LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

無線工学と山椒縮緬雑魚の佃煮・・・

2016年05月31日 21時17分56秒 | 料理・レシピ

 先週末、久しぶりの無線工学の講師を4コマこなしました・・・

 都内での無線工学の講義は久しぶりでした。
 講義の後に時間があったので、小一時間近所を散歩しました。
 都心の一隅ですが、そこここに昔の江戸の風情が残っています。
 そんな、八百屋の軒先で、山椒の実一ざるワンコインで売られていました。

 拙宅の庭にも、山椒の木はあるのですが、まだ人の背丈ほどで、実はなりません。
 八百屋のおじさんの口上に載せられて、一ざる購いました。

 昨日、拙宅の山椒の葉と購った山椒の実、それに九十九里産の縮緬雑魚の佃煮を二時間かけて作りました・・・
 ざるに山盛りあったのですが、出来上がると小瓶に三つほど・・・

 本日、試食をしましたが、なんと美味しい事か!!!!

 佃煮で、一杯なんて・・・

 冷蔵庫で冷やしたワインを一本飲み干してしまいました・・・・

 だんだんと、家のみ爺さんになっていきそうな気がします。

 それにしても、幸せな気分でした・・・
 
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佐伯祐三、松本竣介そして中村彝・・・

2016年05月29日 07時51分10秒 | 歴史探訪

 先日母親の法事が終えたあとに、よく晴れた五月晴れの午後の時間が空きました・・・

 今年は年頭から忙しくて、なかなか時間が取れなくて以前から訪ねてみたいところがありました。
 私鉄を使って都下の一時間もかからない場所なので、母親からいただいた時間だと思い出かけてみました。

 都下と言っても新宿区の中心部から外れた落合の近辺です。
 大正から昭和にかけて、多くの文人墨客、画家が多く居住していました。
 私の好きな佐伯祐三、中村彝、松本竣介もこのあたりに居住していました。
 むろん一世紀も前の事ですから、たぶんあたり一面は雑木林とか麦畑だったと思いますが。
 佐伯祐三や中村彝のアトリエ跡は記念館として残って保存されています。

 久しぶりに、自分の時間を持つことが出来て、年頭から瞬く間に過ぎて行ってしまった時間を振り返ることが出来ました。
 若いころに好きだった画家のアトリエ跡を訪ねることが出来て、また絵画を鑑賞するときに、若いころとは違った鑑賞の
 仕方をするのかもしれません。

 母からいただいた時間をあらためてありがたく思いました。

 合掌
 
 
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小林一茶の「草津の記」・・・

2016年05月27日 20時10分49秒 | 歴史探訪

  ここ数日は、仕事上のトラブルや自分の勉強もあり、なかなかブログの更新もままなりませんでした・・・

 毎晩就寝前に、読もうとしている書籍を積み上げて置くのですが、なかなか本の山が減りません。
 それよりも、だんだんと本の山の量が増えていく感じがします。

  昨日たまたま開いた当地の歴史書を読んでいたら、小林一茶の「草津の記」がありました。
 よく知られているように、小林一茶は郷里の信州を出てから江戸に奉公に出てから辛酸をなめましたが、遺産相続でもめて
 江戸から郷里の信州まで通いました。

  文化五年ですから、今から208年前になりますか、ちょうどこの時期の5月25日に江戸を発って、当地に宿泊しています。
 記録を読むと、拙宅から5分ほどの旅籠に一夜を過ごしています。
 当時の皆さんは江戸から当地まで、一日で歩いてきてしまうのですから、健脚というしかありません。

  一茶はあまり家族に恵まれませんでしたが、なんだか高名な一茶が200年も前に拙宅の前を歩いて郷里の信州に向かって
 いたことを考えると、急に身近な人物に感じてきます。

  あれほど国語や古文が嫌いで、理科系に進んだのに、還暦を過ぎて改めて勉強したくなりました。

 

 
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ダイバーウォッチ・・・

2016年05月22日 19時33分52秒 | 雑談・その他

 ここのところ、以前に使用していたガラクタを探していたら、腕時計がいくつか出てきました。
 学生時代や現役の時に使用していた腕時計です。
 動かなくなり、そのままにしていたものです。

