LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

煎り酒・・・

2018年11月30日 08時58分55秒 | 料理・レシピ

 ここのところ電波伝搬があまり良くないためか、無線室の出入りはほとんどしないで、料理に専念している状態です。
 本来はアマチュア無線のブログのつもりですが、これでは料理のブログです。
 新聞の料理欄で見かけた、「煎り酒」に凝っています。

 これは醤油以前の調味料に該当するのでしょうか・・・
 材料は、純米酒・比較的塩分濃度の高い梅干し・昆布・鰹節。
 これらをガラスの瓶に入れて冷蔵庫で一昼夜おいて、後は弱火で半量まで煮詰めるだけの簡単さ!!
 粗熱を取ってから冷蔵庫で保存するだけです。

 「美味しい!」の一言につきます。
 上等のお刺身にたぶん会います。
 無論、卵かけご飯にも、納豆にも。

 しばらくは、電波伝搬が落ち着くまでは、蕎麦を打ったり、新しいイタ飯を作ったりの生活でしょうか。
 それにしても、先日の半田ごてと油がはねたヤケドが痛い!
 爺さんになると、ケガの治りも遅くなります・・・
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スタッドレスタイヤの交換・・・

2018年11月29日 08時10分38秒 | 

 ここのところ、関東地方の当地では小春日和というか日中は小夏日和の様な日が続いています。
 11月末というと、子供の頃は木枯らしが吹いて鼻を垂らしていたような記憶がありますが、これも地球温暖化なのでしょうか。
 マクロ的に地球の歴史を俯瞰すると、確かマウンダー小氷河期に入りかけていたような記憶があります。
 地球の歳差運動も影響しているのでしょうか・・・

 とりあえずそんなことを考えていると、いきなり湾岸低気圧で関東地方は大雪になったりするので小市民としては例年恒例のタイヤ交換をしなくてはなりません。。
 家族には、「タイヤ交換が出来なくなったら俺は車の運転はやめる!」と何年か前から宣言している以上、我が家の恒例の行事です。
 家人は、「お金を払ってやってもらえば!」と話すのですが、高校生の時からガソリンスタンドで8年もアルバイトして学校を出られたので、自分で交換しないと沽券にかかわります・・・

 それにしても還暦を越すと、夏用タイヤをスタッドレスタイヤに交換するのには体力が非常に必要です。
 タイヤサイズは195-14、扁平率は60、このタイヤを8本入れ替えるのです。
 しかも、十字レンチで合計40個のナットを外して再度しめ直すのですから。
 油圧ジャッキが無いので、タイヤ交換用のジャッキ2台で8回車体を上下して交換します。
 
 昨年は、この操作を56分かかりましたが、今年は6分短縮して50分でした!!
 体力を消耗したせいか、昨晩は純米酒2合で眠くなりました。

 不思議と熟睡出来て、朝まで小用も起きることなく久しぶりにいい睡眠を得ることが出来ました・・・
 幸せ幸せ・・・
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四十年ぶりの谷川連峰・・・

2018年11月28日 11時36分36秒 | アマチュア無線

 しばらくブログの更新をサボっていたら気がついたらもう11月も月末に・・・

 今月はシンポジウムやゾルゲ氏の墓参りと結構忙しい毎日でした。
 来週は心臓手術後1年経過で、なんとか生きながらえた節目でもあります。

 昨晩は作り置きの惣菜を作っていたらゴマ油が跳ねて右手が酷い水膨れの火傷になりました・・・
 ここの所、半田ゴテで火傷をしたりと、火傷と仲良くて、どうもいけません。

 さて、先週末は出張講師で谷川連峰の麓の町に行きました。
 やはりホームグラウンドの埼玉とは外気温がグッと下がります。
 谷川連峰の山々もスッポリと雪景色でした。

 この前にに谷川岳に来たのは何時だったか・・・
 40年以上も前のことですね、仕事や子育て介護にと山行なんて時間がありませんでした。
 むろんアマチュア無線も・・・

 今回は、その出来なかったアマチュア無線と山行を兼ねたダブルチーズバーガーの様なイベントでした。
 帰宅したら待ち構えた様にQSTの12月号も自宅に届いていました。

