LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

僕のコダクローム・・・

2021年04月09日 09時36分16秒 | 写真
例により物置を整理していたら、鎌倉の鳩サブレーの黄色い缶が沢山出てきました。
それに、Zeissのスライドプロジェクターも一緒でした。

30年以上も前には息子達も小さかったので、よく写真を撮りました。
ほとんどは、コダクロームを使用していました。
個人的にあの独特の発色が好きなのです。
確か、サイモンとガーファンクルの曲の中にも「僕のコダクローム」と言うのがありました。

鳩サブレの缶の中から出てきたのは、36枚撮りのリバーサルフィルムにして100本くらいでしょうか。
半分ほどがマウントされていて、残りはスリーブ仕上げになっていました。
多分小遣いが無くて、仕事をリタイアしたら、暇に任せてマウントしようと考えていたのだと思い出しました。

ざっと見ると、息子達が生まれてから小学校低学年までと、息子達が学生時代にアメリカンフットボールやグリークラブをしていた期間が半々でした。
配偶者も30年前は写真映りは妖精の様だった気がします・・・
今のデジタルもいいのですが、リバーサルフィルムの抜けるような透明感がたまりません。

スライドプロジェクターに組み込んで、見ているとその写真を撮っていた時の空気感というか、その時の風が判るようなきがしてきました。

夏が来る前には、スリーブ仕上げからマウントにして整理してみようかと思います。
これで、暫くは楽しみが出来ました。

朝から爺の戯言でした・・・
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Nikon F 機械遺産認定・・・

2020年08月01日 18時54分59秒 | 写真
今日の夕刊を眺めていたら、小さな囲み記事で「国産一眼レフ機械遺産認定 日本機械学会」とありました。

NikonFと言うと、大学に入学して始めた製鉄所で時給350円のバイト料で購入したカメラでした。
このアルバイトは、梅干しと塩がバイト代になったような二ヶ月でした・・・

当時、写真を撮りたいと妙に感じていました。
以前にもブログに書きましたが、前の年の秋にアサヒカメラにユージンスミスの水俣の記事が出て、フォトジャーナリズムの分野が気になりました。
レンズは35mm/f2、フィルムはトライXの100フィート缶を購入して詰め替えて、現像はD76を20℃の7分現像でしたか・・・
いまでも当時のフィルムは屋根裏の一斗缶に乾燥剤と眠っていると思います。

ASA400トライXの荒い感触の増感処理が好きでした。
あのころに撮った日本の国内の街の写真が荒い現像処理で残っていると思います。
夜行列車で水俣の街にも何回となく行きました。

ユージンスミス氏に逢いたくて、当時お住まいだった原宿のセントラルアパートにもお邪魔しました。
すべて、若気の至りの思い出です。
もう、半世紀前の出来事でした。

なんだか、そんなふうに使っていた写真機が機械遺産認定になってしまうと、私自身も人生リタイアかの烙印を押された感じがします。
そうそう、学生時代に使用していた化学工学用の計算尺も博物館に産業遺産として陳列されていましたっけ。

やはり、もう人生引退の時期なんですね・・・
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1972 OCT アサヒカメラ・・・

2020年06月05日 07時11分24秒 | 写真
新聞の片隅に出ていたのですが、アサヒカメラが休刊になるとの告知が出ていました。

我が家の本棚の一番奥のところに、アサヒカメラの1972年10月号が背表紙もボロボロになっていました。
表紙は当時のアイドルの栗田ひろみさんでした。
もう、栗田ひろみさんも還暦をとうに超え、お孫さんも何人もいるのではないかと思います・・・

なんで、48年も前の写真雑誌を思い出したかと言うと、この号は30ページの特集でユージンスミスの水俣の特集が組まれていました。
私が工業高校で応用化学専攻の2年生で、それなりに多感な時期でした。
水俣病の発生のメカニズムや原因は判明していたのですが、当時の高度経済成長期の大きな歪でした。

ユージン・スミス氏とアイリーン・スミス氏のこの特集は、たぶん日本のマスコミで初めて取り上げられたフォトエッセイだったと思います。
まだ、マスコミでもあまり表だって水俣の事が出てこない時期でした。

関東地方の田舎の高校生の精神を刺激するには十分すぎるアサヒカメラでした。
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再・銀塩写真への思い・・・

2015年12月23日 08時08分51秒 | 写真

 ここのところ、体調がすぐれなく、午後8時過ぎには就寝していたのでブログの更新も1週間以上もできていませんでした・・・

 先々週末に仕事で中腰の作業を2時間ほどしましたら、腰が疼くように痛くてしようがありません。
 その同じ週に、動物病院にラブラドル犬を連れていき、診察台の上に載せた時にも、軽いギックリ腰をしたのもいけなかったようです。

 だんだんと、以前できたことが出来なくなってくる・・・
 なんだか、新聞紙に出ている、高齢者用のサプリメントのコピーのようですね。
 まあ、心の不調ではないので、あとは体力の回復を待つだけですが・・・・

