LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

続・計算尺・・・

2019年02月28日 10時30分40秒 | アマチュア無線
ここのところ計算尺に凝っています。

以前にもブログに書きましたが、終活と称して押入れのガラクタの整理を始めたら、工業高校に通っていた頃に使用していた計算尺が出てきました。
大学に入学してからも専攻用の計算尺を求めて、今でもしばしば使用しています。

現役時代に予算だとか決算だとかの時期に机の上に置いておいたら部下に、「そのモノサシはなんですか?」と聞かれたことがありました。
たぶん私の年代が使用していた、最後の世代になると思うので無理もないことだと思いました。
その当時は部下に、「人生は三ケタで十分だ・・・!」と豪語していましたが、確かに今では一日数百円で十分に過ごせる歳になってしまいました。

昭和48年頃に国産の関数電卓が出始めてから計算尺はアッという間に、この世から姿を消してしまいました・・・
昭和の終わり頃に晴海で開催されていた「ハムフェア」でダンボールにいっぱい入った計算尺が新品未使用で1本100円で売られていました。
その時に何本か購入したのも押入れから出てきました。

興味が有りGoogleで調べて見ると、たくさんの方がホームページを作成していて、オフ会なんかも開催しているようでした。
高校生の時に知ってはいたのですが、計算尺自体が数学の理論から言うとかなりの歴史があり、奥が深い計算用具なのが判ります。
日本ですとHEMMIが有名なのですが、世界でもいろいろな会社が作製していました。
有名な所ではアポロ13号の宇宙空間での爆発事故の時に使用されたPickett社のN600-ESなんていうのもありました。

たかが、アナログの計算尺ですが3桁の精度で人生は十分なのかもしれませんね。

またまた、爺さんの戯言でした・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ぽつんと一軒家」と「ラジオデパート」・・・

2019年02月27日 09時28分30秒 | 雑談・その他
高校生の頃からほとんどTVを観ていないのですが、日曜日の夜に「ぽつんと一軒家」という不定期番組があります。
この番組はいわゆる「突撃訪問」的な番組ですが、今の日本の中山間地域のドキュメントそのものなので、毎回欠かさず拝見しています。

別にお笑い芸人が出てきて食べ歩きの番組云々というわけではありませんが、TVの機能と情報の提供を兼ね備えていて日曜日の夕刻の番組としては秀逸だと思います。

取材を受ける中山間地域にお住いの方も、宮本常一の「忘れられた日本人」に出てくるような半世紀も前の日本を彷彿とさせるような人々ばかりで、なんて日本人はいい人ばかりなんだと思うことしきりです。
1世紀以上も前に日本国内を見聞したイザべラバードも見聞きした日本人はこのような人々だったのかと彷彿とさせられます。

Googleの衛星写真で写された日本の山岳地帯の中にある「ぽつんと一軒家」を観ると、場所によっては桃源郷のようなお家もあるし、その中で80代のご夫婦が寄り添うように暮らしている、まるで桃太郎か何かのお伽噺そのものの世界があるかと思うと、あらためて驚きます。

コンビニなんてたぶん無いだろうし、麓の集落まで軽自動車で1時間なんてざら、観ているこちら側の方が「医者はどうするんだろう・・・」、「野菜はあるでしょうが、肉や魚は・・・」と余計な事を考えてしまいます。
当地でいわれる「里山」なんて概念なんてものではありません。

毎回観ていると、「こういうところでタワーを建てて大きなアンテナでアマチュア無線が出来たらな・・・」とボソッと言うと、一緒に観ている配偶者が「また、バカなこと言ってる・・・」と切り返されてしまいます・・・

久しぶりの日曜日に秋葉原の「ラジオデパート」や「ラジオセンター」に出かけた夜に「ぽつんと一軒家」の番組を観てしまうと、その落差や需要と供給、はたまた「日本における中山間地域の課題」なんて難しい事柄がボケの始まった私の頭の中を駆け巡ります。

「ラジオデパート」や「ラジオセンター」はご存じの方は説明するまでもありませんが、世界各国から抵抗器やIC1個、トロイダルコアやトランス、はたまた真空管1本を購入できるラジオ爺さんには天国の様な場所です。
たまたま、1時間程度でそこに行ける私はなんて境遇にいるのかとつくづくと思わされます。

「需要と供給」それだけでは済まされない課題を考えさせられる日曜日の夜でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

83年前の雪の日に・・・

2019年02月26日 09時26分12秒 | 雑談・その他
83年前の雪の日に・・・

父親が元気だった頃には、いつも2月26日の朝ごはんの時には「朝起きたら大雪で、膝まで潜る雪で小学校は休みで、家の前の浦和駅に行くと憲兵がたくさんいて・・・」と話すのが常でした。

父親が浦和市の高砂小学校2年生の時の2.26事件だったから、インパクトがあったのだと思います。
私自身の出来事にたとえると、たぶん1964年の東京オリンピックになるのでしょうか。

