一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

169   子に何か残し風船凋みけり

2011年02月27日 | 

 子供が幼稚園ぐらいのことではなかったか、と思う。仕事から家に戻ると、部屋の隅にヘリウム入りの風船がしぼんで畳に落ちていた。もう浮力はない。風船の口をどんなに強く締めても、ヘリウムは、その微細な隙間から少しづつ逃げるらしい。

 

 子供の成長とは、子供らしさがなくなることかもしれない。大人に近づくのだから当然であるが・・・・・この時も、何となく大人っぽい仕草か、口の聞き方に「ほー」と、私は感心したのだと思う。

 

風船が、子供に何かを与え、自らは凋んで役目を終えたのかもしれない。再びヘリウムガスを入れられることなく、捨てられる運命の風船・・・・・

 

余談だが、年に2,3回やって来る孫が、「うんこ」にはまっていて、紙に「うんこ」の絵を書いては喜んでいる。私が「うんこ」の話をすれば、笑い転げてくれる。

 

それから数カ月して、再びやって来た孫に、「うんこ」の話をしたら、「おじいちゃん、何つまらないこと言ってるの」と言う感じで、完全に無視された、という話を聞いたことがある。子供は、日々細胞分裂して、成長を続けている。

 

 

コメント
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