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教皇の横顔
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6月2日(日)は「主の御聖体の祝日」と言って、カトリックではミサの時に使うパンとフドー酒が
主イエス・キリストの体(肉)と血であり、そこに復活したキリストは実体的に現存しておられる、
と信じ、教え(そこはプロテスタントの教会と大きく違うところ)、
この祝日に特別の信仰をこめて、ミサの時に司祭が聖別したパン
(実際は小麦粉で作って焼いた丸くて薄いウエハー状のもの)
を顕示して礼拝する習慣がある。
この日、聖ペトロ大聖堂では、その礼拝式が盛大に執り行われた。
私は、二週間前の聖霊降臨の祝日の聖ペトロ広場の群衆の余りの混雑に怖気づいて、
この日はテレビの中継で様子を見ることにした。
暗くした集会室のスクリーンに、式の様子が映し出されていた
試験期だが15~17人の神学生が見に来ていた、一人の神学生の隣の空いた席に坐った
聖体礼拝はどうやら聖ペトロ大聖堂の中で行われているらしい。
大聖堂内部の主祭壇の周りがアップされた。中央奥の白いローソクが6本立っている主祭壇の中央の
金色まぶしい顕示台の真ん中に、キリストのからだである薄いパンが収まっている。
主祭壇の真下、地下一階のところに12使徒の頭で最初の教皇の聖ペトロの墓がある。
よく見ると、画面最前列の席の左端、槍を持ったスイス衛兵の左手に白いガウンの人物が椅子に座っているが
その人が新教皇フランシスコのはずだ。
因みに右奥の白いケープを着た一団がバチカンの少年合唱団
祭壇中央、金の十字架の基台の前にあるのが、ご聖体の顕示台。
宝石に囲まれた中央の窓の中にキリストの体のパンが収まっている
この一点に向って、聖ペトロ大聖堂を埋め尽くした信徒が祈りと礼拝に耽るのが今日の儀式だ。
テレビの画面にこの顔がアップで写った時、私は隣の神学生に思わず
「この人誰?」
と大声で聞いてしまった。かれは、呆気にとられて、
「パパ フランシスコだよ!」 と、事も無げに答えた。
エェ~ッ??? 頬の肉の垂れ下がった生気のない疲れた顔のこのお爺さんが???
まさか?! いや、やはり本物か?横から見た本物を初めて見た。
この席に、代理のおじいちゃんが座るはずもないか!
それにしても、前からの顔と全くイメージが違う! この横顔は別人かと思った。
遠くから見ると、豆粒だから顔の表情まではわからないものだ。
それに、就任後メディアに現れた写真はすべて群衆や人の目を意識した
まさにスターの表の顔の正面ばかりだった。
だが、こうしてテレビのズームカメラで引き寄せた
人目を意識していない教皇の横顔は全く違った
声変わり前の少年たちの天使のソプラノが雰囲気を盛り上げる
遠くから見守るまだ若いシスターも写っていた
これは、他の日の聴衆を意識した前からの顔。
目に力があり、口の周りに笑みがある。上の横顔とは全く違う。
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この人、教皇になっても、教皇ヨハネパウロ2世がコンクラーベのために
枢機卿たちの宿舎として新築したアパートに居座って動かない。
どうやら、歴代の教皇が住みなれた教皇の宮殿には住まないつもりらしい。
このままだと、次の教皇もあの御殿に住むことは気がひけて出来なくなるだろう。
夏休みを取らず、ローマ郊外60キロの湖水のほとりの教皇の夏の別荘も使わないらしい。
徹底した清貧路線だ。これが、彼のわかりやすいバチカン改革の第一歩か。
ふり返って見ると、この3-4代の教皇で、多くのことが変わった。
教皇の地上の王権を象徴するかのような三重宝冠がまず消えた。
人に担がせて移動した教皇の椅子(輿)が消えた。
教皇ヨハネパウロ2世の時に一旦消えて、ベネディクト16世で復活した
教皇の赤い靴も、今の教皇でまた消えて、こんどこそ永久に消えるだろう。
ベネディクト16世がはいていた赤い靴 (フェラガモご謹製だったとか?)
法王の宮殿を出たことも、夏の別荘を棄てたことも、
もはや後戻りのできない改革の一つとして歴史に残るだろう。
しかし、本当の教会の改革、バチカンの改革は単なる外見・習慣の手直しでは済まされない。
本格的な精神的改革が待たれる。新教皇の手腕が問われる。
アジアの教会に対して、日本の教会に対しても、
彼は何か新しい手を打ってくるだろうか、期待される。
(おしまい)