加藤楸邨は、水原秋桜子の「馬酔木」に所属し、のち「寒雷」を主宰。
「真実感合」を唱え、人の内面心理を詠むことを追求し、中村草田男・石田波郷と共に、「人間探求派」と呼ばれた。
さて、終戦前後の住宅事情では隙間風は当然で、家の中の水が凍ったりしたからこそ、こういう句が生まれたのだろう。
文明機器の揃った現代は、俳句不毛の時代に入った、と言えるかもしれない。
鼻の句といえば、芥川龍之介の「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」を思い出すが、龍之介の句は観念的であるが、楸邨の句の方がリアルである。