陣を尾根伝いに南に移動した
光秀の本隊は5000、そして平地の主戦場で戦っているのは斉藤利三、明智秀満のおよそ1万で高山隊、池田隊と向き合っている
それから30分後には元気が出た羽柴軍は一斉に攻撃を開始した、高山、池田隊
加えて藤堂隊は明智秀満、斉藤利三の部隊に襲いかかった
秀満と利三隊はこれにかまわず後方の味方の山沿いに下がった、これを後退と見た池田隊は一気に攻め寄せた
その時、戦場の真ん中にぽつんとある小山から鉄砲が放たれた、その一弾が大将池田恒興に命中、恒興は落馬した
そこへ明智方の柴田勝定が寄せて首を掻き切った、そして勝ちどきを上げた
池田隊は後退した、藤堂隊も立ち止まった、そこに明智本隊から藤田伝吾の隊2000が山を駆け下りて藤堂隊に襲いかかった
藤堂隊はたちまち混乱に陥った、それを見た明智秀満の隊は高山隊に向かい、斉藤利三の5000は藤田隊と共に藤堂隊を追いかけ
羽柴秀長の本陣に付け入ろうとした、慌てて秀長隊から鉄砲が放たれた
秀長軍の前衛は逃げてきた藤堂隊と付け入る明智勢で混乱に陥った、一陣が早くも壊滅状態だ、斉藤勢の勢いは凄まじく秀長の本陣が後退をはじめた
その時、北部で押されていた高山隊、池田隊が反撃に出た、明智秀満隊も押し返したが急に崩れだした
そこには秀吉の旗本、加藤清正、福島正則、加藤嘉明らが蜂須賀家正と共に押し出してきた、ついに秀吉本隊が到着したのだ
同時に戦場の西、姫路城方面でも鉄砲を撃ち合う大音響が聞こえた、すると山の上の溝尾隊が山を下りはじめた
それを気にする間もなく羽柴勢によって秀満隊と斉藤隊が分断された
斉藤隊は藤田隊と共に戦いながら光秀の本陣に向かって下がった、そこに秀長隊の4000、さらに秀吉軍の掘隊、中村隊が加わり8000で攻め寄せる
さらに息を吹き返した池田隊5000も加わった、しかも中央突破した蜂須賀隊3000、高山隊4000も一気に抜けて光秀の本隊を狙って走る



秀吉は道中、軍を三つに分けて急行したのだ、山中の軍道を急いで来たのは蜂須賀隊、秀吉軍本隊は山陽道を
そして挟み撃ちにするために海上から姫路を通り過ぎ室津に上陸させた堀尾隊1500は姫路城の宇喜多隊と合流
一気に市川沿いの浅瀬を渡り、明智の鉄砲隊を殲滅して山を登り南に下って光秀本陣を襲おうとしていた
明智勢は山の150mほどの比較的開けた所に本陣を置いた、そしてもつとも危険な北に2500、背後の尾根に500、東の山麓に1500を配置して
前方の秀満隊、利三隊、藤田隊の後詰めとした
本陣を護るように戦線縮小した明智軍は先鋒明智秀満の4000、二陣に斉藤利三の4500、三陣に藤田伝吾の1500、
本陣北尾根に溝尾の1500、光秀本陣に3500、光秀は思い出した
これでは長篠合戦の武田勝頼ではないか と
秀吉軍は35000、わしは14000ほどだ  と
ついに秀吉軍は正面と背後から一斉に押し出してきた、城攻めのように時をかける必要はない、消耗戦は数がものを言う
いくども大軍を押し返した秀満も力尽きて討ち取られた、そして斉藤利三も全軍を率いて最後の突撃を行った
中川瀬兵衛の隊に襲いかかって中川を討ち取った、しかしそこまでであった
疲労困憊したところを若武者加藤清正が一騎打ちで首を挙げた

「殿、これまででござりますな」美濃の郷族のころから仕えていた藤田伝吾が光秀に言った
「そうよな わしの人生はどうかな? 何をしにこの世におりてきたのか?
斎藤道三様に仕え、姫を信長様にお渡しし、道三様が息子に討たれ、わしらは越前に逃れた
そこで細川殿に会い、足利公方様の家臣となり信長様を頼って公方様を都に再び
お帰りいただいた
だが信長様と仲違いされて戦となり、わしは心ならずも信長様の家臣となって公方様に敵対したのだ
そして信長様の手足となつて働き家老として取り立てていただいた、だが信長様は時と共に許しがたい行いを数多された
神仏も恐れず、天罰を信じず゛自らを神と定めて帝の上位を口になされた
秀吉のような口軽者を重用されて信じた、わしの諫言を悪し様に罵り皆の前で打ち据え、蘭丸にまで屈辱を受けた
その恨みは晴らした、だが信長様には仇より受けたご恩の多さを今頃思っておる、愚かなことをしたものよ
後世、誰かの天下取りのために光秀は捨て石になったと言われるのだろうな
口にすれば短いが歩めば長き人生であった
さて、そろそろ腹を切るとしよう、伝吾、介錯をいたせ」
「殿! あいつかまつり申した」
「お待ちくだされ!!」斉藤利三の三男利宗(利光)であった
「父からの伝言でござります」一通の文を渡した、簡単なものであった
(殿!お腹召すことあいなりませぬ 時が過ぎればまた殿のご活躍の時が必ずきます
殿の快挙を喜び、己の開運といたす者もありましょう、それだけでも此度の義挙の意味があります
こんな事態に備えて市川の入り江の崎に淡路水軍の味方、菅達長殿の手の者が早舟にて控えております
供としてお連れいただけるものは20名ほどです、私は嫡子利康ともに忠義を貫き果てますが、家を絶えさせるのは惜しい
なにとぞ利宗を供として家名の再興をお頼み申し上げます、親の勝手ではありますが命と引き替えにお聞き届けいただければありがたく存じます
今後は殿と懇意の長宗我部元親殿をお頼り下さい、元親殿の奥は私の異父妹でございますから必ずお力となるでしよう)
「.....伝吾、腹切るはやめぞ! 名より命を惜しむことにする、ただちに各部隊に使いを出し、切り開いて生きのびよ
いずれわしが再起したときには訪ねて参れと伝えよ、無駄死には恥と思え、生きることこそ誉れと思え! そう伝えよ
伝吾と庄兵衛と石谷は手練れを集めてわしを警護せよ、これより川沿いの林の中を河口に向かうぞ」
「殿、我が手には荒木村重様の旧臣がおりまする、道案内によろしいかと」
「あいわかった、すぐに案内させよ! 逃避行ではないぞ 門出じゃ」



光秀謀反の本能寺なーんちゃって⑪

2021年02月16日 19時26分20秒 | 光秀の本能寺
「光秀め何を血迷ってこのようなところで我らと戦う気になったのか」
それもそのはず、姫路は秀吉の播磨の本拠地であり,参謀の黒田官兵衛の故郷でもある
羽柴方にとってホームグラウンド、蟻の巣穴まで熟知したところなのだ
やはり光秀も、それには気づいていた(一体なぜこのようなことになってしまったのか)
敵地で戦う事の不利も当然ながら何の為に大軍を率いて姫路に来てしまったのか、それはわかっている、毛利と連携する事が条件だったのだ
ところが毛利は秀吉と和睦したとのことだった、これでは仮に姫路城を落としても孤立無援いずれ攻められて敗れる
ここにきて光秀が描いていた僅かな夢が崩れようとしている、様々な原因があったとは言え信長を衝動的に殺したことを悔やみだした
悔やんだとて今さらどうにもならない、初めて自分の命が危ういことに気づいた、急に臆病風が吹いてきた

「殿、羽柴勢が近づいておりますぞ、姫路城を総攻めするのか撤退するのか迎え撃つのか、御下知を」斉藤利三が促した
「うん 我らはこれより前進して秀吉軍を迎え撃つ、まずは川(市川)を渡り川の東に城勢への備えと後詰めを兼ねて
溝尾庄兵衛を大将に2500を5小隊に分けて配置せよ、その前の小高い丘を本陣としてわしが1500を三段に藤田伝五に2000を二段に
本陣前の麓に斉藤利三、明智秀満が各々5000ずつ5段にて展開、本陣の南の小山に斉藤利光が4000で遊軍とする
総勢2万の明智軍の布陣は忽ち終わった、もはや敗れて当然の死を決した背水の陣だ
今となっては背後の姫路城の宇喜多勢が邪魔で仕方ない、今は音を鎮めているが羽柴勢が有利になれば城から撃って出るだろう
そうなれば挟み撃ちで全滅の憂き目に遭う、まずは初戦で羽柴勢を叩くしかない

羽柴勢は地元の領主粕屋武則を案内として羽柴秀長の軍勢7000が次第に近づいて来た
光秀としては大河の加古川の西で食い止めたいところだが丹波方面から下ってこられたら背後に回られて危険だ
それに平地が広すぎて守り切れない、少しでも狭くて地形の複雑なところでなければ秀吉の大軍は防げない
物見に寄ればやはり南から高山勢、池田勢の摂津の与力が5000程下りてきたという、しかもその後を但馬の宮部勢も追ってきているという
加古川方面からは秀長のあとを追うように秀吉の本隊1万が来ているという
更に織田信孝も尼崎まで軍を進めてきたという、また淡路の海賊衆が動く恐れもある

羽柴秀長の本陣は斉藤利光の陣の向かえの小山の高さ100m程の中腹に構えた
その前には凡そ1000人の軍団を2段に構えた
山の南の御着城跡には池田元助が500の兵で籠もっている、その前方の平地には斉藤利三勢、明智秀満勢に向かい合って
およそ5000が数段の備えを構えている、そして南からは高山勢2000が光秀本隊の前線の小山に向かって布陣
その東には池田恒興の3000が備えている、その後方に宮部継潤の軍が1000数百

