昭和42年、上京して最初の QTH が東京都大田区池上徳持町でした。
50MHz のポータブル機 TR-1000 でご近所の OM と 夜な夜な QSO していました。
この頃は、JA1YAC 旧 日本電子工学院のクラブ局 ( 大田区蒲田 ) の全盛時代、コンテストでは常勝のクラブで、全国に名声を轟かしていました。 部員も沢山いたようで、ローカルにはそこに通う学生さんが多く QSO の相手には困りませんでした。
当時はまだ弱電全盛期でしたが、日本電子工学院に 「 電子計算機科 ( コンピューター科 ) 」 と言うのが初めて出来た頃です。 ( 昭和42年?多分日本で初めて )
そこに通う学生さん ( JA1YAC のクラブ員 ) と QSO した時、聞いたのですが、 「 新入生にはまず最初に和文を習得してもらう 」 と言う事で全員が和文を覚えさせられたようです。 これは、和文で QSO するためではなく、新入生に第一級アマチュア無線技士の資格を取らせるためです。
そうでないと JA1YAC ( 500 W ) を運用出来ませんでした。
コンテストに勝つためには後進のレベルアップが必要だったのです。
現在では和文の試験はなくなり ( 通信術そのものも )、資格は取得し易くなったものの、肝心の大学のクラブ局が激減してしまいましたので、第一級アマチュア無線技士の資格を持っていても活躍の場が少なくなりました。
第一級アマチュア無線技士をわざわざ取得する目的は主に DX QSO をするため ( パイルアップに勝つため ? DXCC レースに勝つため ? ) です。 国内 和文 QSO では 1kW の必要性はありません。 和文で QSO したい人は第三級アマチュア無線技士の資格でも十分です。 しかし第三級アマチュア無線技士の資格に留まらず第一級に挑戦する人も少なくありません。 その多くは、自己研鑽のためであり DX QSO をするためではありません。
もったいない気もしますが、素晴らしい事だと思います。
昔、和文が必須科目であった時代に、1kW ( 500 W ) での DX QSO を目的に第一級の資格を取った人は、今では、和文そのものを忘れてしまっている人も多いと聞きます。
これもまた、もったいない話です。
50MHz のポータブル機 TR-1000 でご近所の OM と 夜な夜な QSO していました。
この頃は、JA1YAC 旧 日本電子工学院のクラブ局 ( 大田区蒲田 ) の全盛時代、コンテストでは常勝のクラブで、全国に名声を轟かしていました。 部員も沢山いたようで、ローカルにはそこに通う学生さんが多く QSO の相手には困りませんでした。
当時はまだ弱電全盛期でしたが、日本電子工学院に 「 電子計算機科 ( コンピューター科 ) 」 と言うのが初めて出来た頃です。 ( 昭和42年?多分日本で初めて )
そこに通う学生さん ( JA1YAC のクラブ員 ) と QSO した時、聞いたのですが、 「 新入生にはまず最初に和文を習得してもらう 」 と言う事で全員が和文を覚えさせられたようです。 これは、和文で QSO するためではなく、新入生に第一級アマチュア無線技士の資格を取らせるためです。
そうでないと JA1YAC ( 500 W ) を運用出来ませんでした。
コンテストに勝つためには後進のレベルアップが必要だったのです。
現在では和文の試験はなくなり ( 通信術そのものも )、資格は取得し易くなったものの、肝心の大学のクラブ局が激減してしまいましたので、第一級アマチュア無線技士の資格を持っていても活躍の場が少なくなりました。
第一級アマチュア無線技士をわざわざ取得する目的は主に DX QSO をするため ( パイルアップに勝つため ? DXCC レースに勝つため ? ) です。 国内 和文 QSO では 1kW の必要性はありません。 和文で QSO したい人は第三級アマチュア無線技士の資格でも十分です。 しかし第三級アマチュア無線技士の資格に留まらず第一級に挑戦する人も少なくありません。 その多くは、自己研鑽のためであり DX QSO をするためではありません。
もったいない気もしますが、素晴らしい事だと思います。
昔、和文が必須科目であった時代に、1kW ( 500 W ) での DX QSO を目的に第一級の資格を取った人は、今では、和文そのものを忘れてしまっている人も多いと聞きます。
これもまた、もったいない話です。