今日は、アホを相手に疲れました・・・・
先日から、電話番号が不明な相手から夜昼なく掛かってきました。
基本的に、登録番号以外は出ないことにしています。
でも、今日は会議中にあり、受けました。
相手は、大学時代の実験の相方でした・・・・
私は、高校時代も大学時代も応用化学が専攻でしたから、実験は必ず相方がいました。
高校時代は、K君と、同じイニシャルですがK君です。
大学時代はO君でした。
北海道の函館から来ていた、頼もしい相方でした。
実験のデータは、いつも彼の数値処理に助けてもらっていました。
そんな彼も、卒業の後に、引っ越しを手伝って以来でした、ですから40年ぶりです。
何かあったのかなと想いましたら、久しぶりに飲まないかとの事でした。
もちろん、了解しました。
もう、飲むのはホントに三十数年ぶりです・・・
予定は、四月の中旬、もう桜も散っている事でしょうか。
友あり、遠方より来る。
昨年末に作った柚餅子をカヌーの艇庫にカヌーと一緒に吊るして置いたままになっていたのを忘れていました・・・・
もうそろそろいいかなと思い、いくつか間引いて、薄くナイフで削いでみました。
なんだか、昔々頂いた九州からのカラスミを思い出しました。
皿に載せて、何がいいかなと考えてみたら、確か年末に購入したバーボンがありました。
バーボンを先日購入したスタンレーのショットグラスに入れて、柚餅子を肴にしました。
ウ~ム、妙に合いますね、この組み合わせ!!
柚子は拙宅の庭の柚子、味噌は昨年の三月に仕込んだ、手前味噌。
なんだか、昨日に続いて幸せな気分になりました。
今日は早朝から、小田原か熱海に配偶者と出かけて、美味しい海鮮丼か何かを食べに行こうかと思っていたのですが、配偶者の寝坊で・・・・
午前中は、リタイアの為の書類を作成・整理していました。
思い切って処分するものはしました。
メールで出来るものは、保険会社も含めて何とか終了しました。
午後になり、月初めに高周波電力計の校正をお願いしていた、恵比寿のFアンテナ研究所から連絡があり、校正が終わったとのことでした。
明日は東京マラソンもあり、都内が厳戒態勢になるので、今日のうちと思い、午後遅くに埼玉の辺地から出かけました。
ここひと月は週末は都内に毎週出かけていることになります。
来週末も息子のコンサートがあるので、新宿くんだりまで出かけることになります。
恵比寿の駅に着いたのは、もう16時も過ぎていました。
恵比寿の路地を歩いていたら、前方から歩いてきたのは、なんと我社の管理職の奥方様・・・・
こんな広い東京の路地裏で・・・ビックリしました。
さてさて、校正の終了した通過型高周波電力計ですが、もう四半世紀も我無線設備の出力を見張っていたためか、確かにくたびれていました。
Fアンテナ研究所は、今回で3回目なのですが、毎回二時間は居候してしまいます。
社長さんのN氏のお話を伺っているだけで、私の様な若輩者はためになります。
今年で御年82歳には、とても思えません・・・
今日は、戦後のアマチュア無線界の話とか、進駐軍のお話とか、アマチュア無線をこの歳まで続けていて良かったなとつくづく思いました。
配偶者とのデートは出来なかったのですが、久しぶりにラジオ少年に戻ることが出来ました。
ここ三週続けて、週末はラジオ少年に戻っていますか・・・・
幸せ、幸せ・・・・
五年ごとのアマチュア局の更新時期がやって来ました。
配偶者の無線局免許と家族で持っている所謂社団局の二つです。
最近は、電子申請というものが出来るようになり、安くて便利になりました。
まるで近所のコンビニに行くような感覚です。
今回は、出来るのですが、五年後は耄碌してできるのでしょうか・・・
パスワードだとかIDの自己管理ができるかどうか心配です。
やはり、40年以上も前の様に、診断書を添付して手続きをする方が、良かったような気がします。
公共の電波を使う訳ですから、それなりの手続きを踏むくらいのほうが、開局した価値があると個人的には思います。
今週末には、電子申請をして局免許の更新手続きを終えたいと思います。
先日買い物に出かけたところ、お値打ち品と称してフキノトウが六個ほど入ったものが100円で売られていました。
フキノトウなんて、河の土手でよく見つけましたが、もうしばらく見ていません。
そうだ蕗味噌にして、酒の肴にしようと思い、買い求めました。
蕗は汚れを取り、みじん切りにして、水にさらしてあくを抜き、会津の麹味噌と合わせました。
ウ~ム美味い!!
