LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

ここのところ考えたこと・・・

2020年09月30日 11時27分24秒 | アマチュア無線
気がつくともう9月は今日で終わりになりました。
リタイアしてからも、古物商と講師業の二足の草鞋を履いて細々と糊口を凌いでいますが、ほどほどの暮らしが出来れば他人と関わっている方が精神的にはポジティヴになれるのかなと最近考えます。

週2回ほどの買い物も出かけると、売り場のおばさんやレジのおばさんに話しかけると、機嫌のいい人や話好きの人もいれば、業務上必要な事しか話せない人、いろいろいます。
古物商も、ブログにデバイスの機種名を載せていると、とんでもない地方の方からいろいろな情報が入ってきます。
特にアマチュア無線なんて半世紀も趣味として続けていると、同じ穴の狢なのか同好の士が世の中に沢山いらっしゃるのが面白いのです。

アマチュア無線は戦後電波法が施行されてから70年あまりの時間が経過しましたが、私のような類いは初期の第一世代の末席にいるのかなと思います、短波帯のSWLから始まり電波がなんで飛んでくるんだろうから始まり工業高校に進学した経過があります。
その次の第二世代はメーカー製のデバイスで楽しむ世代かなと思います。
原田知世さんが「私をスキーに連れてって」に主演した頃には、確かアマチュア無線局が140万局も国内で有ったような覚えがあります。
そうして、携帯電話やスマートフォンがあたりまえになるとアマチュア無線局も40万局を切る様な件数まで落ち込んで、静かになりつつあります。
今やドローンの運用でアマチュア無線の資格を取る時代になりました。
これから、どんな風になっていくのか眺めて行きたいと思いますが、時代の波に乗ってアマチュア無線の趣味がどのように変わっていくのか楽しみでもあります。
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2025年7月・・・

2020年09月24日 17時10分33秒 | アマチュア無線
今週は講習会の講師予定が3日間あり、その準備や台風がやってきそうなので、アンテナを揚げる予定の部品を片付けたりで、ブログの更新まで手が回りませんでした。

NASAとNOAAの宇宙天気情報を見ると、これから来るであろう太陽サイクル25のピークは2025年7月という予報が出ていました・・・
今の私の年齢に足し算をすると、もし私が生きていrれば古希を過ぎて半年後になります。
痴呆になっていなければいいのですが、父親と母親が痴呆症状が現れ始めたのが82か83のころでしたから、なんとか滑り込みセーフかなと思います。
その次のサイクル26の時には痴呆症状になっているか、彼岸の彼方に旅立って、三途の川の土手を3頭のラブラドル犬と散歩をしているのではないかと思います。

それまでに息子達には、いま使用しているJRCの業務用の短波帯受信機やJST-245やNRD-545のガラクタ10数台を処分するように遺言書を認めておかなくてはいけません。
その頃までに、まだアマチュア無線でも短波帯の利用がされているか疑問ですが・・・

先日もブログに書いたのですが、私がアマチュア無線に興味を持ち始めた頃から考えると、ISSと交信するとかJT65とかFT8を利用するなんて想像もつきませんでした。
OSCAR6号や7号でびっくりしたくらいですから。
100円ショップなんて、貧乏無線家からすると、宝の山のような気がします。

個人的にはアマチュア無線の原点は、いろいろなノイズの中からの微々たる信号を受信して拾い交信することなのかなと思います。
まあ、それを考えると技術的に進歩したのがJT65とかFT8なのかも知れませんが、爺にはもう少し時間が必要なのかなと思います。

メーカー製のデバイスを購入して、音声の綺麗な周波数変調で交信数を重ねるのも一つですが、ハンダゴテを暖めて回路の一つでも簡単なアンテナでも製作して交信が出来た時の感動はアマチュア無線の醍醐味でもあります。
そうは言っても、私自身も既に撤退したJRCの無線機器類を使用しているのは、回路設計や取扱い説明書を見るにつけ、他の会社にはないものがあるので使用しています。

まあ、とりあえずは、あと5年後のサイクル25のピークを、美味しい純米酒でも呑んで待ちましょう。
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MDR-CD900ST・・・

2020年09月19日 09時00分35秒 | アマチュア無線
なんだこの記号は・・・
と、思うと思いますが、使っている人は「あれか~!」と思います。
先日、無線室を整理していて8Ωのヘッドフォンがでてきました。
私自身は最近は電波を出さずに、専ら聞く方になっています。
でも、ヘッドフォンで耳を覆うよりも、スピーカから聞く方が好きなのです。