ついに羽柴軍の正面が鉄砲を撃ちかけてきた、負けじと明智軍も撃ち返して火ぶたは切られた
東に小高い丘が連なる狭い谷間に両軍が走り出して長槍と長槍、騎馬と騎馬がぶつかり合っている
明智勢がやや押し気味であったが、光秀本陣から近い平野部にぽつんとある50m程の丘から一斉に鉄砲が放たれた
明智秀満の騎馬武者が数騎撃ち落とされた、羽柴方の兵が群がって首を上げた
その丘の反対側から斉藤利三の兵が駆け上がって、羽柴勢の鉄砲足軽を襲った、瞬く間に数十の鉄砲足軽が突き殺されて転がり落ちた
その後を斉藤勢の鉄砲隊が上がってきて,今度は羽柴勢の武者を撃ち落とした
こうして、この小さな丘の奪い合いから戦闘は激しくなって行った
有利に展開している明智勢が500騎ほど御着の池田勢に攻めかかった、すると南に進出していた元助の父、池田恒興の3000が一斉に明智勢の横を衝いてでた
同時に高山勢は明智光秀の本陣の南の端の旗本勢に向かって小山を駆け上がっていく、山の上からは鉄砲を撃って防戦
高山勢は損害を受けながらも前線の丘を奪った、その勢いで尾根伝いに光秀本陣を襲おうと進んだが
光秀軍の方が高台にある、鉄砲を撃ちかけた後、槍衾で一気に丘を駆け下りて高山軍と乱戦になった
後備えの溝尾軍から300程、山を駆け下り高山軍に向かった、こうして高山軍は被害を出して奪った前線の丘まで撤退して備えた
池田勢は前に出すぎた明智秀満隊の先頭を襲った、そして3000と言う圧倒的な数で分断した、御着の元助隊も山を駆け下りて川岸から弓を放った
これにより秀満隊の先頭は大損害を受けて後退した、池田隊はこの平地のほぼ真ん中で防御態勢を築いて羽柴秀長本隊の増援を待った

今の状況を言うと戦場の南部は高山、池田、宮部の総勢6500が光秀の本陣と主戦場の平地を伺っている
光秀本陣のある長い丘の北端のピークを高山勢が占領した
光秀の本陣3500は動かない、その後方の溝尾隊は2000、遊軍の500は高山隊とにらみ合っている
市川を挟んだ姫路城の宇喜多隊3000は秀吉の命令があるまで城を守り続けている
主戦場の平地では先頭が混乱したが明智秀満隊が5000の半分を池田隊に備え、残りの半分を秀長隊に備えている
主力部隊の斉藤利三隊5000は、ほとんど無傷で向かい側の山に陣取っている羽柴秀長を急襲しようと算段している
羽柴秀長の正面の小山にいる斉藤利三の息子、遊軍の斉藤利光4000は秀長本陣を伺っている、場合によっては父と共に攻め入るつもりだ
羽柴秀長は今動くと不利だと考えている、前面の川が防衛ラインとして最適であるから急襲を受ける心配はない
一部の兵を主戦場に送っているが手元には2000近い兵が居る、何よりも兄の秀吉から「わしが着くまでは防御に専念せよ」と言い含められているのだ
羽柴秀長,兄を心から神のように敬っている、だから決して兄の言いつけには背かない
兄の言うことを信じていれば絶対間違いないと思っている、性格は温厚で部下からも愛されている武将であった
そして総大将羽柴秀吉の1万の大軍がすぐそこまで来ていた




光秀謀反の本能寺なーんちゃって⑩

2021年02月15日 16時47分41秒 | 光秀の本能寺
明智の軍勢2万の先鋒が姫路に近づいた、物見の者が調べてみると空き城どころか宇喜多の兵が守っていることがわかった
しかも上方から羽柴小一郎が大軍で姫路方面に向かっていることもわかった
これでは姫路の城を攻める余裕などない(今の大きな姫路城よりはるかに小さい規模だが)
だが攻めなければもはや2万の大軍を維持することができなくなる、頼りは毛利軍が宇喜多の居城岡山を攻撃してくれることだ
謀将宇喜多直家が正月に死んで、息子の秀家はまだ10歳くらいの童だ、今の宇喜多は弱い、光秀はそう見ている
そうすれば姫路の宇喜多勢は浮足立って逃げるかもしれない、それを期待して3日以上も前に使いを出したが返事がない
もはやそれを待つ余裕はない、光秀は攻めることを決断した、まずは1万の兵で城を取り囲んだ
5000を羽柴小一郎のやってくる方面の有利な高台に配置した、自分は5000の本隊を率いて小高い山に陣を張った
見たところ城兵は3000ほどだ、さほど三層の天守があるが堅固な城でもないようだ、ここは一気に攻め落とすのが賢明だ、居城が無くてはどうにもならぬ
まずは姫路城を取って毛利と連携して宇喜多を滅ぼす
そうなれば、我らは宇喜多の領土に加えて播磨も手にする
毛利の最前線として大坂を狙う
信長様を討った為に土佐の長宗我部元親殿の四国平定は間もないであろう
長宗我部殿も我らの味方となり毛利、長宗我部、明智の大勢力となって織田信忠と互角の戦ができることになる

姫路城は、かっては播磨の大名小寺氏の居城だった、それを家来の黒田氏が奪い、黒田官兵衛が秀吉に属したとき譲った
秀吉は平屋の館を大改修して三層の天守の城に改築したのである
3000の兵がこもる城は光秀が思ったより堅固であった