当時父親の父は逓信省に勤務していたのでたぶんその当時の情報は何らかの形で伝わっていたと思いますが、小学2年生では事態の把握は出来なかったと思います。

今の気象用語で言う「南岸低気圧」の昭和初期版だと思いますが、小学生の膝が潜るというと関東平野においても積雪量は30㎝位はあったのではないかと想像できます。

2月26日になる度に父親の話を20年以上も聴いていた私としては、この日になると雪は降っていないよなと早朝の雨戸をあけるのが癖になってしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

確定申告・・・

2019年02月25日 19時36分49秒 | 雑談・その他
確定申告の時期が始まりました・・・

現役時代には医療費控除の確定申告を20年ほど自分でしていましたが、リタイアすると書類集めから何からやらなくてはなりません。
市役所に出かけて、書類をもらい精読して、昨年からの変更等をチェックして・・・・
昨年一年間の収入・支出、はたまた控除が可能な領収書の整理・・・

だんだんと、歳を取るに従い億劫になってきました。
これから後どのくらいできるのか、この時ばかりは計算尺ではなくて、8ケタの電卓が便利です。

今日は、6時間ほど机に向かっていました。
もう、花粉症でただでさえ目がショボショボなのに、細かい電卓を入力していたのでヘトヘトです。
今日は猫もかまわないで暖かな電気毛布にくるまりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終の棲家・・・

2019年02月24日 11時18分14秒 | 雑談・その他
わが家ではもうこの地に転居・居住して四半世紀以上の時間が経過しました。

周囲の家々もだんだんと立て込んできました。
建てた頃には未だ田んぼがあり、五月の連休過ぎにはツバメが軒先に巣をかけ始めたこともありました。
ぶどう棚を作り一番収穫できた頃には、20kgものブドウが収穫できて自家製ワインも醸造したこともありました。

四半世紀も住み続けるとあちこちが傷みはじめます。
最初はまず水回りでした、トイレ・風呂場・キッチン・・・
自分で修理が可能な部分は直してしまいました。

四半世紀のうち延べ18年ほどはラブラドル犬3頭との暮らしでした。
庭を利用して8畳ほどのウッドデッキを小学生だった息子二人と作り、3頭とも遊ばせていました。
家の中のあちこちに傷跡があります。
キズのひとつひとつがアトム・ウラン・オージの思い出になっています。

だんだんと階段もきつくなります。
ラブラドル犬達も10歳を越えると階段を登れなくなりました・・・

そろそろ終活の時期かなと思います。
配偶者と終の棲家をこさえようかと話しています。

高校生の時に建築家の友人に見せてもらったコルビジェの小住宅の写真集を思い出してネットで検索しました。
もう100年も前の設計・施工ですが、デザインや動線は現在でも通用します。
コルビジェというと、上野の西洋美術館のデザインを彷彿とさせますが、本当は小住宅のデザインが秀逸だと思います。

立原道造のヒヤシンスハウスも小住宅のデザインとしては秀逸だと思うのですが、なんとなくストイックな感傷を受けます・・・
ヒヤシンスハウスはなんだか似ているなと思っていたら、自宅の駐車場に置いてあるトレーラに間取りが似ていました。

「断捨離」が一時期流行りましたが、所有者がいなくなったら何百冊もある書籍や十台以上のアマチュア無線や船舶用の受信機の類もただのガラクタになるのか・・・

そろそろ、本当に真剣に考えないといけませんね・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

P社のことなど・・・

2019年02月23日 08時25分20秒 | アマチュア無線
このごろ新聞の経済欄を読んでいると、日本の企業が外国資本のファンドからの資金援助でだんだんと日本の企業ではなくなりつつあるのが杞憂です。

ご近所にP社の事業所があります。
前を通る毎に車の動きがあまりなくて元気がないな~と思っていました。
P社というと高校生の時のクラブ局の先輩が何人も就職している大きな企業でしたから、上場企業はすごいなと思っていました。

私が大学生の頃でしたか、FM東京の深夜番組で片岡義男さんと安田南さんのDJで「きまぐれ飛行船」というのをやっていましたが、そのCMでP社のオーディオのコマーシャルが流れていたのを妙に覚えています。

P社と言えばスピーカの音がいいので、アマチュア無線の世界でも有名なT社のチューナと、アンプのS電気と共に憧れの会社でした。
その後、カラオケのレーザーディスク、加えてカーナビゲーションの嚆矢でした、確か・・・
カーナビゲーションの開発はクラブ局で優秀だった先輩が開発していたのかなと想像していました。

それが先日の新聞の経済欄では大きな見出しで外国資本のファンドの翼下に。
このままだんだんと日本のモノつくりの現場が劣化していってしまうのでしょうか心配です。
40年前にはこんな状況を想像さえ出来ませんでした・・・
リタイア爺さんがこんなことを心配してもしょうがないのですが。

自分の手で部品を買い集めて、自分の手でケーブルを剥いて、基盤に抵抗・コンデンサをつけて、スピーカーから音声が出た時の感動!
スマートフォンのアプリからでは、こんな感激が生まれようがありません。

