白居易(はくいきょう/白楽天)の代表的な詩である「晩秋閑居(ばんしゅうかんきょ)」は、よく煎茶席にかけられる。それは、この時期の夜長にぴったりな抒情詩といえるからだろう。
数年前、秋の夜長に雁が音を味わいながら、自然のなすがままの美しさを漢詩や短歌を通し想像をふくらませ楽しんだことがある。それが「晩秋閑居」という詩である。
地僻門深少送迎
披衣閑坐養幽情
秋庭不掃攜藤杖
閑蹋梧桐黄葉行
ある僻地の奥まった佇まいには客の出入りが少ない
衣を羽織ってゆったりと坐り静かに心を養う
秋の庭は掃除もせず藤の杖を手に
のどかに桐の落ち葉を踏んでゆく
白楽天のこの「晩秋閑居」は、秋草や落ち葉でいっぱいの庭も晩秋の野辺のように美しいものである。ということを表している。
それを踏まえてか、平安時代に詠まれた短歌がある。
珍しく煎茶稽古に短歌のお軸が掛かっていた。
詠んでゆくと、白楽天の漢詩に通じるものだった。晩秋の庭は、掃除をしない方が自然のままで美しいのだという内容の短歌である。
わが屋とも
くさ野かぎ里は
はなさきぬ
秋ふかくな留
野べにならひて
この短歌の題は「草花」。この歌には変体仮名が随所に使われている。平安時代に詠んだ人の感覚感性で漢字が使われているが、漢字として役割をもち、そして漢字として読むのは「秋」のみということになる。この手法も実に楽しい。表現力や想像力を存分に発揮できるような気がする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます