秀吉が播磨の仕置きを終えて京に凱旋したのは、姫路の戦いから1週間後のことであった
光秀は逃がしてしまったが、もはや明智家は滅んだに等しく死のうと生きようとさしたる問題ではなかった
道すがら秀吉は考えた(いったい光秀の本能寺での信長殺しは何だったのか?)
そしてこれからの世の移りと、自分の立場、信長様がいない織田家の行く末
だがこの開放感は何なのだろうか、考えて見ると自分には今恐ろしい者が無いことに気付いた
この世で唯一恐ろしかった人間は織田信長だった、信長の機嫌一つで命を取られる怖さはいつもあった
荒木村重、松永久秀はその圧力に耐えられず反旗を翻し滅びた、光秀もしかりそして三度目の正直で光秀は信長を討った
信長もうかつと言えばうかつだった、光秀を甘く見ていた、まさか裏切るなどとはゆめゆめ思いもしなかった
光秀が本当に殺したかったのは信長よりも森蘭丸とその弟たちだったのでは?とも思った、信長様は巻き添えになったのでは?
そして秀吉はそれに乗じて光秀を討つ決断をした、今思い返せば秀吉が光秀を憎む理由などないのだ
いつも上から目線で自分を見下ろしていた光秀だが、考えて見ればそれは自分の引け目で、光秀に辱めの言を言われたことはなかった
むしろ柴田勝家の方が秀吉を「猿!」だとか「百姓ずれが」などと露骨に人前で言ったものだ
光秀の清廉潔白で異常なほどに研ぎ澄まされた神経、そして品の良い所作振る舞い、秀吉が及ぶところでは無いことは認める
そのように考えれば考えるほど光秀に友情を覚えた、逆に柴田勝家こそこのチャンスに討ち果たすべきと言う思いが頭を持ち上げた
勝家こそ生かしておけば我が身の災いとなる男だ、許すことはできぬ
(明智光秀 いつか使えるかも知れぬ)
その5日後、岐阜城で織田信忠、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉の四人が集まって今後の織田家の組織と領地の再編成の会議を開いた
本来ここに来るべき滝川一益の行方は未だ知れず、死んだものとして処理された
議題その1は、これからの戦略である
目下の敵は西の毛利、四国の長宗我部、越後の上杉に絞られた
その先の九州島津、関東の北条の今後の動向には注意をすることとした
そして,それぞれの敵に対する方面軍を確認した、ほぼ今まで通りで上杉に対しては越前北之庄城の柴田勝家
与力として越中に佐々成政、能登に佐久間盛政 加賀に前田利家 近江長浜に柴田勝豊
越後上杉家は、本能寺の変がなければ武田に次いで今頃は滅び去っていたはずである
しかし今は川中島口の森長可、三国口の滝川一益軍が壊滅して徳川、北条、上杉、真田の草刈り場と化している
ここに再び軍勢を送る必要があるので信濃方面軍の再編成が急務となった
織田信忠は信長生存中に家督を継いだので、誰もが織田家の総帥である事は認めている
その織田信忠が自ら信濃方面軍の総指揮官となり、直属与力として蒲生氏郷、美濃衆 氏家、稲葉等
織田信孝を軍団長に与力は信州木曽の木曽氏、伊那谷から諏訪を賜った森長可、そして駿、遠、三の太守徳川家康の協力を得る
本能寺の変の後始末の内に上杉勢は信州仁科郡から深志城、諏訪から善光寺平まで取り返した
真田も上杉と同盟して上田、真田の庄まで回復した
中国方面は毛利に向けて羽柴秀吉が変わらず担当した、毛利と秀吉がすでによしみを通じたことを信忠も柴田も知らない
与力は高山右近、亀山城を拝領した池田恒興の二男で中川清秀の娘婿池田輝政
宮部継潤、父の戦死で摂津の大部分を拝領した池田元助ら
最前線は姫路の羽柴秀長と備前の宇喜多、しかし毛利との戦闘は今後あるまい
領地の変更も話し合った
光秀の旧領の配分は丹羽長秀に福知山を若狭に加えて加増