またまた爺の戯言になってしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

T屋書店とK屋書店・・・

2019年02月22日 10時11分52秒 | アマチュア無線
先日、CQ誌とQEXを読みたいと思い、雨が降りそうなので自転車で近くのT屋書店に出かけました。
両方ともありません・・・

しかたがないので、雨に濡れながら自転車に乗った爺さんは、駅の近くのK屋書店に行きました。
ここでは、CQ誌はまだ平積み10冊ほどあり、QEXもありました。

半世紀前では、CQ誌は近所の個人経営の書店でも、高さ50cmほどの高さの平積みでした。
近所にラジオ少年がたくさんいたのでしょうか。

今や、ラジオ爺さんの愛読書になりつつあります。
その当時は、経済状況は右肩上がりで、私が通学していた工業高校も電気関係の科は入試も2倍から3倍でした。

その当時は大手のT屋書店やK屋書店もなく、町の中には個人の書店が町に1軒はありました。
CQ誌を立ち読みをしていると、はたきを持ったお婆さんがたまに来ました・・・
今のご時世、売れるものしか置かないのでしょうね。
爺さんには、無人のレジは嫌なので、だんだんと行かなくなってしまいました・・・

爺さんになると、たかが趣味の本ですが、時系列で世の中を斜に観てしまいます。

また、爺さんの戯言でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩波新書とバイトの時給・・・

2019年02月21日 17時42分34秒 | 雑談・その他
以前にも書いたのだけれどもボケてしまったので再度検証・・・

もう、半世紀前の事だけれども私が高校生だったころのアルバイトの時給が@170でした。
レギュラーガソリンが@54で、岩波新書が@130でした。
高校生の頃でしたから、1時間働けば岩波新書が1冊買えるんだと殊勝なことを考えていました。
実際、毎月確か3冊新書が出ていましたから、毎月購入していました。

今の時代、当地のアルバイトの時間給を見ると大体@950。
レギュラーガソリンは@128、岩波新書が@950です。

比べて観ると、アルバイトの時給と岩波新書はほぼ同額、ガソリンは経済指標にもなるのでしょうから53.8円の揮発油税等を含んでも安定かなと思います。
なんで、いつもこんなことを考えているかというと、労働の対価としての金額が他の商品に兌換する場合に、なんだか安くなっているなと感じます。
リタイアして社会的な使命を終えて考えると、後は安全で健康な暮らしの継続と暖かい食事、それに暖かい場所があれば・・・

「もう一旗揚げよう!」なんて事は考えないのですが、時間を有効に使いたいなと最近つくづく思います。
時間と健康はお金では買えませんからね・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10年ぶりの抜歯・・・

2019年02月20日 10時54分43秒 | 雑談・その他
歯科医院に通うようになり5年余りになります。

小学生の時に虫歯の治療で通った以来は30年程は歯の治療には通ったことがありませんでした。
その後に親不知でお世話になってからは暫くの間縁がありませんでしたが、老化のためか歯周病の為に月に1度の歯科医院通いになりました。

お正月に固いお餅を食べた時に「ガリっ!」と噛んだのがいけませんでした。
奥歯がグラグラになってしまいました。
治るかと思い何回か通ったのですが、「抜いたほうがいいですね。」と担当のドクターの意見でした・・・

たかが抜歯なのですが、半世紀以上も私の食生活を支えてくれたと思うと申し訳ない思いです。
抜いた歯をいただいてきて、最後の歯磨きをして机の上に置きました。
「満身創痍」の言葉がちょうど見合うような歯でした。

小学生の頃でしたか、上の歯が抜けた時は縁の下、下の歯が抜けた時は屋根に投げ入れていたような気がします。
たぶん昔からの歯が丈夫になる伝承なのでしょう。

もうしばらくは、歯科治療に通うようです・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しいハンダゴテ・・・

2019年02月19日 10時22分28秒 | アマチュア無線

 ここのところハンダゴテを使用する機会が増えたのですが、もう40年以上も使用しているためかどうも芋ハンダになってしまいます。
 ハンダの名人の知人に相談して、最新の温度調節ができる熱容量の比較的あるハンダゴテをネットで購入しました。

 あと10年も使わないでしょうが、フラックス入りのハンダやコテ台も一緒に購入しましたが福沢さんで十分にお釣りがきました。
 ちょうど誕生日に届いたので、自分へのご褒美になりました・・・

 早速温めて同軸ケーブルとアンテナチューナーの修理に使用してみました。
 なんだか、ハンダをするのが上手になった感じがします。
 錯覚かな・・・
 もう20年程前ですが、前輪駆動の車から今のスバルに乗り換えた時に運転が上手になった感じがした時と同じ感覚です。

 ハンダゴテのコテ先の温度コントロールが上手くいかないと表面の合金層が出来ません。
 フラックスも蒸発してしまいます。

 「〇〇とハンダゴテ」は新しいものがいいみたいですね!
 さあ、新しいハンダゴテで溜まった修理をセコセコとこなしましょう・・・
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする