新聞の片隅に出ていたのですが、アサヒカメラが休刊になるとの告知が出ていました。
我が家の本棚の一番奥のところに、アサヒカメラの1972年10月号が背表紙もボロボロになっていました。
表紙は当時のアイドルの栗田ひろみさんでした。
もう、栗田ひろみさんも還暦をとうに超え、お孫さんも何人もいるのではないかと思います・・・
なんで、48年も前の写真雑誌を思い出したかと言うと、この号は30ページの特集でユージンスミスの水俣の特集が組まれていました。
私が工業高校で応用化学専攻の2年生で、それなりに多感な時期でした。
水俣病の発生のメカニズムや原因は判明していたのですが、当時の高度経済成長期の大きな歪でした。
ユージン・スミス氏とアイリーン・スミス氏のこの特集は、たぶん日本のマスコミで初めて取り上げられたフォトエッセイだったと思います。
まだ、マスコミでもあまり表だって水俣の事が出てこない時期でした。
関東地方の田舎の高校生の精神を刺激するには十分すぎるアサヒカメラでした。
我が家の本棚の一番奥のところに、アサヒカメラの1972年10月号が背表紙もボロボロになっていました。
表紙は当時のアイドルの栗田ひろみさんでした。
もう、栗田ひろみさんも還暦をとうに超え、お孫さんも何人もいるのではないかと思います・・・
なんで、48年も前の写真雑誌を思い出したかと言うと、この号は30ページの特集でユージンスミスの水俣の特集が組まれていました。
私が工業高校で応用化学専攻の2年生で、それなりに多感な時期でした。
水俣病の発生のメカニズムや原因は判明していたのですが、当時の高度経済成長期の大きな歪でした。
ユージン・スミス氏とアイリーン・スミス氏のこの特集は、たぶん日本のマスコミで初めて取り上げられたフォトエッセイだったと思います。
まだ、マスコミでもあまり表だって水俣の事が出てこない時期でした。
関東地方の田舎の高校生の精神を刺激するには十分すぎるアサヒカメラでした。