 バイクだとかサイクリング、野鳥観察とアウトドアスポーツが中心の生活だったので、みないわゆるダイバーウォッチでした。
 国産の安物だったのでホームセンターに持っていったら、修理できますよ、とのことで多少のお金はかかりますが、修理をしていただきました。

 たかが腕時計ですが、それぞれ10年も肌身離さず付けていたので、久しぶりに左腕につけてみると、その当時の気分になれるから不思議です。
 初めてのダイバーウォッチはもう40年以上も前のS社のものでした。
 
 バイクの単独林道ツーリングで長野の山中で道に迷っていた時も方角が判らなくなり、昔のボーイスカウトの記憶で、短針と12時方向で南を方位測定して難を逃れたこと・・・

 学生時代に恋人とはまだほど遠い女性と池袋駅で待ち合わせをして、ついに現れなくて短針が90度も回っていた時のこと・・・

 でも、文字盤が還暦過ぎの老眼には霞んで見えるようになりました・・・
 歳はとりたくないもんです。
 
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アルプスクイックエース・・・

2016年05月21日 20時12分27秒 | 自転車

 昔々・・・サイクリストだった頃・・・

 先日、本屋さんで雑誌を立ち読みしていたら、サイクリングの話が書いてあって、その中にかつて私が所有していた自転車の特集がありました。
 確か、山手線の神田駅近くの自転車屋さんがオーダーメイドで造っていた自転車でした。
 
 自転車でオーダーメイド・・・と驚くでしょうが、高価なオーダーメイドのスーツよりも高くはなかったと思います。
 今のご時世では、いろいろなタイプの自転車が出ていますが、30年以上も前の80年代初頭ではいわゆるツーリング車でした。
 自転車をバラバラにして、輪行袋に収納して電車で目的地まで行き、再度組み立てて現地でサイクリングをする・・・

 バイクもそうでしたが、風を切る爽快感が当時はなんとも言えませんでした。
 今では、日に焼けてシミだらけの爺さんになるだけですが・・・
 シートは英国製のブルックスでした。
 自転車屋のおじさんに、彼女に10年位使ってもらってからの方が良いよと冷やかされました。
 彼女がいたら、自転車なんかに乗ってサイクリングはしていませんでした・・・

 車の免許証を返上すると気が来たら、サイクリング用のツーリング車を購入したくなりました。
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40年前の京大カード・・・

2016年05月20日 21時41分30秒 | 文房具

  本棚を整理していたら、もう40年以上も前に使っていた京大カードが1000枚ほど出てきました。

  何回かの引っ越しにも耐えて、厚紙に包んでありましたが、さすがに四辺は赤茶けていました。
  当時の大学生協で大量に注文して使わなかった残りを後生大事に保存していたものです。
  分析実験や野鳥観察の記録にも当時汎用で使用していました。

  当時でも、大学生協では中性紙を扱っていたのか、紙自体は傷んでいませんでした。
  京大カードの保存状態が良いので、今気に入っているいるゲルインクの太字のブルーブラックの筆記用具で書いたところ、紙質とインクの相性が大変良くて、なんだか40数年振りに当時の親しかった友人に邂逅したような気分でした。
  しばらくは、記録用紙として使ってみようかと思います。

  もともと、このカードは確か京都大学の今西先生が野外調査のフィールドノートととして使用していたのが初めだったと記憶しています。
  なんだか、40数年前の学生時代の自分からのプレゼントをもらったような気分になりました。
  
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初七日・・・・

2016年05月19日 20時25分18秒 | 介護

 連休中も両親の救急搬送後の入院でアッという間に過ぎてしまいましたが、父親の手術、母親の死去と続き初七日が終わりました。

 両親は仲が良かったためか、救急搬送も病院の入院も1週間違いでした・・・
 介護の期間が永かったので、落ち着いた別れをしようと、家族葬で見送りました。

 母親は、アメリカ生まれでアメリカ育ちだったためか、私の育て方にも影響が多分にあったと思います。
 米寿を過ぎた年齢には見えないくらい若かったような気がします。

 私も還暦を過ぎましたが、なんだかこの歳になって、母親が生まれ育った北米のシアトル市に行ってみたい気がします。
 Google Mapで検索すると、母親が居住していた番地には、大きなビルディングが建っていましたが、1900年代の初頭に
 北米移民としてかの地で生業を営んでいた、母方の祖父・祖母の吸っていた空気や街の華やぎを生きているうちに感じてみたくなりました。