この、ヘッドフォンは、10年ほど前に購入したものですが、思ったよりもいい音が出なかったので
しまってありました。
でも使用してみようかと思い、JRCのNRD-545に接続して聞いていました。
そうしたら、「エッ!」と言うくらいにメリハリのある音色なのです。
まあ、もともとスタジオモニター用のスタンダードなヘッドフォンですから、音色も遜色ないのですが、聞いている方の人間が爺になって、鼓膜もたるんできたのか、音が響いて、いいのです。

同じ景色を若い時に見たのと、歳を重ねてから見たのとで違う様に見えたり、同じ本を時間が経過して読んだのでは読後感が違うことがありますが、音もそうなんですね・・・
ウ~ム、しばらく病みつきになりそうです。
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続・ハナコとマツコ・・・

2020年09月18日 08時40分41秒 | 猫達
先日から我家に最後に保護されたハナコと毛色模様が似ている野良猫が敷地内に一日数回領空侵犯をするようになり、本来の我家の保護猫たちもガラス越しに威嚇するようになりました。

屋根があるウッドデッキの中にキャットフードと水で希釈した牛乳を与えたところ、近所中の野良猫の間で、「あそこの家は餌がいつもあるし、牛乳もあるぞ!」と猫同士の井戸端会議で広まったのか、違う毛色の猫たちが集まるようになりました。
ラブラドル犬が3頭いたときには、怖くて来られなかったのでしょうか。
そういえば、犬達のこぼれたドックフードをウッドデッキの中をハタネズミがうろちょろしていたことがあります。

これから寒くなるのに、保護された猫と野良猫では生活環境が雲泥の差があります。
近所の野良猫たちが集まり始めて、「野良猫ハウス」になったら困ります・・・

市街地の住宅密集地で今時野良猫がいるのかなと不思議ですが、どう見ても飼い猫ではなさそうです。
しばらくは、餌を与えてみて様子を見ることにしました。

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太陽黒点と人生・・・

2020年09月17日 07時02分42秒 | アマチュア無線
「太陽黒点と人生・・・」なんて書いてしまうと、この人オカシクなったか?と思われてしまいますが・・・

小学校入学前の頃からのBCLに始まり、今や古希目前のアマチュア無線の趣味に至っています。
太陽黒点の増減は、利用している電波状態が約11年周期で大きく変化するので、非常に気になるところです。
国立天文台のデータでは、昨年末にサイクル24が底を打ったとありますが、これからサイクル25がどこまで黒点数が上昇するのか未知な部分があり期待するところです。

11年周期というのは、今流に言うとライフサイクルイベントから見ても、変に同期したものがあります。
このブログに以前にも書いたのですが、先日改めて物心ついた頃からのサイクルと自分の人生のイベントを対比してみました。

サイクル20の時はBCLなんて言葉もよく知らなくて「ラジオの製作」とか「子供の科学」を借りては読んでいて、むしろ剣道に夢中でした。
工業高校に入学してアマチュア無線クラブに早速入部、正式には「電気部アマチュア無線班」
でした。雰囲気としては、お金持ちはオーディオ班、そうで無い人はアマチュア無線班の様でした。新入生の初仕事は竹竿屋に行って竹竿を買ってくるのが習いでした。
八木アンテナなんて言うのは、見るだけで、枯れた竹竿にダイポールで卵碍子と波形碍子が当たり前でした。モールスを打っている3年生の後ろ姿は神様の様でした。
これから後はサイクル21まで黒点数は下がりっぱなし・・・

サイクル21の時は、交通事故で入院・手術3回でなんとか歩ける様になったけど、生きててよかった!
確か、沖ノ鳥島から7J1RLがQRVしたのを、本屋の平積みのCQ誌の表紙で知りました。
昨年ある場所での会合で、この時の団長さんの有坂OMにお会い出来て、「沖ノ鳥島とQSO出来ませんでした。」とお話したら、サイン入りの色紙を頂戴しました、今では無線室の壁の額縁に入れて私の宝物になりました。

サイクル22の時には、ようやく家庭を持って家も建てましたが、タワー建設に向けて見積もり書は作りましたが、家のローンの返済が最優先で配偶者からは「却下」、アンテナやタワーなんて夢のまた夢・・・
唯一覚えているのは、とある天文台の台長さんが太陽黒点がかなり出始めていたので、晴天の日に仕事を休んで天文台に行って見せていただきました。
生まれて初めての太陽黒点を投影して見せていただき、感激したのを覚えています。
「太陽のあばた」というのがよく理解できました。
ちょうどこの頃はあちこちでペディションがあり、忙しい仕事中に複数のOMから電話があり、「いま14MHzでペディションが出ているぞ!」と何回も電話をいただきましたが、ありがた迷惑でした・・・

