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ポーランド巡礼
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第一幕 第二場 スタニスラオ・ジヴィツ枢機卿
明けて、6月7日。朝食を済ますと、一行は電車通りを渡って反対側のクラカウ司教館へ向かった。その黄色っぽい壁には、ヨハネ・パウロ2世教皇の大きな写真の垂れ幕があった。ローマでは教皇がドイツ人に替わっても、ポーランドではまだこの人が人々の心の中に息づいているのだ。
左右の車に気を取られながら、急いで市電通りを渡り終えて、ほっとして司教館の入り口の上を見上げた。そして、
ギョッ!!
とした。
我と我が目を疑った。そのポーランド人教皇が、二階のガラス窓からこちらに向かって手を振っているではないか。一瞬、確かに手が動いたように思えたのだ。
だが、馬鹿な!そんなことは絶対にあり得ない。彼はもう5年も前に死んだはずなのだから・・・・。
では、幻を見ているのだろうか?
斜に構えて、務めてクールにヨソヨソしく、まるで他人事か何かのように巡礼に参加しているつもりだった私が、いつの間にか巡礼熱に浮かされて、・・・ひょっとして、ついに頭に変調を来たしたか?と、うろたえた。
これだものね!
もう嫌だ! 神様、いい加減にしてくださいよ!!
神様に悪気はないのだろう。だから赦してあげますが、それにしても、このパネルは日ごろ堅苦しい雰囲気の司教館のユーモアとしては、実によくできていたネェ!(笑)
その2階に上がると、神学生たちは小さなチャペルに通された。ここは、教皇ヨハネ・パウロ2世が若いころ司祭に叙階されたゆかりの聖堂で、我々の巡礼の大切な祈りのスポットの一つに予定されていた。
巡礼者一同はこの記念のチャペルで朝の祈りを唱えた。
詩篇を唱える神学生たちと、ギターで先唱するダビデ君(元高松の神学生)。
祈りが終わって待つことしばし、やがてこの建物の主スタニスラオ・ジヴィツ枢機卿が現れた。
ローマで見慣れた彼より、少し-かなりと言うべきか?-太ったかな、という第一印象だった。枢機卿はポーランド人としてヨハネ・パウロ2世の信任厚く、最後まで教皇の秘書を務めた人である。前-そして現-教皇同様、新求道共同体と私たちの神学校に対して深い理解の持ち主で、今回も暖かく歓迎してくださった。
このチャペル、一見簡素だが、金箔をふんだんに使った天井といい、壁の浮き彫り彫刻といい、小さいながら装飾は見事だった。
中庭に入ると、教皇ヨハネ・パウロ2世の生涯を辿るパネルが展示されていた。次のブログで数えきれないパネルの中から、抜粋して何枚かを次のブログで紹介しよう。
(つづく)