 できたら、シアトルのアマチュア局ともアイボールをしたみたくなりました。

 合掌
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ゴールデンウィーク終わる・・・・

2016年05月08日 18時57分57秒 | 介護

 4月の29日から始まった所謂ゴールデンウィークもようやく終わりました・・・

 拙宅にとっては、両親の救急搬送に始まり、入院介護で終わりました。
 覚悟はしていたのですが、両親の救急搬送と入院は仲が良かった両親だけに入院も同時だったのは大変でした。

 加えて、偽計業務妨害の被害者になり、警察に延べ8回も行く羽目になりました。
 
 でも、息子の母校のラグビー観戦とシドッチの遺骨が発見された切支丹屋敷跡の探訪が出来たのは、幸いでした。
 シドッチと新井白石、そして荻生徂徠の江戸期の知的な出会いがなんとも今回の連休の成果でした。
 
 時間があれば、歴史小説にでも纏めてみたい気がします。
 もう少し、知的な歴史探訪をしなくてはと還暦過ぎの爺は春の宵に純米酒を飲みながら考えました・・・
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立夏・・・

2016年05月05日 07時52分19秒 | 気象現象

 今日は立夏。
 春分の日と夏至のちょうど真ん中だったかな。

 昔々、学生時代の友人の彼女が確か「立夏」という名前でした。
 彼女が言うには、「誕生日がすぐ判ってしまう!」とよく話ていました。

 元気でいるなら、今日は彼女の62歳の誕生日。
 私が行ったこともない、北陸の女性でした。
 友人と結婚して、「立夏婆さん」は逞しい北陸の婆さんになっているのでしょうか。

  昨日は、久しぶりの都内の雑踏にいたためか、大変疲れました。
 還暦を過ぎてから、以前にも増して人込みの中を歩くことや並ぶことが疲れるようになりました。
 当地でも、都内から所謂「安・近・短」の条件がそろうためか、この連休中はものすごい混雑でした。

 美味しいコロッケやメンチカツの惣菜を扱っている肉屋さんの前がものすごい行列が出来ていたので
 何かと思ってみると、観光客がコロッケやメンチカツをファストフードのごとく立ち食いをしていました・・・

 
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新井白石と西洋紀聞そしてシドッチ・・・

2016年05月04日 21時19分47秒 | 歴史探訪

 世の中はゴールデン・・・と称していますが・・・・

 拙宅では、今回の連休前に両親が救急搬送で入院に重なり、10数回めの偽計業務妨害の被害者になり、忙しい連休の序章でした。

 
 当地においては、今日は早朝から荒天でしたが、午前中にはピーカン晴れになりました。
 以前から気になっていた、文京区の切支丹屋敷跡に行きたいと思い、配偶者を誘って出かけました。

 切支丹屋敷跡というと、日本史の中では、新井白石の「西洋紀聞」と聴聞をしたシドッチの事が史実としてあります。
 過日、切支丹屋敷跡で発見された遺骨がDNA鑑定でイタリア人ということが判ったことが報道されていました。

 私自身は、地方の工業高校の日本史の授業の知識しかないのですが、還暦を越えた身としては、江戸時代の鎖国の中で、西洋との窓を開けた聴聞記録としては、非常に大きなターニングポイントであったと思います。

 いざ、地下鉄丸の内線の茗荷谷駅を降りて、しばらく歩くと、大きな集合住宅の隅に切支丹屋敷跡の表示がありました。
 今から300年前に、鎖国状態であった日本にイタリアのシチリア島生まれの宣教師が極東の日本に宣教とはいえ、来たことがなんということか・・。

 以前にも書いたのですが私の年代で言うと大学受験の科目であったのですが還暦を過ぎて考えると、荻生徂徠が生まれ育った町内に居住していたとか、日本国内を測量した伊能忠敬が今居住している家の前を測量していたとか史実を考えると、妙に自分自身の興味に降りかかってきます。

 いま、自分自身がいる日本のあり方、今までのあり方を考えると、300年前の出来事を考えることが一つのターニングポイントになるのではないかと五月晴れの住宅街の中でしばし考えてしまいました。
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