なぜ今アーミッシュ?(その-2)
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前回の「アーミッシュ(その-1)」で、私が今注目しているアーミッシュと言うものがどんなものかについての基礎知識が得られたものと思います。正直言って、私もいま旺盛な好奇心をもって勉強中です。
私がアーミッシュに深い関心を寄せる背景には、故ヨハネ・パウロ二世教皇が、キリスト教の未来を予言して、「第三千年紀(西暦2001年からの千年間)はアジアの千年だ」と言ったことと関連しています。
今から約2011年前のキリスト誕生の時代、世界の人口は約3億人でした。それが、1802年には10億人、1987年7月には50億人、1999年10月には60億人、2007年7月には66億人まで増え、それが2050年には92億人に達するだろうと予測されています。そして、その時、世界の人口の約三分の一はアジア人であるはずです。それだけでも、教皇が第三千年紀はアジアの千年紀と言ったことの重みが理解できます。
しかし、それだけではありません。第2千年紀にキリスト教の舞台であった欧米では、過去50年間にキリスト教徒の「絶対数」が音を立てて激減に転じている (私のブログ「回教徒、ついに世界1?」その-1、その-2 参照) のに対して、アジアには著しく増加を続ける可能性があるからです。
その傾向は、中国におけるキリスト教の状況にもピッタリ当てはまります。最新のデータでは7000万人弱という段階ですが、現在のペースが推移すれば数年から10数年で1億人を超えることが予想されています。また、アジア各国(中国、韓国、シンガポールなど)に共通している現象として、高学歴者にキリスト教徒化の傾向が強いと言われていますが、それはインドにおいても同様に言えるようです。しかも、このインドの人口がやがて中国を追い越すという予測も無視できません。
実は、そのことと、アーミッシュがキリスト教集団としては珍しく、基本的には布教も宣教活動もしないのに、20年間で信者の数(取りも直さずアーミッシュ共同体の人数)が倍増してきたたと言う事実とが、私の頭の中で強く結びついています。そして、どうやら、その秘密はアーミッシュコミュニティーの家族構成、一家庭あたりの子供の数と関係があるらしいのです。
私が、国際金融業の華やかな世界を去って、55歳で神父になって、四国で田舎司祭を数年間やっていたとき、すぐにに大きな悲哀を味わいました。それは、自分なりに一生懸命努力して宣教活動をして、求道者と出会い、ようやく一人の人を洗礼まで導いても、多くの場合その信仰はその人一人に留まり、その人の子や孫に伝播し受け継がれていかないと言う現実でした。
ナザレのイエスは最初の弟子にしたガリラヤの漁師たちを「人をすなどる者」としましたが、その後継者である我々神父たちは実に哀れなものです。日なが一日労苦して、年にやっと数匹の魚を釣り上げても、先に釣った魚が高齢化の餌食になって容赦なく次々に消えていきます。新しく教会に入って来る人より、天国に旅立つ人の方が多く、先輩から引き継いだ教会が日増しに淋しくなっていくのをどうすることもできません。
それでも、空しさに疲れて自転車を漕ぐのをちょっとでも休めば、たちまちばたんと倒れてしまうことが分かっているので、老骨に鞭打って、息が続く限り同じ自転車を漕ぎ続ける以外に知恵が浮かばない、と言うのが多くの神父たちの絶望的現状ではないかと思いました。
専門用語に、合計特殊出生率(ごうけいとくしゅしゅっしょうりつ)と言うのがあります。それは、 人口 統計上の指標で、一人の女性が一生に生む子供の数を指します。この指標によって、異なる時代、異なる地域の人口の自然増減を比較・評価することができるのです。厳密には、一家庭あたりの平均の子供の数と完全に一致するものではありませんが、密接な平行関係にあります。
要するに、ある社会、ある国家、地球上のある地域において、特定の宗教が発展するかどうかは、もちろんその宗教の布教努力にもよるでしょうが、実はそれ以上に、その宗教の信者共同体における一家庭あたりの子供の数に大きくかかっていると言うことです。
カトリック教会は、1968年に教皇パウロ6世が 『フマーネ・ヴィテ』 という回勅で、生命の尊重と、人工的な産児制限への反対を表明しました。堕胎は胎児を殺す殺人行為であるから問題外ですが、カトリック教会は、自然に反する人工的な避妊方法にも強く反対してきました。
しかし、現状はどうかといえば、これまでキリスト教国と見なされてきた国々では、その国の平均出生率とその国のキリスト教徒の家庭のそれとの間には、ほとんど差が無いと言うのが現実です。
つまり、カトリック信者たちは、教会の教えに反して、周りのノンクリスチャンと同じレベルで堕胎と避妊を繰り返し、その結果、イタリアでも、ドイツでも、フランスでも、スペインでも、そして日本の信者たちも、周りの異教徒と同じく、1家庭当たり平均1.3人前後の子供しか産み育てていないということです。(平均2人強いないと人口は減り始める。)
アジアの千年紀における人口動態と、カトリック教会の発展とを見る上で、アーミッシュの例には非常に示唆に富んだ興味深いものがあります。
それだけではありません。私が司祭の養成を受けるためにローマに送られたとき、たまたまそこで出合った「新求道共同体」というグループと、アーミッシュが、ある一面では非常に酷似していながら、別の一面では全く正反対であるという点にも、強く興味をかき立てられました。
次回から、アーミッシュの特徴とされる幾つかの点を取り上げ、「新求道共同体」との共通点と、反対の点を比較検討していきたいと思います。
(つづく)