ところが翌々日には羽柴秀吉の大軍が近づいているとの報告が入った
高山右近、池田勝入が先陣で5000、秀吉が1万、尼ヶ崎には織田信孝が数千で本陣としているという
さらに岡山から宇喜多の本隊5000が姫路の救援に向かっているとの情報も入ってきた
悪いことに毛利の軍勢は動く気配がない、しかも毛利と秀吉が同盟を結んだと捕虜の口から聞いた
背後から宇喜多の8000、後ろから羽柴秀吉22000、こちらは20000、
数的には不利とはいえないが挟み撃ちの状況は絶対的不利だ
光秀は全軍を四つに分けて秀吉に備えた



光秀謀反の本能寺 なーんちゃって⑨

2021年02月14日 17時48分03秒 | 光秀の本能寺
わずか一刻で亀山城を攻め落として中川清秀は凱旋してきた
敵の武田元明は、京極高次に従って明智光秀の謀反に加担、安土城、長浜城を攻めたあと光秀に従って亀山城に来た
そこで明智光秀が福知山に行くときに京極高次と共に亀山城の守備を任された
それは光秀の時間稼ぎの盾でしかなかった、そもそも光秀がおいて行った兵数は300しかなく、秀吉の大軍にはひとたまりもない
しかも今度は、京極高次が、妹で武田元明の妻の竜子を伴って柴田勝家を頼って落ちていくからと元明に城の守備を任せて50騎引き連れて行ってしまった
中川清秀らは元明が逃げ出して間もなく城攻めにかかった、わずか250では守れるわけもなく1時間足らずで降伏した
しかし大将の中川が処置に迷っているうちに福島正則が「秀吉様の長浜城を襲ったくせに命乞いもあるものか」と武田元明を鑓で一突き殺してしまった
誰も暴れ者で有名な正則を止めることも叱ることもできず茫然としていたが
加藤清正が「さすが正則じゃが、わしがやろうと思ったが先を越されたがや」と褒めた
そして京極高次が越前目指して逃げ出して間もないことを知り、百騎ほどで後を追った、そして追いついて戦闘が始まった
しかし高次の家来の奮戦で取り逃がしてしまった、ところが高次を討ち取る以上の手柄を立てた
それは武田元明の妻、竜子が逃げ遅れていたのを捕らえたのだ、三人の子を産んだ竜子はまだ20歳をいくつか過ぎたばかり、名門京極家の娘だけにその品の良い美貌は貴族好みの秀吉に最高の贈り物だ
案の定、秀吉は満面の笑みで手柄を立てた中川清秀に亀山城主の地位を与えた、そして竜子を本妻のおねに内緒で自分の側室にしてしまった
そして事後報告で、織田信孝に中川清秀に亀山城を与えたことを話した
「主に断りなく拙者独断でこのようなことをしました、どうか処罰をお与えください。 
中川のような剛の武士が城もなく彷徨っているのは誠に惜しいと日頃より思っておりましたところ、此度は亀山城を激戦で落とし武田元明の首を取る手柄を挙げました
この城を信孝様からの褒美だと申して与えましたが、感激に打ち震え生涯信孝様にお仕えすると申しました
清秀のような実直な武士は使えば必ず信孝様のお役に立つと思ってしたことです、どうか秀吉の首と入れ替えて清秀をお使い下されませ」
下手に出られて信孝は悪い気がしない、自分の兵が尾張から来るまでは2000しか直属がいない、秀吉は15000に加えて近江の家臣も続々とやってきた
ここで秀吉の機嫌を損ねては損だと思った
「いや秀吉、あっぱれなる采配じゃ、その方を罰するなどとんでもない感謝するばかりじゃ、まだ光秀も生きておる励んでくれ!」
秀吉の思ったとおりの展開になった
また中川は中川で自分の手柄を信孝に話して亀山城の主として認めさせてくれた秀吉に感激した

秀吉の軍師、黒田官兵衛が秀吉に小声で言った
「信孝様を亀山にやるのではなかったのでは?」
「官兵衛よ、信孝様があんな田舎の小城に行くというわけなどないであろう、なにゆえあのようなことを申したのだ」
「信孝様は随分長いこと大坂の仮住まいでお疲れかと思いました故申したまでで他意はございませぬ」
「ではこの先は?」
「まずは殿が手柄を立てぬ事にはどうにもなりませぬ、武田を討ち取りましたが所詮は光秀配下の小身、さほどの手柄にはなりませぬ
中川を信頼させて味方につけるのには役立ちましたがな。 やはり一番の大手柄は明智を討ち取ることでございます
しかし討ち取っても殿は信孝様の手柄とするのがよろしかろうと、あくまでも信孝様の自尊心を煽って、信忠様に対抗させる
これでござるよ、しかも信孝様は殿が立てた手柄だと知っている、それで殿の言うことはたいがいお認めになるはず
信忠様は安土造営された仮御殿におられますが、我らが播磨で光秀を討ち取った後、岐阜でご一門と諸将が揃って今後の織田家の運営を話し合うことになりましょう
光秀討伐には信孝様にも形だけの御出陣をしていただきます
光秀を討てば信孝様は、信忠様と五分のお立場で会議の主導権を争うことになりましょう
信雄様は、信忠様に脅されて伊勢から出ることも出来ないとか、こちらの側に引き込んでおけば少しは何かの足しになるかと」
「それだけでは足りまい、もう一手必要だな」
「殿、越前の柴田勝家様は、信忠様の重要な腹心となりましょう、これは侮れませぬ、なるべく遠ざけておかねばなりません」
「官兵衛!それでおぬしはわざと京極を柴田の元に走らせたのであろう」
「まさか」
「とぼけるな官兵衛、竜子をわしへの供え物とする、さらに柴田の懐に飛び込んで時を待てなどと申して京極高次を逃がしたのであろう
安土を攻めた敵を柴田が匿えば信忠様にとって敵を匿った者となる・・・柴田の汚点よ、だが高次を懐に入れなければならぬ理由が柴田にはある、
あのじじいめ!年甲斐も無くお市様に恋慕しておる、笑止な事よ、それで道を誤るのよ、ははは」
「さようでござる、高次と竜子殿と市様は浅井家で姉弟のように育ちましたからなあ、柴田様としては恩を売っておきたいところゆえに匿って当然」
「見よ!、吐いてしもうたぞ古狸が」
 