亀山城は池田輝政に、近江坂本は堀秀政に
そして信長が死に安土城天守は焼けたが復興を急ぎ、近江の武将を率いて織田信忠が政務を執り全家臣団に号令を発する
旧領の尾張美濃は、美濃は信忠の直轄として残し稲葉と氏家が城代として常駐する、また織田長益に大垣城を与えた
尾張一国50万石を織田信孝に与えた、伊勢半国だった織田信雄には滝川の旧領を合わせて伊勢一国を与えた
日野の蒲生氏郷には安土留守居の地位を与え、甲賀、伊賀、大津など南近江を加増した
奈良脱出の案内をした功労者、島左近を筒井家から独立させて膳所で10万石を与えて信忠の家老とした
そして秀吉の領地が話し合われた
丹羽長秀が「羽柴殿の此度の働きは見事でした、我らは途方に暮れておりましたところいち早く戻って光秀追討に動かれた、天晴れでござる」
「だが逃がしてしまったではないか、功罪半々じゃ」勝家があざ笑うように言った
「いずれにせよ功労一等であることはたしかじゃ」
「五郎左(丹羽長秀)おぬし秀吉に利用されたのじゃ、お人好しもたいがいにさっしゃれ」勝家はあくまでも秀吉の功績を認めない態度だ
秀吉は意に介せず「それがしの近江の領地は柴田様に差し上げました、何もいただけなければ功を挙げて損をする
それでは家臣も納得いたしませぬでな、せめて河内一国は近江の代わりにいただきたい」
「河内一国だと! わしは近江に15万石増えただけじゃ、せいぜい河内の一郡二郡で我慢しやっさい!、光秀を逃がして功労とは片腹痛いわ」
「ほほー そうでござるか それでは逃げた敵を匿うのはいかがなものかな?」
「何のことじゃ!」
「京極の小僧は我が長浜を襲い、あろう事か信長様の安土城も攻めたのでござる
その小僧を柴田様は匿うておられましょう」
「うん?....それは そのとおりじゃが」嘘をつけないのが柴田勝家の欠点であり、男らしさでもある
「まことか?勝家?」信忠が驚いて聞いた
「まことでございます、実はお市様や茶々様から高次を助けて欲しいと以前より頼まれておりました」
「なんと! ゆゆしきことじゃ」信忠が困った、勝家だけならなんとか軽い処罰で済まそうと考えたが、叔母の市や従妹たちが絡むと面倒だ
きまずい空気が漂った時、秀吉が口を開いた
「上様(信忠)高次は罪人ではありますが昔、浅井様の小谷城でお市様が可愛がり、茶々様と兄妹のように過ごしたとか
そもそも小身の身で光秀の配下とされたのが身の不幸でありました、小者ゆえ柴田様の元で厳重に捕らえておけば改心するでしょう」
「なるほど、そうであったか、それで良い、勝家!高次には灸をすえて改心させて使うがよい、世が世であれば名家の若君じゃ」
「ははー」
「上様、事のついでにもう一言、お許しいただけますか?」いつものとぼけた表情に戻った秀吉は
「巷の噂でございますが、以前より柴田様がお市様に想いを寄せておられたとか
此度のことも、お市様のためとか
余計な事ですが、柴田様の御本意を確かめてはいかが?」
なぜか柴田勝家、言われるがままで、いつものような「猿め!出過ぎるな!」とは言わない
「勝家まことか?」
「いや! その あの」百戦錬磨の勝家がしどろもどろになった
「まことであるのだな、父上も叔母の再縁の先を気遣われていて勝家の名も出たような気がする、叔母上に問うて異存なくばどうじゃ?」
勝家は平伏して「もったいない」
これか゛功を奏したのか勝家はあっさり前言を翻して秀吉の河内一国を認め、さらに信忠の弟で秀吉の養子となっている羽柴秀勝に和泉の国を認めた
秀吉は商人の町、堺の権益も手に入れた
そして柴田勝家は市を手に入れた
「勝家のじじいめ、信忠様に問われて年がいもなく顔を真っ赤にしておった、どちらが猿かわからぬわ、狂い咲きじゃ」