大徳寺本坊は、禅寺系の寺院と同じように南から勅使門、三門、仏殿、法堂が
一直線に並んでいる(ちなみに南禅寺は西から並ぶ)。それらの奥に書院や方丈がある。
方丈建築は通常、南側に3室、北側に3室の計6室から構成されるのが一般的であるが、
大徳寺は南側に4室、北側に4室の計8室という珍しい造りになっている。
その方丈の襖絵は江戸時代の初期に活躍した狩野探幽が描いたものである。
84面に紙本墨画の水墨画、竹林禽鳥図、禅会図など9種もの墨画が残されている
(現在は、1枚が焼失し83枚) 。それが一部公開されている。
とくに山水図で見られる余白は狩野探幽の持ち味とされている
"余白の美"を追求し、江戸絵画に大きな影響を与えたとされている。
安土桃山時代から狩野派は織田信長、豊臣秀吉や公家貴族などの信頼を受け
大いにその世界では権力を振るったといわれている。
大徳寺方丈襖絵 / 狩野探幽 筆
一方、同じ臨済宗の寺院として有名な建仁寺の方丈には桃山時代に狩野派と対抗していた
長谷川派の始祖、長谷川等伯の襖絵がある。等伯は、狩野探幽が活躍した江戸時代の前の桃山時代に、
探幽の祖父にあたる狩野永徳と絵師としてしのぎを削っていた。
その長谷川等伯の方丈襖絵が枯山水庭園を前に広がっている。等伯の独特の中国的詩情をかもし出している。
建仁寺方丈襖絵 / 長谷川等伯 筆
両寺院を訪れる機会があれば、ぜひ方丈の襖絵に注目して鑑賞するのも楽しい。
狩野派、長谷川派の違いや特徴が感じられるはずである。
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