光秀謀反の本能寺なーんちゃって⑧

2021年02月13日 17時36分35秒 | 光秀の本能寺
羽柴秀吉、丹羽長秀、織田信孝、高山右近らは大坂にいる、総勢三万
織田信忠、蒲生氏郷、金森長近らは京にいる、総勢二万五千
明智光秀は姫路に向かっている、総勢二万
丹羽長秀が秀吉に言った「信長様が亡くなられた今、わしは信忠様に仕えて織田家を立て直すつもりだ、これでお暇する」
「ごもっともでござる、されど私は信孝様をお守りする、だが信忠様に忠義を無くすわけではござりませぬ
家臣の片桐且元に兵五千をつけますので丹羽様の配下としてお連れ下さい」
「おお!かたじけない、わしの手勢は二千しかおらぬから助かる、信忠様には、そなたの忠心をよーく伝えておこう」
「はは!宜しくお頼み申し上げまする」
そして黒田官兵衛を呼んだ
「光秀がまことに姫路に向かっておるのだな」
「間違いありませぬ、何人かから確かな知らせが入っておりますゆえ」
「そうか、わしの留守を襲おうという魂胆であるか、では早馬で宇喜多春家に伝えよ、姫路城に三千の兵を入れて備えよと、まだ間に合う
姫路の後方に本隊5000を隠しておき城攻めが始まったら挟み撃ちせよ、反対側からは小一郎の援軍一万も明智を攻撃するとな
(羽柴)小一郎に兵を七千つけて姫路に向かわせよ、城攻めの明智の背後を突かせるのだ、急げ!」
羽柴小一郎は秀吉の唯一の弟だ、尾張で百姓をしていたのを信長の下で出世した秀吉が武士に取り立てた
使ってみると無口だがなかなか聡明で大将の器であったから秀吉は大いによろこび副将の地位に就けた
小姓の加藤清正がのんびりと聞いた
「殿様よ、毛利も後ろから攻めては来まいか?、わしにも二千ほど兵をつけて姫路に行かせてちょぅよ」
官兵衛に秀吉があごをしゃくった、すると官兵衛が清正に言った
「清正よぉ、あっぱれな心構えじゃ、だがのぉ殿様はすでに毛利にも手をうちなさっておいでじゃ
そうでなくば、こうも楽にここまでやって来れまい、追っ手もなかったであろう」諭すように言った
「うん、そうじゃが心変わりもあるやもしれんでょ~」
「それは大丈夫なのだ、毛利の殿様は輝元公というお方での中国をまとめた毛利元就公の孫じゃ、父君が早うに亡くなられて
若い故に二人の叔父が後見しておるのだよ、一人は吉川元春殿、これは頭が固く我らとの戦を今も考えておる
もう一人は小早川隆景殿、こちらはなかなか快活な御仁でのお、わが殿と気が合うこと兄弟のようじゃ
今度の撤退に際して小早川様がずいぶんと骨を折ってくださり輝元公を説得したのだ、わが殿も大望を果たした後は毛利家と親戚となる
とまで言われたのじゃ、毛利家の知恵袋、安国寺恵瓊殿もわが殿にぞっこんじゃ、だから毛利は明智には決して味方しない
損得勘定してもどちらに味方したら得か誰でもわかることよ」
「なるほどようわかつたぞ、じゃが戦がしたいのぉ腕が鳴ってしかたないでよぉ」
「そうか、それほど戦が待ち遠しいか、ならば明智に味方してわしの長浜の城を奪った若狭の武田が逃げ遅れて明智の亀山城にいる
中川を大将にして(蜂須賀)正勝を副将じゃ、清正は、(加藤)嘉明、(福島)正則と共に武田を討ち取ってまいれ」秀吉が嬉しそうに言った
福島正則、加藤清正は子供の時から、秀吉と女房のおねが育てた子供のようなものだ、二人には未だ子が生まれない
おねが浮気をすることなどあるわけが無い、一方秀吉の女漁りは信長に何度𠮟られてもやめないほどだが、誰一人も妊娠しない
故に二人の間に子ができないのは秀吉に問題がある確率が高い