ほろりと苦く、日本酒の肴にはもってこいです。
還暦を迎えたせいか、だんだんと食べ物が淡泊になります。
肉より魚、赤身より白身、濃い出汁より薄い出汁・・・・
コーヒーも自家焙煎するくらい好きだったのですが、この頃は美味しい日本茶が好みになりました。
美味しい羊羹とお茶が無性にほしくなりました。
だんだんと肉体が老化して、干からびていくようです・・・・
先日、天井裏の物置を探していたら、オリベッティのタイプライターと35mmのレンズが付いたニコンFが出てきました。
タイプライターは、レッテラブラック、ニコンFもそうでした。
確か、大学一年の夏休みのバイト代で購入したものでした。
なんで、その当時そんなものを持っていたのか・・・
当時、私は応用化学を専攻する学生でした。
でも、入学当時から、なんだか同級生に違和感を感じていました。
学生なのに、みんななんでこんなに世の中を考えていないのか・・・・
当時は、ベトナム戦争もありました、国内に目を向けると、成田空港開港や公害などの事がありました。
世の中が動いているのに何でみんな見て見ぬふりなんだ・・・・
そんな事を、一人で考えていました。
でも、行動するには非力過ぎることは自明の理でした。
自分にできること・・・・
そうだ、事実を外に向けて発信することだ・・・
そんな思いにかられて、英文タイプライターとビジュアルな表現である銀塩カメラであちこちに表現者として出しました。
でも、そんな思いも、ある日の交通事故で途切れてしまいまいました。
バイト中の交通事故でした。
とりあえず、大学は卒業しましたが、ご飯を食べていく手段として生業を選択しました。
還暦を迎える歳になって、屋根裏部屋の荷物をあらためて手にすると、自分の選択肢が最前の方法だったのか考えてしまいます。
私の還暦祝いに配偶者の承諾も得て、宮城県のG社にお願いした縦振り電鍵が届きました。
今までに、いろいろな電鍵を使用しました。
H社の大理石で出来た808、これは昭和60年の4月期に一アマを受験した時に持参して打電の試験に使いました。
確か、蒲田の日本電子工学院でした。
さすが、自衛隊や海上保安庁で使用されているためか、酷使してもビクともしません。
OMにいろいろ聞いて、ワニ口クリップ付きのコードをつくり、試験管を驚かせました。
もう、和文・英文の平文を打つ手が、震えて4月だと言うのに掌が汗でキーが滑りました・・・
N無線のKY-3A、これは808の後に購入しましたが、さすが船舶局で業務用に使用しているせいか、すごく
打ちやすく、私も30代初めだったせいか、一生これで行くぞと、爺さんになった時に使おうと、二台購入しました。
確か、当時の聖徳太子一枚でお釣りが来ました。
以前にネットオークションで見たら、とんでもない金額でやり取りされていました・・・
株や投資を越えて、購入価格の10倍以上の値段が付くのですから、趣味の世界は深いですね~。
蛇足ですが、以前にニコンFの黒いのが、当時の販売価格の10倍以上の値段で売られていたの同じですね。
ああ怖い・・・
次が、当時西ドイツだったS社の真鍮と木で出来たストレートキー。
これは、今は亡きOMの新築祝にと自分用も含めコールサインを彫刻して二台頼みました。
これも、打ちやすいストレートキーです。
今回は、本当に最後となると思いますが、宮城県のG社にお願いした、黒檀製のストレートキーです。
もう、打ちやすい!!
やはり、指に触れる部分は、木質系の方がいいのです。
808もKY-3Aも打ちやすいのですが、業務用だけあって硬質な感触です。
アマチュアの世界でしかもうモールスコードは使用されていませんが、打電する機能は変わりません・・・
QSTを読んでいると、STRAIGHT KEY IN THE NIGHTと称して集まりがあるようですが、
そこまでは、凝らなくとも面白いものです。
20メーターバンドや15メーターバンドの下の方で、アフリカの奥地やアメリカの中西部からホレホレなんて
打電してきたら、この黒檀製の縦振り電建で埼玉の辺地から打電したいと思います。
TNX DE JM1LKR CU AGN
週末に測定器の校正をお願いしに都内の恵比寿まで出かけました。
購入したのは、もう昭和の最後の年でしたでしょうか。
アマチュア局のQROを考えていた時に、友人から当時の電波管理局の予備検査を受けるに当たり、この出力測定器があれば一発で通る!と話していたので、BIRD MODEL43という、たいそう頑丈なパワー計を求めました。
まだ、その当時はインターネットなんて無いので、伝え聞いて恵比寿のF研究所がいい、ということで、伝え聞いたF研究所にその年のボーナスの一部を握りしめて行き、購入しました。
それから幾星霜、当時私も三十代でしたが、肉体も測定器も四半世紀も酷使して・・・
店主の話では、これは業務放送局も使用していますが、プロは毎年、アマチュアは5~6年に一回くらいで校正しないと・・・とのお話でした。
そうですね、業務で使用するような計量器、例えば重さをはかる計りもそうですが、計量検定法で決められています。
約二週間のドックで校正をするそうです。
確か、四半世紀前に購入した時、別の雑居ビルの一室でしたが、コリンズ、日本無線や小林無線、アンリツの業務用受信機が山のように積まれていて、二時間ほどお邪魔してしまいましたが、今回も二時間ほど、書籍や受信機を見させてもらい、恵比寿を後にしました。
久しぶりに、ラジオ少年の時間を過ごせました。
幸せ、幸せ・・・・
若い頃に、還暦の年齢まで生きているなんて思いませんでした。
まあ、体が弱かった為か、頭が悪かった為か、あまり長生きはしないのかなと考えていました。
母親に言わせると、取り上げてくれたドクターが、未熟児なんで~と言われたそうです。
父親が、湯たんぽを三つ買ってきてようやく体が暖かくなったと話していました。
そんな風に生まれてから六十年生きながらえてきて、還暦の早暁はラブラドル犬が私のベッドの中で三頭も寝て同衾しました。
犬と寝てるなんてと、非難するかも知れませんが、人畜共通感染症も乗り越えてもう、延べ四半世紀の犬飼人生です。
還暦を迎えたのですから、また時計がリセットされて、ゼロスタートになります。