昨年に続いて母校での講師が無事終了しました。
工業高校でしたので、その当時はアマチュア無線の関心が高く、周りの同級生も入学後に国家試験を受験していました。
無線従事者免許証は当時の郵政省電波監理局からいただけますが、肝心の無線機器が貧乏な高校生には購入することも出来ませんでした・・・
私自身は化学科でしたが、50年も経ってこんな爺さんになってから、母校の電気科の後輩に無線工学とか電波法の講義をすると思いませんでした・・・
教室から4階建ての校舎を見上げると、巨大なタワーと大きな八木アンテナに加えて短波帯のダイポールアンテナが見えました。
受講していた生徒さんに聞いたら、もうクラブ局は無くて使っていないとの事でした。
爺を学校のクラブ局の顧問で雇っていただけたら、自転車で毎日通おうかと、妄想を抱いてしまいました。
確か50年前の時にはJA1YBGの識別信号で、校庭の隅のブロックで作られた部室にダイポールアンテナでした・・・
コンテストの時には、校門の前にあった「竹屋」さんから孟宗竹を買いに行かされるのは、1年生の役目でした。
ちょうど50年前には工業高校の1年生でした。
校庭のヒマラヤ杉の成長を見ると、50年の過ぎた月日を感じることしきりでした・・・
歳はとりたくないな~!!!