450年前の電柱?
「官兵衛 これからどうすべきかの?」
「まずは且元を長浜城に入れて、ご母堂にお戻りいただき、戻ってくる家臣を加えれば8000にはなりましょう
まもなく亀山は落ちますから、そこに信孝様に入っていただき、殿は大阪で睨みをきかせていただきましょう
姫路では宇喜多が籠城して、小一郎殿が後詰めで挟み撃ちすれば明智は総崩れとなりましょう、そのまま小一郎殿に姫路を護っていただく
これで殿は堺も抑えて実質100万石は得たようなものでござる、できれば坂本も押さえておきたいですなぁ、丹波は空き家だらけでございますぞ」


光秀謀反の本能寺 なーんちゃって⑦

2021年02月12日 15時21分37秒 | 光秀の本能寺
(これはまずい 思惑が外れてしまった、まさか明智が都から逃げてしまうとは予想外だ)
尼崎に着いた秀吉は池田勝入、高山右近、中川瀬兵衛という畿内を代表する大名豪族を集めた
いずれも今風に言えばプライドの高い連中ばかりである、特に中川は面倒な男で敵にしたら何かと厄介だ、ここは下手に出て
「皆々様方には、御足労おかけいたし秀吉まことに心苦しい次第でござる...が
私めは光秀の首を信長様の前に捧げたい一心で、ここまで駆けにかけてようやくたどり着いたのでござる
いかんせんわが兵は15000、明智と同じでござる、これでは百戦錬磨の明智に太刀打ちできませぬ、なにとぞ経験豊かな貴殿らの御助成を賜りたい
これは我らにも貴殿らにも名誉なことでござる、主の仇討ちを果たすは武士の本文でござる、すでに大坂の信孝様とも連絡はついた
われらは兵を合わせて明日にも信孝様に合流して軍議を開き、明智討伐に行く所存でござる、ぜひ合力お願い申す、この通りでござる」
と言うと、途端に秀吉の瞼から涙がポタポタと落ちてきたから三人の武将は驚き心を打たれた
「お任せ下され、われら皆、羽柴様に従い必ずや光秀めの首を叩き落として御覧に入れる」


「おのれ! 信雄はまだ来ないのか!」京にいる信忠は焦っていた
1万余の兵では明智を追うどころではない
「これでは何もできぬ、信雄のたわけめが! 大坂ではすでに信孝が津田信澄を討ち果たして喝采をあびたとか、
長男のわしは何をしているのかと言われるわ」
そんなおり、越前から金森長近が3000を率いて到着した
「柴田勝家様の命により傘下に加えていただくため馳せ参じました、柴田殿がが申すには
必要とあらば直ちに自ら万余の兵を率いて駆けつけるとのことであります、ぜひお申し付けください」
そこに大和から筒井の兵も2000でやってきたと知らせが入った、これによって信忠の顔に笑みがこぼれた
「上々!大儀である、勝家にはしばし越前にとどまり、いつでも要請に応じられるだけの構えをしておけと伝えよ」
そして翌昼、ようやく織田信雄の軍が到着した、ところがやってきたのは1500ほどであるしかも信雄がいない
「たわけ、おおいに遅れ遠方の柴田、筒井よりも遅いとは何事か! しかもたった1500とはどういう所存か! いらぬ!帰れ!
帰って信雄に伝えよ、同腹の弟(信雄)より異腹の弟(信孝)の方がはるかに頼りになるとな、もはや信雄は弟とは思わぬと申せ
すぐ近くにありながら何故5日もかかるのじゃ、蒲生がおらねばこの信忠も討ち死にしたかもしれぬのだぞ」
何か言おうとした信雄の家来を有無を言わさず蹴り飛ばした、そして鑓を向けた、「門出ゆえ殺しはせぬ、直ちに伊勢に戻れ!」
信雄の元に戻った家来から信忠の権幕を聞いて信雄は震え上がった
「兄上も父上に劣らぬ癇癪もちじゃ、これではわしの身に災難が降りかかるやもしれぬ、どうしたものか」

織田家の5人の方面軍団長の一人、関東方面軍の大将である滝川一益は自称関東管領を名乗って北関東に威を張っていたが
信長討ち死にの知らせが北条や上杉にも届くと、たちまち南北から大軍が向かってきた
一益の兵は我先に逃げ出し、総崩れとなった、だが簡単に撤退できない
すでに甲州を支配下に置いていた河尻秀隆は武田の遺臣によって殺されていた、そこに徳川軍がなだれ込んできた
南からは北条軍が6万の大軍で攻め込んで上州を侵略してきた、北からも上杉が襲ってきて沼田あたりまで占領した
滝川は逃げるに逃げられず、ついに25000の兵で北条軍と戦う羽目になった、浮足立った滝川勢は圧倒的な北条の前に壊滅した
一益は2000ほどになって関東から脱出を試みた、甲州には織田に恨みを持つ武田遺臣が数多くいる
北信濃には配下の森長可がいたがいち早く岐阜を目指して落ち延びた、そこにも上杉軍が入ってきた
木曽と伊那街道には木曾義昌の兵が出張ってきている、敵ではないが場合によっては殺される可能性もある
一益は山の中を日数をかけての逃避行が始まった、各軍団長の中ではもっとも悲惨な目に合っている