サイクル23は二人の男の子の保育園や学童保育の送り迎えで忙しく、真空管の無線機は泣く泣く処分、新品のリニアアンプもダミーロードを暖めただけで処分・・・
下取りの代金はみんな純米酒に化けてしまいました。
仕事も管理職になり、残してあったJRCの縦振電鍵は机の上の稟議書類の文鎮代わりにしてました。
当時の部下からは「なんですかコレ!」と言われ、いくら説明してもチンプンカンプン!
挙げ句の果ては、「アマチュア無線なんて、まだやっている人がいるんですね~!」と言われ、その部下に趣味は何だと聞いたら「ゴルフです!」と言われました・・・

サイクル24は親の介護のまっただ中、昭和一桁の父親・母親・岳父・丈母は施設利用で最悪の事態は避けられましたが、いまでも最善の選択だったと自分に言い聞かせました。
学校の勉強を差し置いて、息子のアマチュア無線の趣味を黙って見ていた両親には感謝しています。

さあ、いよいよサイクル25、黒点数がピークを迎える5年後には古希!
孫の面倒を放っても、頑張らなくては!
次のサイクル26には、親の介護を経験していたので、推定すると要介護5の見込み・・・
呆けてもストレートキーと解読器があれば和文モールスで、ケアマネさんと会話が可能だと思うのですが、はてさてどうなるか・・・
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sin・cos・tan・AOS・LOS・公転周期!!!・・・

2020年09月16日 09時19分41秒 | アマチュア無線
先週末の緑陰の講義以来、ここ30年間の仕事や子育てや介護に時間を費やして、勉強をしていなかったことを痛感しました。

昨日は、書架の奥から背表紙が日に焼けて埃だらけのAMSATの資料と、その当時集めた衛星通信の資料を一日読んでいました。
OSCAR1号からのAMSATの開発経過や、なぜ人工衛星が利用できるのかを懇切丁寧に説明してありました。

還暦過ぎて古希にもうあと半歩という年齢で、sin.cos.tanや公転周期、AOS.LOSと昔々勉強した計算式や衛星通信の用語が沢山でてきました。
資料の中から1995年にPHASE 3Dの作製にと僅か$100でしたが AMSATに寄付をしたCERTIFICATE OF APPRECIATIONも出てきました。

現役の仕事をリタイア間近の時に大きな心臓手術を受けることになり、なんとか生還出来て、夢よもう一度と勉強をし直したのですが、計算尺と関数電卓の差ほどの落差がありました。
まあ、過ぎた時間は取り戻せませんが、また少しずつ復習を兼ねて勉強していきましょう。

でも、ラジオ少年の部分としては、T2FDの広帯域受信アンテナで業務用受信機を使って、世界中の短波受信をしていたいのですが、これはもう少し後の老後の楽しみにしておきましょう。


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「特養で微分積分解けるひと」・・・

2020年09月15日 09時37分18秒 | 雑談・その他
先日、新聞の短歌・俳句・川柳欄を見ていたら、「特養で微分積分解けるひと」という投稿がありました。
要介護のレベルがどの程度の方なのか不明ですが、私にとっては理想的なモデルに思えました・・・
微分積分なんて、聞いただけで蕁麻疹が出来てしまう人がいると思いますが、いかがでしょうか?

先日、eラーニングの講師をしていて、ある方から難解な御質問をいただいて、どうしても微分と虚数を易しく噛み砕かなくてはならなくなりました。
そこで思い出して、書架の奥からから埃にまみれた岩波の物理入門コースを取り出しました。
購入した日付を見ると、30年以上も前に、今は無き池袋の芳林堂で購った事が万年筆で記載されていました。
確か上級の無線従事者試験を受験しようと購入した覚えがあります。
30年前には老眼や記憶力減退なんて考えもしませんでしたから、鉛筆の書き込みや黄色のダーマトグラフであちこちに勉強した後が残っていました。
今思うと仕事や子育てが忙しい中で、よく読む時間があったなと思い出しました。

高校生の頃には勉強というよりは受験のためという大義的な目標があり、長じて大人になってからは資格試験のための勉強でした。
微分積分さらには偏微分方程式なんて課題を解く手段でしたから、今思うと無味乾燥でつまらなかったのですね。
今更勉強したところで、これから何も役に立たない爺さんになって改めて勉強してみると、面白いなと思いました。
私たちの年代では、年齢的に団塊の世代の方が沢山いらっしゃるので、特養なんて利用するのは宝くじに当たるより難しいと思います。

在宅介護ケアを受けながら、自宅で孫に微分積分を説明するくらいでしょうか。
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ハナコとマツコ・・・

