昭和11年2月26日の朝、埼玉県下は大雪でした。
今から77年も前のことですが、私自身が物心ついてから、2月26日の朝はいつも父親の昔話をきかされていました。
当時、父親は今の浦和駅前に住んでいて、浦和町立高砂小学校の2年生。
その朝は浦和でも、小学生の膝まで雪が積もっていたとのことでした。
朝から、浦和の駅前には、兵隊が銃を抱えてたくさん集合していたとのことで、いつも興奮して話していました。
小学生2年生の目には、それは非日常であり、奇異に映ったことだろうと思います。
何しろ当時の父親の遊びは、小学校の授業が終わり、放課後は教科書を自宅に放り投げて、仲間と浦和駅に集合して、当時の省線を乗り継ぎ山手線を1周し帰宅するのが毎日の遊びだと話していました。
昭和の10年代の小学生の遊びとしては、かなりの刺激的な遊びであったのでしょうか。
後年、私が就職してから、この2.26事件は別の形で思い出深いエピソードがあります。
就職して2箇所目の仕事場でのことでした。
この仕事場では、相談業務があり、この相談員をしていたAさんが、2.26事件のときに歩兵として反乱軍に従事していたとのことでした。
その当時の話を聞いて、父から聞いていた浦和駅の駅頭の話をすると、「あの日は大雪でね。」と半世紀以上もの昔のことをまるで昨日のことのように話していたことを思い出します。