 今度はハンディトランシーバを持って山に登りましょう・・・
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比較考古学シンポジウム・・・

2018年11月18日 20時15分09秒 | 歴史探訪

 今週末は金・土・日と晴耕雨読ではなく、晴読雨読の週末でした・・・

 金曜日はゾルゲ氏のお墓参り。
 昨日と本日は、明治大学で開催された、国立歴史民俗博物館主催の比較考古学のシンポジウムでした。
 
 現役時代には参加できなかったシンポジウムもリタイアすると翌日のスケジュールも考えなくて参加できるようになりました。
 リタイアすると酒と学問は時間を気にしなくて(飲めるので)できるのが幸せです・・・

 今回のシンポジウムは端的に言うと、過去の時代においての古墳と作製時代の社会構成のシンポジウムでした。
 詳細は記述しませんが、ある程度の社会形成の時代において「古墳」は世界中において形成されていました。

 実のところ、私自身が人生で初めて購入した書籍が小学生の時に購入した岩波新書の「古墳の話」でした。
 小学生の時に、古墳の形成について考えていたのですからずいぶんと早熟でした・・・
 人生でその生き方の方向性を決定するのはたぶん「なんで?、なぜ!」と疑問を抱くのことが、人生の分岐点のひとつだと思います。

 私の場合には、一つ目は「古墳墓の形成」が最初でした、二つ目は「スズメの群れにセキセイインコが混成していた」こと、三つ目が「アンテナによって電波の飛び方が異なる事象」でした。

 でも、学問としてはいずれも生きて行く上での「ご飯を食べて行く」ためにはたぶん選択枝として消去せざるを得ませんでした・・・
 そんなわけで勉強は化学を専攻しましたが、結局それでもご飯の種にはなりませんでした。

 リタイアしてからは、人生で極めることを休んで暖めていた学問を残りの人生をつぎ込もうと最近思います。
 そんな理由でリタイアしてから幾つかのシンポジウムに参加してみました。
 
 7月の「生物多様性のシンポジウム」、そして今回の「比較考古学シンポジウム」いずれにしても、これからの学問の領域です。
 もう少し若くて体力があれば、大学で学問を進めたいのですが、今回二日間の通勤で体力の限界を知りました・・・

 どのくらいできるか判りませんが、自分なりに進めてみたいと思います。
 
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ゾルゲ氏の墓参り・・・

2018年11月16日 18時42分38秒 | アマチュア無線

 ここしばらくの間、自宅に籠って晴読雨読に集中していたのでブログの更新も出来ませんでした・・・

 リタイアしてから現役時代に出来なかったことがありすぎて、少しずつこなしていますがなかなか手が回りません。
 あんなに周囲にはリタイアしたら「無線三昧・・・」と言いふらしていたのですが、アンテナもまだ建てていません。

 ここしばらくゾルゲ事件の事を資料漁りしていたのですが、なかなかまとめ切りません。
 そんなこんなで、今日は当のゾルゲ氏の墓参りに出かけました。

 自宅から電車を乗り継いで1時間、閑静な多磨墓地の片隅にゾルゲ氏と石井花子氏の墓所がありました。
 70年以上も前の日本を震撼させたゾルゲ事件の当人とは思えない清楚な墓所でした。
 誰が供えたか判りませんが、白と赤のカーネーションが小春日和の日差しに眩しく光っていました。

 ゾルゲ氏の命日は11月7日、そうソビエト革命の日ということは世界史の教科書にも記載されています。
 70年以上も前の日本を震撼させた大事件でしたが、アマチュア無線家の立場から俯瞰すると当時の技術やQSTからの知識の吸収や技術の視点からは考えさせられることが沢山あります。
 でも、資料を読み解く事を進めると、当時のゾルゲ氏の周りの人間関係や世界情勢を含めて考えると、考えさせられることが山のようにあります。
 
 でも、今日の多磨墓地のゾルゲ氏の墓所を訪れてみると氷解したような気持ちです。
 愛人であった石井花子さんのゾルゲ氏への気持ちが「ひしひし」と伝わってくるような気がしました。

