気のせいかもしれないが、最近廃校の句が多いような気がする。少子化が原因で、廃校が多いということだろう。
余談だが、全国で問題になっている少子化対策は、果たして本当に必要なのだろうか?
私見であるが、例えば日本の人口問題であるが、明治初期の3,000万人くらいに減らすべきと考える。今の4分の1程度である。
そうなれば、経済規模・電気・ガス、石油、車・汚染・ゴミ・食糧生産などは4分の1に減らせるし、所有できる土地や家の広さなど、暮らしのゆとりは4倍になるはずだ。
そういう考えに立つと、有難いことに日本の人口は、現在自然に減りつつあるのだ。
私達、団塊の世代が死んでしまえば、高齢化問題もかなり解決され、若者たちにゆとりが生まれる、というわけだ。これは、世界人口にも同じことが言える。
さてこの句、廃校の時計が動いているらしい。駆動はたぶん電力だから、単に電源が切られていない、ということだと思うが、原因はともかく、作者は、だーれもいない廃校の時計が動いていることに着目し、「時計が生きている」と言う。勿論、鉢植えか地植えか分からないが、サクラ草もまた生きているのである。鉢植えならば、誰かが水遣りをしているのだろう。
過疎地の廃校を宿泊施設にしたり、作家がアトリエにしたり、有効活用のニュースも時に聞こえる。