2020年09月14日 07時45分45秒 | 猫達
衛星通信の話からいきなり猫の話になりますが・・・

2年ほど前に我が家の3匹目の保護猫としてやってきたハナコ(我が家の車庫のトレーラーの下に仕掛けたネズミ取りに掛かっていた!)ですが、ここ1週間ほど居間のガラス越しにジッとしているので何かと思い、外のウッドデッキを見ると、ハナコと模様が反転した雌猫がいました。

試しに餌を置いておくと、慣れたのか朝晩来るようになりました。
配偶者に話したら、ハナコの母親か姉妹ではないかとのことでした。
見ていると、2匹でジッと見ていることがあります。
それ以来、ハナコがガラス窓のそばに居座っている回数が多くなりました。
たぶん、娘が2年前にいなくなり不憫だったのでしょうか、それにしても白トラの模様が似ています。

首輪もつけていないし、たぶん野良猫なのでしょうが、個人的に「マツコ」という名前をつけました。
ガリガリで、TVに出てくるあのマツコさんとは似ても似つかないのですが、とりあえずマツコさんという名前にしました。
猫にも「親子の情」らしきモノがあるのだろかと、虐待事件の多いこの頃、考え入るものがあります。
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ドップラー現象・トランスポンダー・・・

2020年09月12日 10時30分30秒 | アマチュア無線
昨日は知人のOMと3人集まって、お隣の市の空き地で、ISSの電波の受信練習でした。
朝10時の集合でドピーカンの晴天でしたが、河畔林のエノキの大木の下でフォールディングテーブルを広げて、さながら緑陰の授業でした。
もっとも教えていただくのは大学教授のOMなので、そよ風の中の授業は気持ちのいい講義内容でした。
出来れば椅子も持ち込んで、ビールと行きたいところですが、人通りがある上にテーブルの上にトランシーバが何台も置いてあり、興味の無い人から見れば不審者に見られたかもしれません。

もう40年以上も前に、衛星通信に興味がありAMSATのOSCAR6の資料も集めていたのですが、その後仕事の異動や結婚・子育て・介護と続いてあっという間の40年が過ぎてしまいました。
今年の初めにISSとの交信イベントに関わり、衛星通信の技術の様変わりに驚きました。
昨日の緑陰の授業も40年前の予備知識がなければ、半分も理解出来なかったと思います。

自宅に戻ってから、物置の無線室の書架から40年以上も前の資料を取り出しました。
もう、本自体も日に焼けて、古本屋にも無いような本になっていました。
本をパラパラとめくると、黄色のダーマトグラフで線がついていたり、自分の書き込みがしてありました。
40年も前には全然関係ない仕事に就いていましたが、結構勉強していたんだなと、古希に近い年齢になり改めて思いました。
ドップラー現象とかトランスポンダーとか、ケプラーの第三法則とかの言葉が仕事やアルコールで見事綺麗に流されてしまいました。

まあ、これから冥途の土産に少しずつ再勉強をしていきましょう。
自由になる少しのお金と、自由になる時間が爺にはたくさんありますからね・・・
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「ラジオの製作」記念特大号・・・

2020年09月11日 07時55分11秒 | アマチュア無線
「ラジオの製作」というと、私の様な1950年代生まれの少年にとっては、物心ついた時には街の本屋さんで手に取って、それがラジオ少年のきっかけになった本だと思います。
私の場合には、ラジオの製作からCQ誌になり、モービルハムになり、QSTやQEXとだんだんエスカレートしました。
長じて大人になり、アマチュア無線のOMと飲むようになり、隣に座っていたオジサンがラジオの製作の連載執筆者だったりと、驚いたことがありました。
ラジオの製作は30年ほど休刊していましたが、創刊65周年ということで、昨日午前中に市内のK書店に行ったところ、もうすでに残り2冊しかありませんでした。
往時を懐かしむラジオ少年がいるのですね・・・

私が生まれた年にラジオの製作が創刊して、65年ですから、なんとなく趣味の本ですが奇縁を感じます。
ラジオ少年も人並みに学業・就職・結婚・子育て・介護を無事済ませて気がつくと65歳なんですね。
この間に大きな手術を含めて3回、無事にこの世に生還して、ラジオ少年を続けてこられたのも、両親に育ててもらったことと、良き伴侶の理解があったからかなと思います。
工業高校や大学で勉強したこととは程遠い仕事に就いて、管理職になってから愛用の縦振り電鍵は20年位稟議の決済文書の重石にしていたことがありました・・・
ユネスコの文化遺産に登録するとかしないとか。
残るのは、孫たちにモールスの手ほどきか・・・

リタイアしたら、好きな事をやるぞと、後進を育てる講師に就き、念願だった古物商の免許を取り、ここまでこられてきたのも、小学生の時に読んだラジオの製作があったからでした。

これからも、ハンダゴテを温めて、もうしばらくの間、ラジオ爺さんで生きて行こうと思いました。



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