 多磨墓地自体がたいへん広大で、日本史に出てくるような故人の墓所であることは知っていましたが今回広大な墓所を拝見してつくづく考えました。
 ほとんど、雑木林の様な墓所もあれば、ゾルゲ氏の墓所の様に清楚な墓所もありました。

 こんなことを書いていたら、急に中島みゆきの「世情」が頭の中に流れてきました・・・

 自分の事を考えると、ちっぽけな存在であるとつくづく考えました。

 
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IDとPW・・・

2018年11月10日 10時55分21秒 | 雑談・その他

 ここのところ物置の無線室(勝手にそう呼んで使用しているだけですが・・・)はなんとか整理できましたが、右手の肘が寒くなってからというもの朝起きる時から痺れる様になりました。

 縦振り電鍵のモールスのやり過ぎかなと思いましたが、そんなに電波も出してないし殆どSWLだけになっています。
JRCの業務用受信機を、とある地方のOMから譲っていただいてから、内部雑音の静かなことと、まったりとした音質に聞き惚れてしまいました。
 中波帯なんか聞いているとJOAKでも、別の放送局の様に聞こえるから驚きです。

 そんなこんながありますが、ここの所整理しようと思っていた、いろいろなパスワードとIDを整理しようと思い全部リストアップしてみました。
 必要なものだけを整理してリストアップすると、12ポイントの活字でなんとA4の用紙に4枚もありました!

 PCを常時2台使用していろいろな取引や買い物、会員になっていますが、還暦をとうに越した身では忘れてしまいます。
そのうち、惚け爺さんになったらデジタル遺品になってしまうので、キチンと整理しておかなくてはと思います。
銀行やキャッシュカードの暗証番号も家族でさえ判らなくなります。

その内に社会問題となる日が近づいて来ると思いますが・・・

世の中の皆さんはどういうふうに管理しているのか・・・



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アクアパッツァ・・・

2018年11月06日 11時49分57秒 | 料理・レシピ

 ここの所の物置の無線室の後片付けや受信機の修理の手間がかかり、ようやく時間ができました。
リタイア後は「無線三昧で道楽を・・・」となんて考えていましたが、まだ年内にやり残している案件がいくつかあります。

 肉体を使う仕事を半日しただけで疲れてしまい、夜中の小用も起きること無く朝まで熟睡出来るのですからいわば、「一石二鳥」・・・

 晩御飯の支度もここの所は配偶者との食事だけなのでフライパンや鍋一つで出来るものばかり。
冷凍庫の整理も兼ねて週一回くらいのペースで新作の手料理です。

 リストランテなんて呼ばれる小洒落たイタメシ屋さんではたいそうなお値段ですが、アクアパッツァがここのところ我が家では冷凍庫の片付け料理の定番です。
オリーブの実、熟し過ぎたトマト、ミイラ化したムール貝やスズキ、昨日はご近所からいただいた「柿」と「リンゴ」も入れてみました・・・

 今回は「旨すぎる~!」、白ワインではなくて安い純米酒でも、気分はイタリアン。
確か昔読んだ料理のレシピでは、イタリアのナポリ地方の家庭料理で、邦訳すると「奇妙な水とかワイン・・・」だったような。
 これに、バッタ売りしていた横文字のパスタだけで、リストランテに負けないくらいの晩御飯になります。

 料理は道具や素材を用意して肩肘張るよりも、冷蔵庫や冷凍庫を開けて残り物を組み合わせてその時のアドリブで作った方が大体は上手くいきそうな気がします。

もっとも、腹ぺこ状態なら何を食べても美味しいのですが・・・

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伊能忠敬・・・

2018年11月03日 10時47分02秒 | 歴史探訪

 本来は道楽であるアマチュア無線のブログのはずなのですが、ここのところ無線工学の担当講師が続いて少し頭を切り替えようと以前から興味があった伊能忠敬の歴史探訪をしてみたくなりました・・・