 先日の息子のアメリカンフットボールのリーグ戦の記録を久々のリバーサルフィルムで撮りましたが、ラボから仕上がってきましたが、やはり発色がいいですね!!
 ASA400を2倍に増感し、4000分の1のシャツタースピード、500mmの望遠レンズを手持ちで使っていたのですが、とても還暦爺が撮ったとは思えませんでした。

 印画紙に20枚ほど焼いたのですが、やはりリバーサルの発色がたまりません。
 もう、イーストマン・コダックも止めてしまったし、日本のフィルムメーカーも先細りとか。

 自動車も自動運転の時代がまもなく来るとか。
 だんだんと、慣れていたものがなくなるのは、寂しいことです。

 
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銀塩写真への思い・・・・

2015年12月13日 14時30分22秒 | 写真

 今季の息子のアメフトのリーグ戦では、記録に残そうと思い、久しぶりにリバーサルフィルムを購入して3本ほど撮りました。

 来季の事を考慮して、同じリバーサルフィルムを購入しようとしたら、なんと製造元がフィルムの製造を止めたとのことでした・・・
 コダックが製造を止めたのは知っていたのですが、とうとう日本のメーカーも止めました。

 これでASA400のリバーサルフィルムは無くなりました・・・
 来季からは、デジタルカメラでないと記録は残せません。

 今から42年前に、Nikon Fを購入してから、何本のフィルムを消化したのかわかりませんが、とうとう銀塩フィルムの時代が終焉を迎えました。
 まあ、42年も一つのシステムが継続したことが、むしろ不思議なことなのかも知れません。

  だんだんと、今まで使用していたものが、規格に合わなくて使用できなくなるのが、悲しいというか、時代なのでしょうか。
 自動車しかり、写真機しかり、製品の使用サイクルがだんだんと短くなり、その仕様も変化してくる・・・

  アマチュア無線の世界だけは、モールス通信が残って欲しいと思います。
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岡村昭彦回顧展・・・

2014年09月20日 21時09分57秒 | 写真

 今週は、仕事がつまり、ブログの更新どころではありませんでした・・・・

 今朝は、息子がアメフトの会場担当で、4時起きで起こして、出かけさせました。
 そのあとは、ラブラドル犬の散歩。
 午前中は、親の介護と獣医さんの通院であっという間に終わりました。

 今日は、午前中から出かけようかなと考えていたのですが、結局自宅を出たのは午後一時過ぎになりました。

 恵比寿にある東京都の写真美術館で7月から開催している、フォトジャーナリストの岡村昭彦の回顧展に行きました。
 行こう行こうと思っていて、最終日近くなってしまいました。
 岡村氏については言うまでもなく、LIFEの特集を組まれた日本人初めてのフォトジャーナリストでした。
 生前に一度だけ話を伺ったことがありましたが、56歳で1985年にお亡くなりになりました。

 生年は私の父と同じ年で、都内の近い距離で生まれていたことが不思議な感じがしました。
 今日は、久しぶりに岡村氏の著作も読まさせていただきました。
 岡村氏が取材に使用していた、ニコンFとライカのM4も久しぶりに見ることができました。
 
 なんだか、岡村氏よりも長生きをしている私は、馬齢を重ねただけの様なきがしてきました・・・・
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ニッコール500mm f8・・・

2014年04月10日 21時17分23秒 | 写真

 先日、ひょんなことから、ニッコールの500ミリが手に入りました。

 所謂、反射望遠レンズです。
 ニコンFを使用していた頃、確か20万円くらいしたのではないかと思います。

 早速、残っている、ニコンF2に装着しました。
 ウーム、手持ちで、野鳥の撮影が出来そうです。

  早速、リバーサルフィルムを二本購入しました。
 ASA400ですが、800くらいまで増感処理をすれば、f8の固定絞りでも、早い
 シャッタースピードはいきそうです。

  なんだか、やる気が出てきました。
 月末の連休は、野鳥の生態写真をまたやりましょうか。
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銀塩写真・・・のことなど

2012年06月29日 07時19分48秒 | 写真
 
いまや写真というと、デジタルの時代ですが、ほんの少し前までは、フィルムのいわゆる銀塩写真の時代でした。
 拙宅の乾燥させたトランクの中には、ニコンFとかニコンF2、交換レンズがゴロゴロとしています。みなそれぞれ20年から30年使ったでしょうか。

 ニコンFは、昭和48年からだから、もうそろそろ40年近くなります。
使い心地は、今のデジカメよりも、手の掌にぴったりとくるような、触感があります。合成樹脂でなくて、金属特有の触感です。

 フィルム枚数も限られていたためか、一枚一枚が真剣勝負でした、今のデジカメの様に、何百枚、何千枚のように写し取ることは出来ませんでした。
 リバーサルフィルムになるとことさらでした、コダクローム、エクタクローム、いまでもあの独特な発色の特性が好きでした。

 もう、街の写真屋さんは店を閉めてしまったところがほとんどですが、自宅でカラー写真の引き伸ばしができる時代ですから、仕方がないのでしょうが、あの暗い暗室に閉じこもって、現像液の中から印画紙の中に残像が浮かび上がってくる瞬間がたまらない時でした。

 おじさんの独り言・・・

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