光秀の謀反 本能寺なーんちゃって⑥

2021年02月11日 14時58分27秒 | 光秀の本能寺
羽柴秀吉が毛利との最前線からひた走り、居城の姫路城でようやく一息ついたのは本能寺の変から5日後の6月7日のこと
同じ日、京を秘かに脱出した明智勢は丹波福知山城にいた、亀山城で軍を整え兵糧、武器弾薬を補充し兵を集め福知山城に着いたのだ
ここで二日間、次の策を練り、再び兵と兵糧と武器弾薬を整えて10日の朝発った
行き先は秀吉の居城姫路城、秀吉は備中で毛利勢と戦っている、姫路城には留守居のわずか数百しかいないはず
今や丹波兵を集めて二万にふくれ上がった明智軍である、たやすく姫路は落とせるだろう
毛利にはすでに使いを走らせた、姫路から西に兵を進めれば秀吉の背後を突き毛利勢と挟み撃ちできる
光秀は知らなかった、秀吉が自分を討つために毛利と和睦して大坂に向かい今は姫路で休んでいることを

同じ頃、織田信忠は京に居た、光秀が脱出したことを知ったのは6日の昼であった、まだ信雄は土山に来ていない
それで岐阜からの先発隊三千、蒲生の兵千と伊賀の兵五百、自身の旗本千、合わせて5500で来たのである
間もなく岐阜と尾張から一万、近江の信長の遺臣も集まるだろう
更に細川藤孝、忠興親子、大和の筒井にも参陣するよう命を発した
大坂の信孝はようやく手勢をまとめて光秀の娘婿で叔父にあたる津田信澄を討ち果たした
大坂ではこれが仇討ちと庶民の間でもてはやされて信孝は有頂天になっていた、信忠兄は逃げたでは無いか、わしの方が後継者にふさわしいと
信忠から参陣の使者が来たが「我らは大坂より光秀を追って成敗する故、京に上るのは光秀の首を獲ってからと兄上に伝えてくれ」
と信忠の命令を無視したのである

北陸でも越後でもすでに信長死すの報は届いていた
越後の上杉は織田に三方から攻められて風前の灯火であったが、光秀の謀反でうろたえた織田軍を川中島と上州口で打ち破り
滅び去った武田家の遺臣、真田昌幸を参下に加えて北信濃から善光寺平、佐久上田方面までを平定した、越中でも魚津城を奪還した

加賀府中を守る前田利家が北陸軍団長の柴田勝家に言った
「親父殿、こうしている場合ではありませぬぞ、急ぎ上杉と和睦して光秀を討たねばなりますまい」
「まあ待て又左、そう急くではない、もしや信長様はうまく生き延びたかもしれぬ、いまだ亡骸は見つからぬとの事じゃ」
「何をのんびりと、今は一足でも早く都に上り明智を討つことが第一の任務でござるぞ」
「ははは、そなたは気が短くていかん、もっと様子を見てから動けば良い、もし我らが越中を離れて、信長様が元気でおられたら敵前逃亡で処罰されるぞ」
「まだ言われるか、上杉だとて余力などござらん、越中の佐々成政様に1万ほどの兵を与えて飛騨の与力を後詰めにすれば均衡は保てましょう
さすればこの前田又左衛門が先鋒となり、佐久間玄蕃殿を大将に2万ほどで近江に押し出しましょう」
「ははは又左が総大将のようじゃのう、まあ良い、わしに任せておけ、それほど言うなら3000程を(金森)長近に与えて様子を見にやろう
信忠様もご健在という事であるから、もし所在がわかれば長近を合流させて、それから先は信忠様のお指図を仰げば良い」
北陸方面の織田勢はこのような状況であった、総大将の柴田勝家に緊迫感は無いようだ

一方、堺を逃れて僅かな家臣と伊賀道を逃走していた徳川家康は途中幾度かの危機が訪れたが
織田に蹂躙された伊賀の者に救われて、無事に伊勢の海辺に達して伊良湖崎に渡り浜松に戻った
堺まで一緒に来ていた穴山梅雪たちとは山に入る前に別れたが、梅雪は野武士に襲われて落命した
武田家の一門だった穴山梅雪は駿河口を守っていたが、早くに徳川家康に寝返り、武田家の滅亡の糸口を作った人物であった
一方、家康の逃走を助けた伊賀の服部半蔵ら地下人は家康に採用されて以後、徳川家の家来として働く事になる
皇居の半蔵門は服部半蔵の名を冠した地名である、織田長益(有楽)もまた有楽町として名を東京に残したと言うことだ
浜松城に戻った家康の心境は複雑である
はたして明智光秀を敵とするのか、味方とするのか?
羽柴秀吉同様に信長に頭を押さえられて死生権を握られている
若き日の織田信長による桶狭間急襲で今川義元の人質から解放された家康は、今また明智光秀の謀反で織田信長から解放された
桶狭間の時は小さな岡崎城だけが領地であったが、今は三河と駿河.遠江の三ヶ国(かっての主、今川義元の所領と同じ)の太守である
最大動員兵力も今や3万となり、東海一の太守である
それが怖い兄貴分の織田信長から解放されたのだ、今や互角以上の敵と言えば関東の覇者北条氏だけだ
散々痛めつけられた強敵武田氏はこの年の一月に織田.徳川連合軍で滅ぼした
越後の上杉も今や神将謙信はなく,甥の上杉景勝が自国を守るだけで精一杯である
あとは織田家がまとまれば元の木阿弥、今度は信長に代わって信忠が家康を配下にするだろう
今、家康がやることは二つだ、一つは勢力拡大、この混乱で皆が京周辺に気をとられている隙に織田家臣が逃げ出して空になった甲州を手に入れる
もう一つは織田の三兄弟を分裂させて一つの巨大勢力にしない方策を立てることだ、織田家分断!、これが徳川家を守る最大の作戦である

時を同じくして、まもなく尼崎に向かって発とうとしている羽柴秀吉もまた
家康と同じ考えでいたのである。 織田家分断!









光秀の謀反 本能寺なーんちゃって⑤

2021年02月10日 20時19分03秒 | 光秀の本能寺
(まさか本当に明智がやるとは?半分は戯れであったが。 それにしても自尊心の高い教養人とはかくも脆いものなのか、わしにはわからぬ)
この男、羽柴秀吉は戦地の備中から遠く離れた姫路の城にいる
信長が討たれた翌々日の夜明け前には、京都からの定期便が明智の謀反と信長の死を秀吉に伝えた
(信長様さえわしの情報網には気づかなかったであろうな、毎日わしのもとに京、大坂の最新情報が届いているとはな)
(信長様も明智も、わしの罠に見事にかかって哀れなことよ、それにしても黒田官兵衛は恐ろしい男だ、気を許してはならぬ男だ
この頃の信長様は気がおかしくなったとしか思えぬ、あまりにも日々時々の躁鬱が激しすぎる
わしには今は良い巡りになっているが、その裏面が明智に向いてしまった、辛抱強い明智でも我慢の限界に来たはずだ
信長様が徳川様と明智の絆を疑い、皆の前で打ち据えたとき、わしは蘭丸に言った
「信長様の醜態を徳川様にさらして良いのか? そなたがやらずしてどうするか!」と
蘭丸め主君の前だとて思いきり明智を打ち据えた、あの時の苦痛と屈辱に耐えて顔を歪めた明智の顔は見物であつた
あれで明智は蘭丸に殺意を持った、もちろんそれを止めずに薄ら笑いを浮かべていた信長様にも恨みを持った筈だ
それでわしは明智にお節介をやいてやった「佐久間様の事もあるからただちに信長様に詫びを入れなされ、信長様の決断は早うござる
その前に森蘭丸殿に異心が無いことを伝えるべきかと、蘭丸殿の口一つで信長様の心が動くらしい、手土産の一つもお渡しなされよ」と
明智がわしの言うとおりに動くわけは無い、反対に蘭丸と信長様に対する怒りと恨みと不信感が増長したはずだ
そこでわしは仕上げにかかった。 「明智様、信長様は明智様と徳川様が親しい間柄であることに疑念を抱いておられるようでござる
近頃の信長様はなぜか疑い深くなられた、故に安土城のように高い山の上に大きな城を築いたのです








明智様は我ら家臣の中でもっとも上様のご信任が厚うござる、われらはみな遠方にて敵と戦っておりますが
明智様は安土とは琵琶の海で向かい合った坂本城と京に近い亀山城をいただいております、上様の信頼厚き証しでござる
上様は兵のほとんどを我らに預けて、御自身はわずかな旗本の小部隊を周囲に置くだけで万一の時は籠城して明智様と美濃、尾張の軍を待つ
しかもただちに上様をお守りできるのは明智様の万の軍勢だけでござる
明智様そのことを幸運と思し召しくだされ、ゆめゆめ忘れてはなりませんぞ
もしも、もしもでござるよ 上様から明智様を遠ざけるようなお下知がされたなら、それは信頼が薄れたときと思し召されよ
それは佐久間様と同じ道をたどる前触れやもしれませぬからなぁ
あっ!いやいや失言でござる、お忘れ召されよ、根も葉もない戯れ言でござる」
あの時は明智は真顔になり青ざめておった、思い返せば心当たりがいくつもあったからな、わしが疑念に火をつけてやったのよ
それから後は全て官兵衛に任せた、すると奴は翌日にはわしにこう言った
「殿、信長様が備中にお出ましなされますぞ、明智を引き連れて」
「官兵衛よ、考えたものよのう、それでそなたは信長様がここまでまいられると思うか? どうじゃ?わしと賭けをいたそう
わしは来られぬ方に賭ける」
「殿!賭けになりませぬ、拙者もおなじでござるからなぁ」
「されば京からの定期便を一日二回に増やしてつたえるよう手立てをいたせ」
そしてわれらが思った通り信長様も明智もわしの所にはこなかった
もしあのまま手を打たず明智が追放されたなら次はわしの番だ、天下が信長様に入れば入るほど身内で固めようとする
天下太平になれば、わしなど真っ先に切り捨てられるであろう、そうなる前に先手を打つておかねばの、まず最初の目的はうまくいった、これからが勝負だ)