 伊能忠敬は江戸時代にほぼ日本全土を測量した人物であることは既にご存じだと思います。
以前に資料を漁っていたら、今私が住んでいる家から数分の所にある、昔旅籠だったお宅に測量途中で泊まった記録がありました。
自宅の前の道を伊能忠敬が家来とスタスタと歩いて測量していたことを知ると日本史をあまり勉強しなかったので急に身近になりました。
生まれ育った生家の近所には荻生徂徠が柳沢吉保に請われて住んでいた場所もありました。
そんな事を考えると、こんな歳になって急に日本史を勉強したくなるから不思議です・・・
神田の山川出版の教科書が懐かしい・・・

 昨日は伊能忠敬が五十を過ぎてから、婿養子に入った家の事業を成功させて家督を息子に渡し、江戸深川に住いを移した旧居跡と測量隊を組織して出かけるたびに祈願した富岡八幡宮に出かけました。

 富岡八幡宮というと昨年末に発生した惨劇事件を思い出す方が多いと思います。(詳細は「神社崩壊」島田裕巳著 新潮新書参照)
先ずは伊能忠敬の参詣した本殿にお参りして、お賽銭を納めました。

境内には、伊能忠敬の立派な記念碑がありました。
お賽銭を納めただけで、日本史を勉強したような気分になるから不思議です・・・

 秋晴れの霜月の下で静かに日本史をおさらいした気分に浸っていると、何やらフランス人の観光客団体が10名ほど来て大きな声で話しています。
あまりに五月蠅いので、周りを見渡すと日本人もいない事をいいことに、半世紀も前に習った日本語訛りのフランス語で「ボンジュール」から始まり、どこから来たんだ?とか、伊能忠敬を知ってるか?とか適当に喋ったら何とか通じました。
そうしたら、昔のカトリーヌドヌーブ似の美しいオネーさんが何やら難しい事を言い出したので、「オボヮーア・アビヤント~!」と富岡八幡宮を後にしました・・・
彼らが本国に帰ったら、「変な日本人の爺さんが居た!」と話題になるかもしれません。

 たぶんこのあたりは関東大震災や第二次大戦末期の東京大空襲で、それ以前の江戸期の痕跡は何もなくなったと思います。
門前仲町の駅の北側にあるはずの伊能忠敬が千葉から出てきて仮住まいとしていた旧居跡も辿りましたが高速道路の下になり石碑が残っているだけでした。
伊能忠敬が住んでいた当時の古地図を参照すると、川幅が2~3間ほどの川端に旧居が在った様でした。

 よくばり爺さんは、たまに埼玉の田舎から上京したので、ついでに神田の古本市をやっていると思い、地下鉄を乗り継いでいざ淡路町界隈から駿河台下へ・・・
 探していた、みすず書房のゾルゲ事件の書籍は在りましたがとても年金生活者には購うことができません・・・
やはりしばらくは、公共図書館のお世話になりましょう。

 久しぶりの、爺さんの歴史探訪記でした。
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霜月・・・

2018年11月01日 10時23分54秒 | 雑談・その他
ここしばらく野暮用が続いてブログの更新も久々になってしまいました。

あんなに暑かった夏もなんだか急に寒くなり気がついたらカレンダーが霜月になってしまいました。
飼いはじめた子猫の金太郎と桃太郎もあっという間に大きな雄猫になり5kg近くなってしまいました。

ラブラドル犬3頭もそうでしたが、犬や猫は性格が人間ほどには無いとたかをくくっていたのですがものの見事に外れました。
犬猫もそれぞれの個性があるようです。

黒猫の金太郎は一言で言うならば「トロイ」のです・・・
何をするのもそうです、最も最初の拾い主によると「虫取り網」で捕まえられたくらいの子猫でしたから仕方がないのですが・・・
白黒ブチの桃太郎は「利発」そのものでした。
道具を使用するのも上手いし、行動も早い。
ただ、先住犬には弱くて逃げ回っています、その点金太郎は犬に対しては平気です。

急に寒くなり、年内にやらなくてはならないことが今年の手帳に「TO DO」のリストでありますが、あと12カ所も未達成になっています。
歳を重ねるにつけだんだんとセッカチの度合いが強くなってきます。
これも親からの遺伝のせいか・・・・

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